Interview
Oliver Chanarin

オリバー・チャナリンインタビュー
ニュースもアートも“エンターテインメント”─複雑な世界を紐解くためのユーモア

AREA

神奈川県

オリバー・チャナリン

時代に応じて写真も作品も変容する

こうしたチャナリンの姿勢は、写真というメディアが内包しているある種のイデオロギーに対する警戒心から生まれているものだといえるだろう。事実、オリバーは次のように語っている。

「写真はニュートラルにはなりえません。単なるドキュメントではありえず、常にイデオロギーとともにあります。たとえば、かつてコダックが販売していたフィルムでさえ白人の肌の色に合わせてつくられたものであり、日本人の肌の色には合わないものだったわけですから」

ブルームバーグ&チャナリンは「To Photograph The Details of a Dark Horse in Low Light」(2012年)(*4)という作品においても、ここで例に挙げられたコダックのフィルムがもっていた特性について批判を行っている。

写真というメディア自体への彼らの批判的な態度は、フェイクニュースが飛び交い「ポスト・トゥルース」なる概念が幅をきかせる現代においてはますます重要なものになってきているといえるだろう。もはや、たとえ報道写真であってもそこに写されているものを額面通りに受け取ることはできないのだから。チャナリンが語るように、いまや写真の役割そのものが変わりつつあるのだ。

「かつてメディアは経済や社会のなかの出来事を伝えるのが仕事で、写真もそこで起きていることを撮って伝えるものでした。しかし、いまや経済も社会も急速に変化しており、写真の役割も変わってきています。世の中の出来事を批判し、人々に理解させることが写真の役割になってきているのではないでしょうか。環境に応じて写真のあり方も変わっていくのです」

interview-20170920oliver-chanarin_05

アフガニスタンの紛争地帯で、太陽光を感光することで生まれたイメージに、鑑賞者は何を投影するのか。
ブルームバーグ&チャナリン「痕跡証拠」展示風景。

環境によって写真のあり方が変われば、写真家である彼らの作品のあり方も変わるはずだ。約10年前にアフガニスタンで撮影を行ったときからは世界情勢も変化しているが、世界情勢以上に技術環境の変化が彼らの作品には影響を与えていたのだという。

「環境も変わっているし、技術も変わっています。かつては軍隊と一緒に行動し、撮影が許可された場所で“殺菌”されたものしか撮れませんでしたが、いまや誰もがカメラを持っていて写真をアップロードできるようになった。こうした環境の変化を受け、わたしたちの作品もイメージそのものに関するものというより、イメージの流通に関するものになりました」

このように写真のあり方やイメージの流通に注意を払っている彼らは、極端でわかりやすいメッセージほど拡散されてしまうフェイクニュース優位の社会をどう捉えているのだろうか? フェイクニュースについてどう考えているのか尋ねられたオリバーは、なんと「フェイクニュースはウェルカムだ」と答えた。

「そもそも、ニュースはフェイクなんですよ。リアルとフィクション(フェイク)の境界線は常に揺らいでいます。ニュースは常にフィクショナルで、エンターテインメント。それに、普通芸術作品は美術館の中にあると思っているけれど、メディア上にあるものと芸術作品の境界は曖昧だと思うんです。たとえば、CNNのニュースを美術館におけば芸術作品になりえます。何かを活動として行うことや、メッセージ性をもっているという意味においては、メディアもマスコミも芸術作品も変わらないのかもしれません。だから、それを分けて考えようとは思わないんです」

そうオリバーが語るように、そもそもニュースとは元来フィクショナルなものなのかもしれない。考えてみれば、ニュースそれ自体がマスコミの「作品」だといえるのだから。だからこそ、オリバーが鑑賞者に求めるような、観たものを額面通りに受けとらず、その外側にあるものに想像を巡らすという行為は日常生活においても重要なものになる。

*4:人種差別がまだ存在した時代に、コダックが製造したフィルムの特性に対する揶揄を表現した作品。白人のみを被写体と想定し、光がアンダーな状況では黒人を綺麗に撮影することができなかった1950年代に使用期限を迎えた古いフィルムを使って、アフリカ・ガボン共和国を“ドキュメント”した。

オリバー・チャナリン「本日の地中海の波向」(2017年)

デュオとしての作品のみならず、チャナリン個人のドローイング作品も展示されていた。
オリバー・チャナリン「本日の地中海の波向」(2017年)