Talk
Eiki Mori × Toshimitsu Kokido

対談 森栄喜×小木戸利光
記憶・声・家族─写真家の眼差しの先にあるもの

Talk Eiki Mori × Toshimitsu Kokido

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俳優・モデル・歌手と多岐にわたり活躍する小木戸利光によるエッセイ集『表現と息をしている』の出版を記念し、装丁に使われた印象的な写真を撮影した森栄喜と、小木戸の対談が行われた。装丁に使われたカットは、二人が初めて話した日に撮られたものだったが、小木戸はどうしてもこの写真を使いたかったという。小木戸が森の写真に心を奪われた理由とは?『表現と息をしている』の拡張版ともいえる作家と小木戸の対話。話が進むうちに、二人が共有する価値観が浮かび上がってくる。

文=石神俊大
写真=高橋マナミ

森栄喜(以下“森”):装丁に使った写真は、別れる直前の2、3分ぐらいで撮ったんだよね。僕、人と初めて会うときは必ず写真を撮るようにしているんです。初めて会った瞬間って二度と戻れないので。動いて距離感を変えながらイメージと時間を1コマのフィルムに重ねるという撮り方をしてるんですけど、小木戸くんのイントロダクションにもなる本の装丁に、きちんと顔が写っていなくて大丈夫なのかなって、他人事ながら少し心配したんですよ(笑)。

小木戸利光(以下“小木戸”):装丁に写真を入れる案が挙ったときに、パッと栄喜さんのあの1枚が頭に浮かんで、すぐにご連絡をしました。それくらい僕にとっては、被写体として、つよく心を動かされた写真でした。撮影後に栄喜さんからこの写真が送られてきたとき、僕はそれを見て、自分の魂みたいなものが写真のなかでとらえられたと感じたんです。僕そのものが撮られたような感覚で、会話ではつかめない核心のようなものが写真でとらえられたと感じました。目には見えない命の連なりによっていまの自分が成り立っているとして、その見えないものが写っていると感じたのです。

© Eiki Mori

© Eiki Mori

森:この本はいろいろな時代や人の記憶を受け取って発信したりするような内容だから、結果的にはぴったりだったと思います。僕はちょうど帰省の新幹線に乗っているときに読んだんです。だから小木戸くんのおばあちゃんに関する話には心が寄り添ってしまって。僕の父は七人兄弟の末っ子なので、祖父母とのやり取りがほとんどなくて、小さい頃は特に満たされなさのようなものを抱えていたんです。だから実家に帰ってお祭りのお囃子を聞くとおばあちゃんへの焦がれみたいなものを常に思い出してしまう。だけどこの本を読んでいたら、僕の記憶に小木戸くんのおばあちゃんの記憶が重なるような感覚が生まれたんです。追体験のような感覚。

小木戸:それはまさに、この本を通して僕がやりたいと願っていたことのひとつです。僕のストーリーと僕ではない人のストーリーがあって、そのすごくパーソナルなもの同士が重なり合うことによって新しいストーリーが生まれるスペースができたら嬉しいなと思っています。栄喜さんの中にある、栄喜さんとおばあちゃんのストーリーがまるで更新されたかのようで、本を読んでいただけて本当に良かったなと感じました。ありがとうございます。自分の生み出したもの=表現が響くことによって、普通なら自分の手の届かない、他者の中に新しい空間や物語が生まれうるのだとしたら、それは素晴らしいことです。

森:確かにそれはあるかも。実際には持っていない記憶を持っているような感覚になって、馴染んだんだよね。小木戸くんがおばあちゃんについて思い出したことを素直にそのまま書き留めていることで、僕にも響く魔法のようなものを感じたというか。文中に意図的なフックみたいなものを用意してる気配がちょっとでもすると嫌じゃない?

小木戸:ある種の作為みたいなものですよね。

森:僕も演出をなるべく排除したくて。自分の作品はその点すごくシンプルだと思ってたんだけど、以前面白いことがあって。写真集『intimacy』の中に、すごくいい位置に吉本ばななさんの『哀しい予感』の文庫本が写り込んでいる写真があったんだけど、何人かに「なぜあえて『哀しい予感』を入れたの?」といわれたんですよ。単にばななさんが好きで読み終わったからそこにあって、そのまま撮っただけなのに。写真の中に写り込んでいる言葉って強いし受け手もいろいろなストーリーをきっと感じてしまうのかも。外した方が自分の求めている“自然”な写真になったのかなとも思ったんだけど、一方で本をわざわざ外すのは自分にとって不自然なことだし、そういう摩擦のようなものが面白いなと思いました。

Interview Yoshiyuki Okuyama

小木戸:写真を通して浮かび上がってくるものって、栄喜さんご自身の意図をも超えるものがあるのでしょうね。栄喜さんの写真には恐れや恥じらいやくるおしさ、眩しさやときめきや美しさなどなど、あらゆるものが写っています。僕はそれらに触れることによって、自分はやはりどこかで傷つかないようにして生きているのだと思い知らされるような体験をしました。写真を鑑賞することって、まるでその時だけその人の秘密の世界に触れることが許されるかのようで、その世界を見るのは動悸がするほどに素晴らしいことです。

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