一見して理解することが不可能だが必要とされる多重なレイヤーを用いた表現手段を一旦心得ると、撮影する対象のみならず、それを取り巻くすべてにリサーチがおよび、その中から物事や対象の構造を視覚化するための最適な手段を発見することがある。それこそが重要で、その発見を成し得た者だけが唯一無二の表現を獲得することが出来るのである。
彼のようにフィルムやカメラという比較的写真表現と繋がりのある媒体がその手段である場合もあれば、多重の情報や素材等を収集しレイヤーとして物語の中に落とし込んでいくということもある。現場にいて、目の前で起きている出来事をそのまま撮るという以上に「物語」を伝えるためには必要不可欠なのである。そこまで意識がおよばない場合、表層的なことしかとらえられていないため、その物事自体の構造を理解するためのレイヤーは存在せず、私たち受け手側が深く思考する機会も与えられない。彼がなぜ高く評価されているのか、それは単に美しい、新しい表現を提示したというだけではないことを忘れてはいけないのだ。なぜ、それをしなければならなかったのか、歴史的な構造と目に見えないものを視覚化するにはいかなる方法があるか、常識にとらわれることなく、「これこそが」という答えにたどり着いた。そこに至るまでの尽力と決断力は計り知れないのである。そして、一度独自の表現方法を獲得すると、それは次々と活かされていく。彼がこれまでテーマにしている人本主義に関わるさまざまな問題を、彼の世界観で次はいかなる形で見せてくれるのかという期待が高まるのだ。そして対象そのものだけでなく、彼が選択した伝える手段を知ることが出来たとき、それこそがその物事の本質を知るための大きな手がかりであるとすら感じるのである。
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