Talk
Masako Tomiya × Kenji Takazawa

対談 富谷昌子×タカザワケンジ
私たちはどこへ帰るのか?命の連関のその先へ、富谷昌子『帰途』をめぐる対話

Talk Masako Tomiya × Kenji Takazawa

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タカザワ:予備知識なしに見れば、『帰途』は女性が何人か出てくる。お腹の大きい若い女性とその母の世代。日本の地方に住んでいて、身近に自然がある。子供が現れる。きっと彼女たちの子供なんだろうなと思う。つまりこの写真集にはある一定の時間が流れていて、血縁関係もありそうだ。そのなかに隠れキャラとして写真家がいるわけで、そのことに読者が気づかなくてもかまわない。

でも、人物の一人、それも最後の象徴的な写真に写っているのが写真家だとわかると、この作品の意図がより深くなりますね。いつもはカメラの後ろ側にして事態の推移を見守っている写真家がカメラの前に立っている。あえていつものポジションを変えてみようとしたのではないか、と考えますよね。一方的に見つめる立場に疑問を持ち、世界と自分との関係を問い直すために自分もカメラの前に立つ。そうしないと表現できない何かがある作品なのではないか。カメラの後ろ側にいるだけの、見えない存在、レポーターとしての写真家は20世紀にその存在が社会から公に認められたけれど、現在ではそのあり方への疑問が持たれている。カメラの後ろ側にいるあなたは誰ですか?と問われるのが現代だと思う。

帰途

富谷:そうそう。まさにそうです。長いこと写真をやってきて思うのは、誰が撮っているのかわからなくなる状況ってよくあるんです。これ、いま誰が何を撮っているんだろうって。景色と自分が溶けてしまって、風景そのものになっていて、時間も無い。そんな経験を写真を撮っていて何度も何度もしているんです。けっこう誰でもそうだと思いますけど。

タカザワ:誰でもじゃないでしょう(笑)。忘我の境地ですよね。でも、たしかに、それはカメラを使うことで入れる境地かもしれない。人はカメラを使って現実を見たままに写そうとするけれど、写真には意識している以外のものも写るし、コントロールできない偶然が写り込む。写真を撮っている「わたし」もしょせんは世界の一部でしかない。

『帰途』というタイトルも意味深長ですよね。帰る道という意味だけど、ゴーギャンの「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」に照らせば、帰る道ってどこへ向かう道なんだろうと思う。生まれてきた場所はどこなんだ、というね。また、生まれた人が次の人を産んでいくということはどこへ向かっているのか?哲学的なテーマですよ。

帰途

富谷:特にこういうことを突き詰めてやっていると、行き着きやすいことなんだと思います。国も時代も関係なくて、人間らしいといえば人間らしくて。『帰途』は帰り道でもあるけど行く道かもしれないんですよね。さっきいった人類の行方もそうですし、人生も産まれてから死ぬまでと考えると、生きているだけでもう帰り道を歩いている途中だという考え方もある。「行く」なのか「帰る」なのか。でも、もともと道はただの道で、行きも帰りもないんですよね。私たちはただ道の上にいるだけです。

富谷昌子

タイトル

富谷昌子『帰途 / KITO』

出版社

Chose Commune

価格

6,500円+tax

発行年

2017年

仕様

ハードカバー/220mm×270mm/80ページ/1000部限定発行

URL

https://twelve-books.com/products/kito-by-masako-tomiya

富谷昌子|Masako Tomiya
1981年青森県生まれ。大阪藝術大学写真学科、東京綜合写真専門学校研究科を卒業。2013年の冬に、自主レーベルHAKKODAから1冊目の写真集『津軽』、2017年の夏に、パリの出版社ChoseCommuneから2冊目の『帰途』を出版。

タカザワケンジ|Kenji Takazawa
1968年前橋市生まれ。早稲田大学第一文学部卒。写真評論、写真家インタビューを雑誌に寄稿。写真集の編集、写真についての展示など、写真のアウトプットに対する実践も行っている。解説を寄稿した写真集に渡辺兼人『既視の街』(東京綜合写真専門学校出版局ほか)、富谷昌子写真集『津軽』(HAKKODA)ほか。著書に『挑発する写真史』(金村修との共著、平凡社)があるほか、ヴァル・ウィリアムズ著『Study of PHOTO 名作が生まれるとき』(ビー・エヌ・エヌ新社)日本版監修。東京造形大学、東京綜合写真専門学校、東京ビジュアルアーツ非常勤講師。

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