Interview
Jochen Lempert

写真の常識を軽やかに超える、ヨヘン・レンペルトのしなやかで揺るぎない世界の秘密。

INTERVIEW Jochen Lempert

―ドイツ写真といえば、ベッヒャーシューレ(ベッヒャー派)のタイポロジーとも比較されるかと思いますが、その点についてはどう考えていますか?

タイポロジーは、被写体を「客体化」して撮影しますが、私がここで試しているのは「主体化」すること。類型学的な写真では、同じ照明、同じ背景で撮影することが多いですが、オオウミガラスの場合は、剥製が美術館に置かれている状況をそのままで撮影しています。ベッヒャーシューレの作家たちの作品は興味深いですが、私とベッヒャーシューレとの関連性は薄いと感じています。

―人間から見た世界ではなく、ほかの生き物からはこの世界はどう見えるのかという視点に立っている点で「主体化する」ということなのでしょうか。

たぶんね(笑)。彼らがどのように世界を見ていていたかはメインフォーカスではありませんが、例えば、東京の半蔵門駅で、カラスが路上を見下ろしているこの写真(今回展示はされていない)は、カラスの視点で撮っています。見ているのは、シンプルなそのままの世界か、それともアブストラクトな世界かというのが興味の対象です。毎回、その瞬間が特別なのです。

《ハシブトガラス》2013年

《ハシブトガラス》2013年

―フォトグラムなどの写真技法もよく使われていますね。これらの手法を作品の中でどのように取り入れているのでしょうか。

「アナ・アトキンス」は、北海で採集された海藻の写真にフォトグラムを使っています。カメラは使わず、印画紙をコンピューター画面に直接当てて現像しました。イギリス人のアナ・アトキンスは、植物写真のパイオニアといわれ、女性で初めて写真集を刊行した写真家ですが、ここでは1843年に刊行された『Photographs of British Algae』に収録されていたサイアノタイプ(フォトグラムの一種)の写真をもとにしています。アトキンスと私がフォトグラムを2回行なうことで、約200年の時を経て、海藻はネガティブからポジティブに反転されるのです。その隣に置いた数点の写真を組み合わせた「糸状藻」では、フィルムは使わず、海藻そのものをネガとして使っています。引き伸ばし機のフィルムを差し込むところに、海藻を差し込んだのです。

《糸状藻》2011年(写真左)《アナ・アトキンス》2011年(写真右)

《糸状藻》2011年(写真左)《アナ・アトキンス》2011年(写真右)

―「対称性と身体構造」シリーズには、日本で撮影した写真も含まれていますよね?

奈良で撮った鹿を二枚一組で飾っています。生物学への関心を背景に、このシリーズでは身体の進化を追求しています。鹿の頭と首の写真では、脊椎の先端部分に感覚器官が集中しているという脊椎動物の特徴に着目しています。

《対称性と身体構造》より 1995−2016年

《対称性と身体構造》より 1995−2016年

「顔相学的試行」シリーズも、コンセプチュアルでありながらも、見る人が自由な視点で見ることができます。先にコンセプトが決まるというより、撮っていくうちにコンセプトが出来上がっていくのでしょうか?シリーズのまとめ方、写真の選び方を教えてください。

制作を進めていく中で、コンセプトが生まれる方だと思います。たまに特定のものを撮るために出かけることもありますが、基本的には日常のなかで撮影を続けています。「撮影」というプロセスは、その次の写真を「見る」ステップとは別ものです。まず撮った写真をプリントし、自分がどのようなプロセスで撮影したのか、もしくは撮影中に考えていたアイデアを忘れてしまうまで、しばらく放置しておくようにしています。時間を置くことで、撮影中に思い描いていたアイデアではなく、写真の中にあるイメージをそのまま見ることができるようになるのです。

《顔相学的試行》より 2002/2016年

《顔相学的試行》より 2002/2016年

それはあなたの制作において、重要なプロセスでしょうか?

おそらくそうですね。このプロセスを経ることで、事前にコンセプト化してしまうことを避けています。写真を「見る」ために。例えば、私がある特定の組み合わせが面白いと思うのは、誰もがわかる驚きのある類似性だけではなく、双方に文脈がありながらも全く異なる有機体による文脈が生まれているからです。これは大体、撮った後に気付くことです。そのためもともとのアイデアと結果は異なることが多いです。

《顔相学的試行》より 2002年

《顔相学的試行》より 2002年

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