7 April 2021

上田義彦初の映画『椿の庭』で描く生と記憶の物語

7 April 2021

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上田義彦初の映画『椿の庭』で描く生と記憶の物語 | 上田義彦初の映画『椿の庭』で描く生と記憶の物語

数多くの広告写真を手がける一方、人物の気配をとらえるポートレイトや原生林を撮影した作品など、その卓越した美学で高く評価される写真家・上田義彦が、監督・脚本・撮影を務めた『椿の庭』が、4月9日(金)に全国順次公開される。庭の草木を愛でながら長年住み続ける日本家屋を守る絹子と、絹子の娘の忘れ形見である孫娘・渚、さらにもう一人の娘・陶子という3世代の家族を軸に、巡りゆく季節ととともに撮影に一年をかけて描き出した、はかなくもかけがえのない「生と記憶」の物語。構想から15年、映画を通して上田が描きたかったものについて、その思いを聞いた。

文=小林英治
写真=高橋草元

見慣れた風景が無くなることの喪失感

―この映画の着想のきっかけは、上田さんが散歩の道すがらいつも見ていた家が、ある日突然なくなっていたことにショックを受けたという、15年ほど前の体験が元になっているそうですね。

上田義彦(以下、上田):僕はけっこう家を見るのが好きなんですよ。歩いていて、庭の木の姿が良いとか、そこに行くと急にひっそりとするとか、いい佇まいの家だなと思ってしまったりすると、そこを通るたびにチラッと眺めてしまうんですね。それがある日、あたりの雰囲気がいやに明るくなっていて、「あれ?」と思って近づくと、塀も木も家も何もなくなっていて、風景が完全に変わってしまっていたんです。地面が掘り起こされて、ゴロゴロとした土がむき出しになってしまった姿を見て、ものすごい喪失感を覚えました。

―それは知らない人の家ですよね?

上田:そうです。誰がそこに住んでいるかも知らないのに、何か大事なものを唐突に失った感じがして。こんなに心に穴が空くんだ、何でなんだろう?って。それがきっかけなんです。

―その気持ちを忘れないように文章で書き留めたということですが。

上田:はい。そんなことに繊細に反応し始めたのは、どうも子どもができてからじゃないかと思うんです。うちは4人もいましたから、小さい命がちょこちょこしていて危なっかしくて、ちゃんと守らないといけないなと。それで日常の家族写真を撮ったり文章を書いたりするようになって、当時は特にそういうことを考えていたので、その無くなった家の内側にあったはずの営みを考えると、更地になった風景はあまりにもはかなくて。それで、こういう気持ちを何かにしたいと思って書き始めたんだと思います。そこから時間が経ち、また書いては忘れ、書いては忘れとしているうちに、あるとき、この思いを形にするには映画という手法がいいんじゃないかと思ったんです。


奥行きを意識した独特のアングル

―物語が始まる最初のカットから、「見る」ということを意識させるショットが続いて、写真家ならではの映画だなと思いました。

上田:まさしくそうですよね、「見る」っていうことは。

―大きく分けると特徴的な3種類のショットがあると思います。ひとつは庭の草花や虫をじっと見つめるような正面からのショット、ふたつ目は空や海など遠景を眺めるようなショット、そして3つ目が人物を写すショットですが、そこでは人物を真正面から撮るということはせずに、必ず横か角度をつけて斜めからとらえています。

上田:それは、僕の癖だと思いますね。人の真正面に立たずに少し逸らすことで、何か気配のようなものを撮ろうとしてると思います。どうしても正面に立つと、気配よりも人の眼がすごく気になってくるというか、周辺が何にも見えなくなってきて、眼だけを見てしまうような気がするんですね。それよりも、全体を見ていたい。そういう癖だと思います。

© 2020“A Garden of Camellias” film partners

© 2020“A Garden of Camellias” film partners

© 2020“A Garden of Camellias” film partners

―その全体でとらえた画面も、例えば中央に人がいる場合、その左右には障子や壁があったり、手前に庭の木や花が入りこんでいたりと、部屋やその人のいる空間ごと収めていることが多く、人物のアップも少ないのが印象的でした。

