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そしてそもそも本題の『Incoming』は撮影監督トレヴァー・トゥウィーテンと作曲家ベン・フロストとのコラボレーションによって映像作品として制作され、本書はその映像作品のスチール写真を収録したものになる。彼が表現手段に取り上げたのは赤外線サーマルカメラ。この超望遠軍事用カメラは、昼夜を問わず30.3km先に離れたところにいる人体をも感知することができる。映像作品はロンドンのバービカンアートギャラリーでいまも開催中のインスタレーションだが、展示の様子を伝えるニュース動画を見るだけでもその圧倒的な世界観には鳥肌が立つ。
本が刊行されて話題になり、それを見てみたいと思ったのだが、本が届いてまずはその無機質な質感にページを開きながら戸惑った。現地にいて映像を見て「この本も手に入れておこう」というのとは違う感覚なのだと思う。映像作品からスチール写真を落とし込んだ本であっても、映像作品と同じような感覚を得ようとするのは無理である。あの映像空間に身を置かなければ不可能なはずなのである。そして「このカメラは、ある種の美学的暴力として作用しており、主体の人間性を奪い、人々を怪物的なものとしてゾンビ化した形象に落とし込む上、身体から個別性を奪い、単なる生物学的な痕跡として人間をとらえている」と彼がいっているように、不穏な違和感を感じることが正解なのだ。
ただし、「伝え残す」ための記録の形として、最新型兵器レベルの撮影技術を用いて映像化し歴史的な証拠として残す新しい記録の形を切り開いた、記録者として物語を伝える者として歴史の記録を残すために選んだひとつの手段こそがまた意味のあるものだった。改めてそう思いながら見ていくと、本誌に収められた576ページにおよぶ映像から切り取られた黒とシルバーの無機質で凍りついた世界観は、私たちが存在するこの世界の現実を遠い未来に向けて凍結保存するかのようにも見えてくる。そして見ているだけで何も出来ないという、対峙している自分自身こそが血の通っていない、存在するに値しない人間ではないのかと問いかけられているようにすら思えてくるのだ。
最後に同じ手法で制作された「Heat Maps」を出来れば写真集として見てみたい。
タイトル | リチャード・モス『INCOMING』 |
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出版社 | |
価格 | 6,200円+tax |
発行年 |
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仕様 | ソフトカバー/175mm×197mm/576ページ |
URL |
リチャード・モス|Richard Mosse
1980年、アイルランド生まれ。第55回ベニス・ビエンナーレでアイルランド代表として「The Enclave」を出展し、同作でドイツ証券取引所写真賞(2014)を受賞。グッゲンハイム・フェローシップや、ジャーナリズムの分野でピューリッツアー・センターから危機報道出版助成金などこれまで多くの助成を得て数々の作品を制作。「Incoming」の映像作品と関連する一連の作品は、「Heat Maps」というタイトルで2017年のPrix Pictet賞に最終ノミネートされている。これまでにルイジアナ近代美術館、ナシャー美術館、マサチューセッツ工科大学(MIT)、シカゴ現代美術館(MCA)、コロンビア・カレッジ・シカゴ現代写真美術館(MoCP)、モントリオール美術館、アイルランド現代美術館、ポートランド美術館、ミュンヘン美術館、ネルソン・アトキンス美術館、ストロッツィ宮美術館、レイキャビク美術館、バス美術館、ケンパー美術館、FOAM、The Photographers’ Gallery、ベルリン芸術アカデミー、ビクトリア国立美術館、ニューサウスウェールズ大学など世界中で展覧会が開催されている。ニューヨーク在住。
後藤由美|Yumi Goto
Reminders Photography Stronghold共同創設者、インディペンデントキュレーター。プロジェクトプロデュース、キュレーション、フォトエディッティング、リサーチ、出版など、写真に関する総合的なコンサルティングや教育プログラムに力を入れている。また、国際的な写真賞の審査、フォトフェスティバル、イベントのノミネーション、キュレーション及びプロデュースなどに多数関わる。
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2021年3月以前の価格表記は税抜き表示のものがあります。予めご了承ください。