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―資料として見せるために『写真週報』を3号分も複製しているのには、強い意図を感じます。
そうですね。たとえば「空襲時には家で座ってガスマスクをしていてください」というような、いま聞くと冗談のような話がヴィジュアル化されています。国の責任を問うことが裁判のひとつの論点だったので、これが最たるものですよね。複製を作ったのは、僕が神保町に行って古本屋さんで手に取った時の衝撃を伝えたいと思ったからです。
もうひとつ大切にしたかったのは、僕たちには見えない、感じられない痛みを感じられるようにすること。悩んでいたときに、たまたま一枚の写真に出会ったんです。この集合写真では、6歳で足を失った方が、自分の失った足の上をペンで黒く塗りつぶし、その後写真を折って膝から下を隠しています。この写真を見たとき、初めて自分の中で痛みを覚えて。レプリカを作って、僕がその写真を手に取ったときと同じような状態で、折って写真集の中に収めたんです。
『Silent Histories』に挟み込まれている集合写真。前列右から6番目の女の子の足元が黒く塗りつぶされている。
あともうひとつは、彼らがどのようにして傷を隠してきたのかを伝えること。空襲によって障がい者や孤児になった後、被害者は差別を受けてきました。それでも普通の人のように、公の場では振舞わなければならなかったんです。たとえば義足をつけて外を歩くときは、杖ではなく傘を持って歩くんですね。そういう細かいジェスチャーがいろいろとあって、傷は隠されているんです。彼らの傷を、今の日本社会で認識することはまず難しい。でももし、彼らの傷の隠し方やそのジェスチャーを皆が理解していたら、その人たちに対して何かできるかもしれない。
『Silent Histories』に収められたポートレイト。
―写真を撮る作業は、シャッターを切ったら終わりだと思いがちなのですが、小原さんの場合は人間関係が中心になっているので、前後のやりとりがものすごく重要ですよね。
裁判の資料となることが一番の目的だったので、「Supreme court edition(最高裁エディション)」と名付けて、最高裁に提出する際に、45冊だけ作りました。1945年という意味です。その後Editorial RMで出版が決まって部数を決めるときに、残りの1900冊を出すことになりました。
装丁に使ったツイードの生地は、彼らの職業を表しています。差別を受けたため一般の会社に勤めるのが難しく、男性でも家で洋裁の仕事をしていて、自分の家に籠っていたんです。
―過去のファウンドフォトと自分で撮影した写真を混ぜて見せながら、価値観をどう提示するかは、とても難しい作業だと思います。自身の中で葛藤は生じませんでしたか?
『Reset Beyond Fukushima』の後、自分の写真ではどうにもできない現実に直面していたので、使えるものはなんでも使いたかった。一番大切なのは裁判の資料として役に立つことでした。そして彼らの痛みを理解するにあたって、どういう順番で伝えたらいいのかを、第一に考えていました。人にが見せたくない部分、出したくないと一般的に思われていること、名前、顔、年齢を全部さらけ出す、自分が醜いと思っている傷を出すということをお願いしているわけですが、それらのリアクションは本が出版された後に僕が責任を負えない範疇に入るわけですよね。本人も悩みながら僕が撮らせてもらっているので、きちんと敬意を払って人と向き合う必要があると思うんです。
*【後編】へ続く
小原一真|Kazuma Obara
1985年、岩手県生まれ。2012年に写真集『Reset Beyond Fukushima』をLars Muller Publisherから出版。2014年に『Silent Histories』を手製写真集として自費出版。同写真集は『TIME』『Telegraph』「Lens Culture」などさまざまなメディアでその年のベストブックに選ばれる。同写真集は2015年に普及版としてEditorial RMより1900部出版される。2015年にロンドン芸術大学Photojournalism and Documentary Photography修士課程修了。World Press Photo 2015 People部門にて「Exposure」が1位に選ばれる。現在、小原一真と赤阪友昭によるドキュメンタリー写真のための長期ワークショップ「Regarding of the pain of others」の受講者を募集中(2月15日締切)。
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2021年3月以前の価格表記は税抜き表示のものがあります。予めご了承ください。