現在、自身初の大規模個展「毎日写真1999-2021」を国立国際美術館で開催中の鷹野隆大。本展では、セクシュアリティを扱った初期の代表作「IN MY ROOM」から、カスのような街並みを集めた「カスババ」シリーズ、影について考察した写真群、そしてソルトプリントを使った最新作まで、鷹野の近年の制作を中心に振り返ることができる。一方、緻密に配置され、見ることとは何かを観客に問いかける展示空間も見どころだ。その多様なアプローチから、一見掴みづらく感じるかもしれない鷹野の展覧会をひとつひとつ解剖しながら、本展にあたっての彼の意図やその背景を聞いた。
インタヴュー=アイヴァン・ヴァルタニアン
構成=IMA
写真=大久保歩
-今回の展示について、展示室ごとにお話を聞かせていただけますか?合計130点弱が展示されているとのことですが、もっと多く感じます。
今回の展示は、大きく分けると5つの部屋で構成されています。最初の一室には、東日本大震災前に発表した仕事をまとめていて、木村伊兵衛写真賞を受賞した「IN MY ROOM」、震災の直前に発表した「カスババ」をメインに展示しています。「カスババ」はカスのような場所、略してカスバを複数形にした私の造語。今回の展示タイトルでもある「毎日写真」と名付けた写真群の中から、街の写真を選び出して編んだシリーズです。『カスババ』の写真集を刊行したのが2011年の1月1日でした。日本の街並みに対する自分のスタンスが確定し、発表したのが偶然にも震災の年だったんです。同時に「カスババ」は2001年から2010年までの、ちょうど21世紀の最初の10年間の写真群なので、色々な意味で区切りの作品なんです。
鷹野隆大「毎日写真1999-2021」展示風景 撮影:表恒匡
-「IN MY ROOM」が部屋の真ん中に壁を立てて飾られていて、「カスババ」は外の壁に展示されています。ふたつの作品が、見る人と写真との関係性を考えて構成されていると思います。
最初に担当学芸員の中西博之さんと部屋の真ん中に壁を立てる話をしたときに、直感的にセクシャリティにまつわる写真を置きたいと感じました。プライベートな写真なので、真ん中にある方が、見た人も感覚的にわかりやすいのではないかと思いました。
「IN MY ROOM」は男女の区分について問いかけるシリーズです。自分も含めて、人は女であるとか、男であるという自意識に基づいて自分の行動規範を定め、細かい行動のひとつひとつまでをその基盤の上に乗せているのではないか、そういったことを視覚表現で問い直す試みです。何か具体的に人が写っていると、ほとんど自動的に女か男かを考えてしまいますが、そんなとらえ方の再考を促すと同時に、そうしたことを理屈で判断するのではなく、ある種の性的な要素を入れ込むことによって、より生々しい実感として性差の問題・性のあり方を考えるきっかけになるのではないかと思っています。
―ふたつめの部屋にはモノクロの作品が展示されているテーマがシフトしています。
東日本大震災の直後に撮っていた写真です。震災後、写真が撮れなくなっていた時期がありました。「カスババ」など、街に対する感覚が鋭敏になっているという充実感を抱いていたときに震災が起き、津波が街を一瞬で消し去ってしまった。街を見て50年前や100年前を想像して楽しんでいたのに、千年に一度という地震が起きて、100年という単位がいかにちっぽけかを思い知らされ、時間のとらえ方がわからなくなってしまいました。写真もせいぜい180年くらいの歴史しかないので、千年単位で考えると本当に微々たるものです。そういった混乱の中にあったとき、足元に何か絡まっていると思って飛び退いたら、自分の影でした。それから影を意識するようになったんです。
モノクロで撮った理由ですが、影は光が届かない部分ですよね。モノクロのフィルムにおいても、フィルムに塗ってある銀が洗い流されたところ、欠落しているところが影になるんです。光が欠落している部分と、銀が欠落している部分が同じように影として表現されるのです。撮り始めたときには気付いていませんでしたが、このようにモノクロフィルムと影が構造として似ていることを直感的に感じたからだと思います。
こうして、震災後に少しずつ写真行為を再開しました。でも、しっかりピントを合わせて撮ることが体感的にしっくりこなくて、ピントがボケている写真をたくさん撮りました。後から気づいたのですが、ピントが合っていない方が画面に奥行を体感させる為には良かったんです。この時期は、写真において奥行きを再出現させることが重要でした。立体感はずっとテーマでもありましたし、2次元と3次元の関係を表現しようとしていました。
鷹野隆大「毎日写真1999-2021」展示風景 撮影:表恒匡
―空間というテーマは、この展覧会を通して多面的に取り上げられていますよね。ものに対する距離感、人間同士の距離感、プリント間の距離感、作品と作品を見ている人との距離など、すごく計算されています。2次元と3次元の関係を通して、写真がどのように空間を表現できるかについて問いかけていることを感じさせられます。
そうですね。2次元と3次元の関係や平面にすること、視覚についての問題は、この展覧会の大きなテーマです。例えば、セクシュアリティ、性差の話は社会・文化的な要素がすごく強い。街の写真はもちろん、ちょっとした身近なものを撮ったものにも社会的な文脈が入ってきてしまいます。あらゆるものが社会的なシステムに組み込まれている中で、このような視覚の問題はそこから距離を置いています。何かを考えるときに、社会的なシステムに左右されることなく、より確かな起点になるからこそ、自分はここから「見る」という行為を積み上げて行こうとしているのだと思います。改めて考えてみると、社会性や文化的要素と異なるところに意識を向けた作品を作り始めたのは震災以降になります。自覚はありませんでしたが、やはり震災が大きな転機となっていた気がします。
-「カスババ2」も同じふたつ目の部屋に展示されているのでしょうか?
