Talk
Masako Tomiya × Kenji Takazawa

対談 富谷昌子×タカザワケンジ
私たちはどこへ帰るのか?命の連関のその先へ、富谷昌子『帰途』をめぐる対話

Talk Masako Tomiya × Kenji Takazawa

タカザワ:表紙が絵というのもユニークだけど、それは彼らの提案?

富谷:そうです。彼らとはもともと友人として気が合うというか、表紙が写真とか文字だけというのはなんか違うな、と思っていた矢先に「写真集の表紙、絵はどうだろう?」と。すぐに「いいね」といいました。画家はこういう人がいると教えてもらいました。ロサンゼルスに住んでいる私と同世代の女性の画家さん(Satsuki Shibuya)です。

帰途

タカザワ:『帰途』は『津軽』が出たあとに撮影が始まったそうですが、きっかけは?

富谷:私の姉と義理の妹がほぼ同時に妊娠して、それってあまりないことかもしれないと思ったので、まずそこから撮り始めたんです。というのは、『津軽』のときに人物をちゃんと撮れなかったので、人物を撮りたいなと思っていたんです。そうしたら身近な人たちの変化、というか大きな出来事があったから、ここから撮ってみようと。ささいといえば、ささいなきっかけです。

帰途

タカザワ:そこから連想するように周辺を撮っていったということですか。

富谷:そうですね。周りというか、彼女たちをふんわり包むものたちを撮っていったら、結局、自分のことに戻ってきたというか。それで自分が写っている写真が入っているんです。私は写真を撮られるのがとても嫌いだったんですけれど、これを写真集にするなら撮らないわけにいかないなと思い始めて。自分を撮ったらパリンって殻が割れたというか、広い海で泳いでいられるような感覚になりました。それもあって撮ることにも拍車がかかっていったのですが、その間、何を伝えたかったんだっけ?何がしたいんだっけ?としつこく自問自答したと思います。もともと誰かに会って写真の話しをするほうではないし、誰に写真を見てもらうというわけでもなかったので、自分一人で掘って掘って、磨いて磨いて、ということをバカみたいにやりました。

タカザワ:『帰途』の富谷さんが写っている写真はいわゆるセルフポートレートとは違いますね。このテーマで撮っていったら自分を撮らないわけにいかないなといま聞いて、なるほどと思ったけれど、物語のなかの登場人物の一人として登場する。

富谷:私のことを知らない人は、この写真に写っているのがこの写真集の作者だとはわからないと思います。写真には母をはじめ身近な家族が写っていますが、それも読者にはわからないし、誰が主人公かもはっきりしない。まえがきの「わたし」も誰なのか。誰がわたしであっても成立するように写真はつくってあるんです。実をいうと、写っているみんなのことはもちろん、被写体はぜんぶ自分だと思って撮っていました。すべてがわたしである。たとえば、写真集を見てくれているあなたでもある。どんどん境目が無くなっていく、そういう世界を、ただ撮って写真にしたような気がします。

帰途