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Roe Ethridge × Fumi Ishino

対談 ロー・エスリッジ×⽯野郁和
意図を超えたときに写るもの

石野郁和『Rowing a Tetrapod』(MACK, 2017)

石野郁和『Rowing a Tetrapod』(MACK, 2017)

石野:以前、アクシデントを通じてイメージを作ることや、なぜアクシデントは意図よりも優れたものになりえるのかについて話されていました。あなたの作品には⾃分で撮影していないものもありますが、なぜそれが作品として成り⽴つのか、説明していただけますか。

エスリッジ:アクシデントは⾃分の意図とは異なる意思決定を強います。『Shelter Island』での私の娘のポートレイトは、息⼦がiPhoneで撮ったものを娘が拡⼤し、スクリーンショットしたものです。⾃分でも娘を撮りましたが、結局いい写真は撮れなかったんです。その後もう⼀度息⼦が撮ったイメージを⾒たらとても惹きつけられて、すごいものを発⾒したときの編集者のような気持ちでした。最終的に私の写真集と展覧会に⼊ることになったとき、「⾃分で撮ったわけではないのに、許されることなのだろうか」と悩みましたが、あの展覧会で最も合作的な作品でした。息⼦が撮り、娘が拡⼤・クロップし、⾃分は印刷しただけです。

Roe Ethridge『Shelter Island』(MACK, 2016)

Roe Ethridge『Shelter Island』(MACK, 2016)

石野:『Rockaway』(SteidlMACK)や『Le Luxe』(MACK)といった写真集は、写真を撮るという⾏為はプロセス全体の半分でしかなく、編集、シークエンス、レイアウトも写真家のアイデアを反映する⽅法であるということを教えてくれました。どのように編集やレイアウトをしているのか、とても興味があります。

エスリッジ:その⽅法は展覧会のためなのか、それともストーリ―のためなのかによって変わってきます。次の展覧会が近づいているときには、何かを偶然発⾒して「こういう写真を撮るつもりではなかったのに」と気づかされることが多いです。

マイアミを訪れたとき、また戻ってきて⾃分の⼦どもの頃の家を真剣に撮り、そこにいる⼈々と話そうと考えていました。しかしニューヨークに戻って初めて、必要な写真はすべて撮り終えていたと気付いたのです。そのうちの⼀枚は、⼦どもの頃に住んでいた家の前で道を眺めているとき、⽬の前で⼦どもがウィーリーをした瞬間をiPhoneで撮ったものです。このシーンを再現することは可能ですが、この写真がとても⾃然でさりげないので、もう⼀度あの場所に戻って再現するより、その瞬間を保存する⽅がふさわしいと感じたのです。あの写真は私の想像を遥かに超えたものだったので、最終的に展覧会で⾒せることにしました。⾃分がやりたいことはある程度理解していますが、⾃分が⽬指しているのは、イメージを作るというより⾒つけることだと思います。

Roe Ethridge『Le Luxe』(MACK, 2012)

Roe Ethridge『Le Luxe』(MACK, 2012)

石野:写真集制作のプロセスも年を経るごとに変化していったのでしょうか。

エスリッジ:何かが起きれば次に影響するものですから、アプローチも変わってきます。私にとって、いろんなことがどんどんシンプルになってきました。昔は写真集の制作は精神的に⼤きな負担で、疑いと⼤幅な変更というレイヤーをいくつも重ねるのが常でした。全部変えてからまたもとに戻すことがプロセスの重要な⼀部であると信じていましたが、いまは「結局最初のアイデアが⼀番いい」という確信が強まっています。作品作りの⼤部分が最初の瞬間に起きていたと気づくことが何度となくありました。あの荒れた唇の⼥性を撮ったポラロイドのように。だからいまは最初のアイデアを⼤切にしています。