Interview
Yoshiyuki Okuyama

点と点のあいだを狙う 奥山由之写真展「君の住む街」インタヴュー

Interview Yoshiyuki Okuyama

―撮影をしてきた中で印象的なエピソードなどはありますか?

いま思い返すと、連載開始当初は、被写体の方とあまりコミュニケーションを取らずに撮影していました。当時はいまよりも人物をもっともっとビジュアルでとらえていたというか。初対面の人に対しては、自分がどう接したとしてもそこに写るものは変わらないと思っていたような気がします。写真を始めるきっかけとなった『Girl』という最初の写真集は、身近な友人に対しての感情を100パーセント注ぎ込み撮っていたものだったので、いざお仕事として初対面の人と向き合っても写真をどう撮ったらいいのかわからなかったんです。

けれどそのうち、深い時間をともに過ごしたからといって良質な表現にたどり着けるわけではないと、自分や他人の写真を見ながらそう思えてきたんです。状況がどうであっても、人が介在している限りは、そこにいるその人たちでなければ作り上げられなかった物になっているはずなんです。だから、限られた時間の中で被写体と関わるのも、ある意味ではその人と僕にしか描けない関係性であると。そう思い、だんだんに撮影のアプローチを変えていったような気がします。そのために、被写体のことをすごくよく見るようになりました。それは視覚的にも心理的にも。

―それぞれの被写体の個性はあるけれど、いわゆるタレント写真に比べると抽象化されているという意味では、『Girl』と共通するところがあるようにも感じました。

何だかんだいっても、自分と被写体の距離感よりも、自分と“写真”との距離感を優先しているのかもしれませんね。被写体によってアプローチを変える理由も「この人はこうするといい表情が引き出せるだろうな」という考え方ではなく「この人とこう接するとどうなるんだろう」という興味からきています。『Girl』は被写体の友人に見せたい写真であり、「自分を見てほしい。知ってほしい。」と思いながら撮っていて、ほかの人からの視線は意識していませんでした。今回は見る側に「この人にはこんな素敵なところもあるんです」と伝えるための写真で、写真の構造と用途が根本的に違う。見比べると面白いかもしれません。

―このメインビジュアルも、一見誰が写っているのかがわかりづらいですね。

パッと見て誰だかわかってしまうと、そこで作品の見え方がまず限定されますが、そうじゃなくて、「記号性が高く、誰しもが共通して思い描く最大公約数の可愛い女の子」というイメージで選びました。そうすると先入観なく、展示に入っていってもらえるのではないか、とあえて誰だかわかりづらいカットを選びました。また、雨の日の写真は、タレントさんの写真集だと表紙にされることが少ないし、コンクリートの青と洋服のピンクが混ざった色合いが気に入りました。そして、地面に書かれた「トマレ」、これは工事が始まる前なのか後なのか、一時的に仮でこのカタカナの表記になってしまっている、まさに東京らしい景色を象徴しているなぁ、と。0と100の“あいだ”ですよね。終わりでも始まりでもない、中途半端な“あいだ”です。これが多々発生してしまうのが東京である、と。写真集の表紙は「トマレ」の文字がグラフィックなのか地の写真なのかわからなくなるようなイメージで、服部一成さんにデザインにしていただきました。

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