2 February 2017

Interview
Kazuma Obara

物語を「語る」写真集はいかにして生まれたのか?小原一真の創作の原点を追うロングインタヴュー【前編】

2 February 2017

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物語を「語る」写真集はいかにして生まれたのか?小原一真の創作の原点を追う【前編】 | Interview Kazuma Obara

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東日本大震災後、務めていた金融機関を辞めてカメラを手に東北へ向かい、『Reset Beyond Fukushima』にまとめた小原一真。その後、第二次世界大戦の空襲の犠牲者についてのリサーチを、手製の写真集『Silent Histories』として発表。本作はFirst Photo Book Awardにノミネートされ、その後メキシコのEditorial RMから出版が決まった。小原の写真集によって語られる物語と、幾層にも織りなされる世界観は、いま世界から熱い視線が注がれている。彼は常に社会から「隠されてきた」問題に、ドキュメンタリーとフィクション双方の視点を通してアプローチする。初期作品から現在進行中の『Exposure』に至るまで、その写真集作りの秘密と、制作を突き動かす衝動のありかを探る。

インタヴュー=アイヴァン・ヴァルタニアン
構成=IMA
写真=高橋マナミ

―最初の写真集『Reset Beyond Fukushima』についてですが、これは東日本大震災の後、小原さん自身が福島第一原子力発電所の作業員となって内部を撮っている写真と、作業員の人たちのポートレイトから構成されているんですよね。この作品ができた経緯を教えてください。

2011年3月まで、金融業界でサラリーマンをしていましたが、岩手県出身で、栃木県の大学に通っていて東北に縁があったので、震災後、すぐに会社を辞めて物資とともにカメラを持って友達の家がある宮城県に行ったんです。そこから取材を進めていたときに、原発作業員の方に会いました。当時は原発内部の情報は閉ざされていて、マスコミは一切入れませんでした。作業員の人たちが劣悪な環境で働いていても、誰にも守られていない状況で。作業員として中の状況を見てみないかと、作業員の方に誘われたのをきっかけに原発の中に入ることを決めました。そのあと彼らの思いを伝えたい、状況を変えたいと、作業員のポートレイトを撮り始めました。

―原発内部ではどういうカメラを使ったのでしょうか?

カメラは隠して入りましたが、デジタルハリネズミという110フィルムに形が似ている、一見カメラに見えないような機種を持って撮ったり、ほかにはコンパクトデジカメで撮ったりしました。

『Reset Beyond Fukushima』(Lars Muller Publisher、2012年)より原発内部をトイカメラで撮影した写真

『Reset Beyond Fukushima』(Lars Muller Publisher、2012年)より原発内部をトイカメラで撮影した写真。© Kazuma Obara

―作業員の信頼は、どのようにして得たのでしょうか。

その人たちと酒を飲み交わしたりですね。東北出身なのも大きかったかもしれないですが、僕の思いも分かってもらえたんだと思います。交友関係を深め、彼らの家族とも会ったりしました。100人くらいにお願いして、最終的に撮影できたのは30人くらいでした。彼らが断る一番の理由はクビになるかもしれないから。日本をテーマにしたプロジェクトをやっていく中で気付いたんですけど、これはとても日本的なこと。被害者や犠牲者が声を出さずに、隠されていくのです。この次に作った『Silent Histories』では、第二次世界大戦の空襲で障がいを持った人たちをテーマにしています。

『Reset Beyond Fukushima』より原発敷地内の様子。

『Reset Beyond Fukushima』より原発敷地内の様子。© Kazuma Obara

―その状況を変えようとする小原さんは、写真の力を信じているんですね。写真はそういう可能性を秘めていると、確信を持っていますか?

はい。僕自身の経験が一番大きいですよね。写真を撮り始めたきっかけは、9.11でした。高校2年生の時で、イラクで大量に人が殺されている現実さえも、日本ではあまり報道されていなかったのですが、たまたまある写真家が撮った、イラクの劣化ウラン弾に関する写真集を見たんです。脳がない子供が産まれていたことを、それまで全く知らなかったことがショックで、それを教えてくれた写真というものの存在が、当時の僕には非常に大きかったんです。

―小原さんの写真に対する見方はドキュメンタリー的ですね。そもそも突然写真家になって、写真集が海外の出版社から出るのもあまり例のないことですよね。

確かに、ラッキーです。でも高校時代から写真は撮っていたんです。大学時代は中米、アフリカをバッグパッカーで撮っていたりしていました。日本の社会に出るときに、一度サラリーマンを経験するのも重要だろうと思って、金融業界に就職してみました。でも営業マンになってからも、写真のワークショップに参加したりしていました。

―例えばどういうワークショップに参加していたのですか?

『ニューヨークタイムズ』などで働いているフォトグラファー、高橋邦典さんのワークショップです。高橋さんと沖縄に行って米軍のことや文化、自然など、いろんな被写体を撮るものでした。震災直後に、高橋さんの撮影を手伝う機会があって、そこでは自衛隊へのアクセス、災害直後の被災者との向き合い方等を学びました。営業マンの経験と少し繋がっているところもあって、いまでも営業の経験は、特に日本での取材の際に非常に役に立っています。

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