上田:それは奥行きをすごく意識しているからだと思います。奥行きを意識するのは、その方がその場の事実が写っていると思うからなんですよ。何かが手前にあって、奥に人がいて、そのまた奥に別の人が動いていたとしたら、その空間というか、「ここで起きていることは真実なんだな」と分かりますよね。信用できるというか、確かにあったんだなって。「ある」ということを、自然に認識するというか。

―「それはかつてあった」(ロラン・バルト)と。

上田:映像の場合は、編集で次から次へカットを割っていけば、別々に撮影した人が同じ空間に同居しているように見せることが簡単にできますよね。ただ、僕は思うんですが、「このことはちゃんとあったことなんだな」と信用できるということは、撮る上で結構大事なことじゃないかなと思っているんです。


俳優たちとのそれぞれの出会い

―説明的な台詞を排し、それぞれの胸の内の機微を見事に演じる俳優たちが素晴らしかったですが、まず主演の富司純子さんは、どのように選ばれたのでしょうか?

上田:この脚本ができてからの話ですけど、キャスティングとは別の機会に、偶然、劇場で少し遠くからその姿をお見かけする機会がありまして、そのときに、「ああ、この人だな」と思ってしまったんです。それで、後日あらためて富司さんにお会いして絹子役をお願いしました。

―撮影で富司さんがお召しになっている着物はご本人のものだそうですね。

上田:そうなんです。普通は映画で衣装合わせをしますけど、最初にお見かけしたときの着物姿が素晴らしくて、やっぱりこのままがいいんじゃないかなと思ったんです。着物はたくさんお持ちだろうから、拝見させていただけないでしょうかとお願いして、ご自宅の稽古場で並べられたたくさんの着物から、季節ごとにこの物語にふさわしいものを一緒に選びました。予算の面を考えても、通常ではあり得ない贅沢なことをしたと思います。

© 2020“A Garden of Camellias” film partners

© 2020“A Garden of Camellias” film partners

―絹子と暮らす孫娘の渚役のシム・ウンギョン(沈恩敬)さんはオーディションだったのでしょうか?

上田:シム・ウンギョンさんは、この映画のエグゼクティブプロデューサーの畠中(鈴子)さんに紹介していただいたんです。脚本では渚は12~13歳くらいの設定でしたが、このキャスティングは難航するなと当初から思っていました。役者を目指している子ではないんじゃないか、誰か見つかるだろうかと、雲を掴むようになってたところもありました。シムさんにも最初にお会いしたとき、日本語がまだつたなかったのですが、通訳を介さずに自分でしゃべろうとしていて、その分、ひとつひとつの言葉や単語にとても思いがこもっていたんです。話をしていたら、だんだん彼女に出てもらえたら良いものになるかもしれないと思えてきて、どうして渚が日本語が片言なのかを説明できる設定にして年齢も変え、脚本を少し書き直して出演していただきました。

―鈴木京香さんとはこれまでに何度かお仕事をされていますね。

上田:はい。広告で何度もご一緒していて、もし自分が映画を撮るなら絶対出て欲しいと、以前から思っていた方でした。特にこの脚本ができてからは、広告の現場でも、撮りながら絶対に京香さんが陶子の役だと思いながら見てました(笑)。


日本家屋の佇まいを自然光で撮影

―この映画は3世代の女性をめぐる話でもあると思いますが、それは意図的なものだったのでしょうか?

上田:制作時には意識していなかったのですが、自分が育っていく中で、祖母がいたり母親がいたり姉がいたりして、また自分の家庭を持てば妻がいて娘がいてと、女性たちが常にまわりにいたんですね。そういう意味で、女性に影響を受けたというか、自分にとってものすごく大きい存在だと思います。だから自然とこういった映画になったんじゃないかなと。

© 2020“A Garden of Camellias” film partners

© 2020“A Garden of Camellias” film partners

―例えば、花や庭などこの映画で重要なモチーフとなっているものも、そういった女性たちとの験や記憶と結びついているのでしょうか?

上田:そうですね。祖母がすごく花が好きな人で、生活の中で、これは何の花でと何気なく教えてくれました。僕が「何の花?」と聞いた憶えはないんですけど、話の中にいつも花や庭の話があったと思いますね。金魚も実際の家にいました。水槽で飼うような観賞用のものじゃなくて、色のついたフナに近いようなものが小さな池の中にいた記憶があります。

―昆虫など生き物はどうですか?

