Interview
Kazuma Obara

物語を「語る」写真集はいかにして生まれたのか?小原一真の創作の原点を追うロングインタヴュー【後編】

Interview Kazuma Obara

―赤い表紙の方はどういった内容ですか?

赤いこの一冊は、偶然、僕の写真展で出会ったマリアという女性を通して、チェルノブイリの病気のことなどを伝えています。母の胎内で被爆したマリアは、甲状腺を取り除く手術を受けて、いまだに1日20錠位の薬を毎日飲んでいます。外から傷はまったくわからないけど、目には見えない問題を抱えています。だから想像しなくてはいけないんです。ロンドンの大学院では、チェルノブイリがどのようにヴィジュアル化されてきたのかをリサーチしてきました。2011年以降、チェルノブイリの立入り禁止区域に一般人の入場許可が降り、観光地化されると、冒険感覚で訪れてセルフィ―をSNSにアップしたりする若者が増えてきました。また、チェルノブイリで生まれたゾンビを倒すコンピューターゲーム、ホラー映画などの作品も生まれ、過度に演出されたヴィジュアルが世に浸透していきました。すでにチェルノブイリをエンタテイメントとして受け取る世代が出てきたときに、僕は真逆のイメージを作りたいと考えていました。

そんなときに、プリピャチを案内してくれたガイドから、被ばくしているフィルムをもらったんです。フィルムの製造年月日が1991年と90年で、約30年使用されていなかった。最初に撮影したときに、たまたまラッキーなアクシデントが起きたんです。通訳の人に露光時間が4~5分といわれたんですが、間違いだったみたいで露出過多で何も写っていなくて真っ白だったんです。元々カラーフィルムなんですけど、白黒現像によって像が現れることが分かりました。コンピューターでスキャンすると、ヒストグラムに微かに黒が残っていて、それを調整したら唯一このマリアを撮った写真だけが像が出てきたんです。しかも僕が作りたいと思っていたイメージに近いと思いました。

『Exposure』より、マリアのポートレイト。© Kazuma Obara

『Exposure』より、マリアのポートレイト。© Kazuma Obara

今回の写真集には新聞の複製も入れています。廃墟となったプリピャチのアパートで発見したのがこの新聞で、1986年の4月26日の日付のものです。これは事故当時も人々が現場でそのまま生活を営んでいた証であり、旧ソ連が情報を隠していたという証拠です。そして、時間の流れを感じさせる意味で複製を作りました。

『Exposure』に収められた古い新聞の複製。

『Exposure』に収められた古い新聞の複製。

―こういうテーマを扱っていると、被写体に対しても責任が生じますし、それを不安に感じることがあるかもしれませんが、その点についてはどうですか?

僕の不安は、出版によって彼らに何か悪いことが起きるのではないか、ということです。あとは彼らの思いと、僕がやっていることが実際に違っていないかです。そのため発表する前に何度も見せていますし、ダミーブックも20冊、30冊は作ります。リサーチ初期の、まだ集めた写真がほとんどの頃から毎月ダミーを作っています。

前作『Silent Histories』で良かったのは、プロジェクトの初期段階からダミーブックを作っていたことなんです。自分の欠けているピースがよく見えてきて、次にどこに進んだらいいのかが分かりやすくなるんです。作っていると空白ページがたくさん出てくるんですよね。ただ、このイメージを撮らなくてはという前提ができると、そのイメージを越えられない可能性があるので、危険でもあるのですが。