「カスババ2」は震災以降の写真で、3つめの部屋に展示しています。この部屋は「カスババ2」やスナップショットをメインに集めた部屋です。最初の「カスババ」が一区切りついた後、街について自分なりに次の展開を見つけた作品が「カスババ2」です。それと、2枚組で写真を並べている壁があります。写真を見るときに一枚で完結する場合もありますが、複数の写真を組み合わせることで色々な広がりを持つことがありますよね。組み合わせるパターンとしては、「時間の前後」、「視線の移動」、「イメージが何らかの繋がりを感じさせるもの」です。あとは20年くらいずっと同じ位置から撮っている東京タワーの写真と、真ん中には仮設の柱を立てて、日々のスナップショットを展示しています。
鷹野隆大「毎日写真1999-2021」展示風景 撮影:表恒匡
―柱の間が歩けるようになっていて、展示位置も高さが調整されています。順路が書かれておらず自由に歩けるので、鑑賞者が写真を見ている位置によって、写真の組み方が変化し、新たな構図が生まれて、作品を展示することと、見せ方に作品性を吹き込むことのコラボレーションを感じると思います。
基本的に写真を撮るときにはひとつの時間にしか向き合えませんが、壁に写真が並ぶと複数の時間を同時並行で見ることになりますよね。このスペースではそういう体験にならないようにしたかったんです。ひとつの時間、ひとつの写真と向き合いながら見てもらいたかった。距離があるので、目を別のものに転じる形で隣の写真を見てもらう、そんな写真との付き合い方です。
4つめの部屋は「毎日写真」の中から、影の写真を集めて3つのセクションに分けて展示しています。ひとつは『光の欠落が地面に届くとき距離が奪われ距離が生まれる』という写真集を中心に構成しています。真ん中のセクションには、晴れている日に東京タワーを撮る際、一緒に撮っている自分の影の写真「日々の影」を展示しています。2011年の震災後に撮り始めたので膨大にあるのですが、その中から今回は2020年の1、4、7、10月の4カ月、春夏秋冬に撮影した写真のみを展示しました。
―この作品(「2018.11.14.#05」)は、メインヴィジュアルになった理由は?