上田:虫は、子供の頃から僕自身が好きでした。採集するではなくて、じっと見ているのが好きだったんです。アリの行列をしゃがんでずっと見ていたり、止っている虫が次にどっちの足を出して動きだすかをじっと観察していたり。そういう、全部が自分の記憶の集積でできています。

―そして、家族の記憶の宿る場所としての家があると。

上田:はい。光についても同じことがいえると思います。日本家屋は、縁側や軒から光が入ってきて、障子を通して入ってきた光の中に、例えば人が座っている。そういうところに家の独特の佇まいが生まれるので、今回は絶対に照明を使わないで撮影しようと決めていました。突然照明をバンと当てられてしまうと、目の前の世界がいとも簡単に壊れてしまうということを、広告の仕事でよく経験したものですから、この映画には絶対そういうものは持ち込まないぞと。そのことでもちろん制約も生まれるのですが、それよりは、家の中に入ってくる自然の光の方が大切なので、そちらを優先しました。屋内で俳優さんが演じているシーンはすべてフィルムで撮影しています。

―微細な光の違いや影による季節の移ろいも見事にとらえているのが分かります。

上田:俳優たちが写っていないシーンでは、例えば雲や海の表情だったり庭の表情だったり、その部分も全部見逃さないように撮りたいと思ったので、ほんとに一年間ずっとこの家に居て、定点観測のように毎日撮っていました。だから屋根瓦をバーッと舐めていくような嵐の雨も撮れたし、雷が海の上を走るシーンも実際に撮ったものです。


東アジアの映画を撮りたかった

―見ているうちに、こちらの記憶も呼び起こされてくる場面が何度もありました。例えば、新聞を畳の上に広げて窓際で読むとか、布団を並べて敷いて寝ながら話すとか。

上田:僕は新聞を読んでいる女性の姿が好きなんですよ(笑)。布団も、畳の上に敷いておるから、「あのさ…」って普段話さない会話が始まるんですよね。そんなことの集積だと思うんです。庭の経験もそうですし、雨や風といった音の経験も大きいです。一つひとつの些細なことを、フィルムの中に閉じこめて、ちりばめて、1本の映画にできないかなと思いました。

© 2020“A Garden of Camellias” film partners

© 2020“A Garden of Camellias” film partners

―映画の中に漂うアジア的な風土を共有しているという意味でも、シムさんやチャン・チェン(張震)が出てくるのも自然な感じがしました。

上田:日本を舞台にした話ですが、いまは、韓国の人も中国の人も、いろんな国の人が日本で暮らしていますよね。チャン・チェンには税理士という役で出てもらいましたが、実際に調べると中国系の税理士さんは日本にたくさんいるんですよ。だから、これはそういう意味で、いまの映画だと思います。特に意識したわけではなく、チャン・チェンも10年来の友人で、自分の映画には絶対出てもらいたかった人だったし、シム・ウンギョンさんもさっき話したような出会いがあって、自然に集まってきたキャスティングなんですが、もうひとつ僕がこの映画でやりたかったのは、東アジアの映画を撮るということだったんだなと思います。

タイトル

『椿の庭』

公開日

2021年4月9日(金)

劇場

シネスイッチ銀座ほか、全国順次公開

URL

http://www.bitters.co.jp/tsubaki/

上田義彦|Yoshihiko Ueda
1957年生まれ、兵庫県出身。写真家、多摩美術大学教授。福田匡伸・有田泰而に師事。1982年に写真家として独立。以来、透徹した自身の美学のもと、さまざまな被写体に向き合う。ポートレイト、静物、風景、建築、パフォーマンスなど、カテゴリーを超越した作品は国内外で高い評価を得る。またエディトリアルワークをきっかけに、広告写真やコマーシャルフィルムなどを数多く手がけ、東京ADC賞最高賞、ニューヨークADC賞、カンヌグラフィック銀賞はじめ、国内外のさまざまな賞を受賞。作家活動は独立当初から継続し、2020年までに38冊の写真集を刊行。近著には、Quinault・屋久島・奈良春日大社の3つの原生林を撮り下ろした『FOREST 印象と記憶 1989-2017』、一枚の白い紙に落ちる光と影の記憶『68TH STREET』、『林檎の木』などがある。2014年には日本写真協会作家賞を受賞。同年より多摩美術大学グラフィックデザイン科教授として後進の育成にも力を注いでいる。

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