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Tomo Kosuga × Ryuichi Kaneko

鴉の秘密 アーカイブスの謎【後編】

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東京都

トークイベント「フォトブック・シンポジウム Vol.3:金子隆一 | RAVENS / 鴉 – 鴉の秘密、アーカイブスの謎」

2017年9月10日に原宿・VACANTで行われたトークイベント「フォトブック・シンポジウム Vol.3:金子隆一 | RAVENS / 鴉 – 鴉の秘密、アーカイブスの謎」より

コスガ:これは深瀬が92年に自身の事務所のベランダから撮影したものです。サービス版ほどのサイズのものが何百枚と遺されていたもので、そのすべてに写真の上からドローイングが施されていました。量からして、当時は日課のように繰り返していたのではないかと思います。

「自分を入れて撮ることにも飽きたので、いまは烏を撮っている。1000ミリの望遠レンズで、毎日午後4時半から5時半まで、巣に帰る烏を狙っている」とアパチャー誌の92年秋号に書いています。なにもカラスだけでなく、鳩や気球、ヘリコプターなど、窓から見えたものすべてを撮っていたことから分かるのは、とにかくなんでもいいから撮らずにはいられないという執念ですね。ぐちゃぐちゃっと自暴自棄なドローイングも見受けられますが、基本的にはどこか可愛らしいというか。

金子:そうですね。遊んでいるという感覚がとても伝わってきます。サービス版くらいのサイズもいい感じですよね。津軽の写真家小島一郎という写真家が自分の作品を手札くらいの大きさにプルーフ焼きをして、それをポケットに入れて友達に見せていたことを思い出しました。この800枚を深瀬さんがポケットに入れて、喫茶店でぐちゃぐちゃっと書いているような面白さを感じます。

深瀬昌久『Ravens 92』より

深瀬昌久『Ravens 92』より © Masahisa Fukase Archives

コスガ:この作品を撮り出す数カ月前にあたる92年の2月に、銀座のニコンサロンで深瀬が自ら手がけた展示としては最後となる個展「私景’92」を開催しました。それまではプリントをしっかりと額装して見せる展示をこなしてきたにも拘わらず、深瀬が最後に選んだ展示手法とは、壁にピンでプリントをダイレクトに貼るというものでした。4つのシリーズで450枚ほどの写真を展示したのですが、その大半に深瀬自身が映り込んでいたわけですから、なんとも異様な展示だったことでしょう。

金子:80年代末から90年代にかけては、日本でも写真は綺麗に焼き付けたものをオーバーマットで挟んで額に入れて白い壁の美術館に展示するという方法が、ようやくスタンダードになってきた時代です。70年代においては、若い写真家たちがよくこういう風に写真を壁にピンで留めていました。

深瀬昌久写真展「私景’92」展示風景

深瀬昌久写真展「私景’92」展示風景。ニコンサロン銀座にて1992年2月25日〜3月2日まで開催された。

コスガ:興味深い点として、この展示では『ブクブク』以外の3シリーズをモノクロプリントの上に着色していることです。どうしてそうしたのか、気になりますよね。私はこんな記述を見つけました。『日本カメラ』1985年9月号で「作品撮りをモノクロでするのはカラープリントがなかなか自分でうまくコントロールできないから」と綴っており、さらには「天邪鬼のぼくとしての手造りの味のような質を要求した」としている。このときはポラロイドの8×10のフィルムを印画紙代わりにしたカラーの引き延ばしをひらめいたことで腑に落ちたようですが、それから数年が経って、最終的に深瀬はモノクロプリントに筆で着色したものを「自分なりのカラープリント」としたのではないかと。

金子:なるほどね。そうかもしれません。

コスガ:この展示の4カ月後に深瀬は泥酔した挙げ句、階段から転げ落ち、その後遺症によって以後二十年間、病院生活をやむなく送ることになりました。