これは東京タワーを撮り終わった後に撮ったもので、写っているのはカメラケースの影なんです。カメラをケースに戻すときにこの影がふっと目に入りました。プリントされた写真を見て、ケースの真ん中が抜けて、ちょっとレンズみたいに見えることや、左側の三脚の影が三脚そのものに見えたりと、普通に平面を写しただけなのに不思議な立体感が現れている気がして、今回のテーマに合っていると思ったからです。
《2018.11.14.#05》2018年 ©︎ Ryudai Takano, Courtesy of Yumiko Chiba Associates
―鷹野さんは劇的なものやスキャンダルを探して撮ろうとしているのではなく、偶然出会ったものを撮るスタンスだと思います。特別な瞬間ではありませんが、ある意味ではその日にしか出会えない決定的瞬間の写真でもあります。
確かに、この写真のような瞬間がいつもあるわけではありません。11月の太陽の位置だからこそ、この光景が現れたのだと思います。同じ光には狙っても出会えないんです。そういう意味ではいつも地味に決定的な瞬間ですね(笑)。
―作品には必ず日付が入っているのが鷹野さんの中でルールみたいです。
すべて日付で区別しています。識別番号といってもいいかもしれません。常に頭の中で時間を意識して、写真を撮っているので、何月何日に撮ったものなのかは私の中でとても大事なことです。
5つめの最後の大きな部屋では、カメラを使った写真ではなく、影をそのまま印画紙という感光材に採集するようにして残した作品を展示しました。いくつかのパターンがあるのですが、ひとつは立体になった状態の影を展示しています。壁に投影された影が、地面にも映っていると立体になるんです。
鷹野隆大「毎日写真1999-2021」展示風景 撮影:鷹野隆大
-この展覧会では、身体と空間の関係性が何度もモチーフとして出てきます。この作品もそうですし、展示の入り口付近にある、蓄光シートという感光材の貼られた部屋でストロボが焚かれることで、鑑賞者の影が一時的に壁に残る「欲望の部屋」にもよく表れています。
自分の影が自分に付いて来ず、壁に張り付いたまま残っている状態は私も経験がありませんでしたし、多くの人にとっても初めての経験だと思います。自分の影を客観物として見る経験を、ここで体験して欲しいと思います。今回の展覧会は難解だという声を聞きますが、「欲望の部屋」は、ある種アトラクション的なわかりやすさがあると思います。8月3日からは同じ手法を用いて舞踏家の方とコラボレーションした映像作品「RED & GREEN」を東京・北千住のBUoYで発表します。
鷹野隆大「毎日写真1999-2021」展示風景 撮影:表恒匡
―「欲望の部屋」では、作品の中で普段とは違う人間関係が生まれています。新作では、人工光源ではなく自然光でソルトプリントの制作を始められたと聞きました。
人工光は点光源なので虚構性が影に漂います。一方、遥か彼方から降り注ぐ太陽光は光源との距離が常に一定で、地面に平行に降り注ぎます。このように圧倒的な質を持った太陽の光の影をとらえたい思いがありました。しかし、印画紙は性能が良すぎて、太陽光を当てるとあっという間に感光して真っ黒になってしまいます。そこで、性能の悪い古典技法であれば感光しづらいのではないかと考えました。銀に塩を混ぜて紙に塗り、感光性のある紙を作るソルトプリントという古典技法を使いました。カメラは一切使っていません。
鷹野隆大「毎日写真1999-2021」展示風景 撮影:表恒匡
―輪郭の差によって距離感が生まれ、外で制作されたものではありますが部屋・空間の概念が作品の中に表れているように感じます。この作品は、影の写真ではなく影そのものだと思います。
カメラを使った写真と違って、これは印画紙の上に落ちた影がそのまま跡として残っています。写真を撮るとき、普通はカメラを通すことによって別物に変換していますが、影をそのまま残せる可能性があるのに、わざわざ写真に撮って別物にするのはまどろっこしい作業だと感じました。いってみれば、写真にするという虚構性を抜きにして、平面に現れる空間性をそのままとらえる試みです。私はここで、純粋に記録を取っているだけです。
《2021.04.10.Ps》2021年 ©︎ Ryudai Takano, Courtesy of Yumiko Chiba Associates
このソルトプリントは今年4月に制作した新作ですが、最後の部屋ではもうひとつ、毎日撮影している東京タワーの中から、ソルトプリント制作日の前後に撮った80枚をスライドショーで流しています。
鷹野隆大「毎日写真1999-2021」展示風景 撮影:鷹野隆大
―東京タワーを撮り始めたきっかけは何でしょうか?
実は東京タワー自体に特別な意図はありません。毎日写真を撮ることをルーティーン化したいと考えたときに、天気を記録しようと思いました。目標もなく撮ると、続かなさそうだったので東京タワーというひとつの目標を作りました。毎日同じ場所からネガフィルムとポジフィルムの両方で撮り、今回はそのポジフィルムを使ってスライドショーにしています。この場所で撮り始めたたのが2001年で、ポジを撮り始めたのが2007年から。東京タワー周辺の街にもいろいろな変化があります。ネガとポジは違うカメラを使い、「日々の影」は専用のカメラで撮っているので、晴れている日はカメラ3台と三脚をもって屋上に上がります。
―この展覧会を通して、鷹野さんが色々な角度から写真とは何であるかを問いかけているように感じました。手間のかかる古典技法を使って、何日間もかけてひとつの作品を作るのは、写真への挑戦的な問いかけの作業ではないでしょうか。
確かに、この展覧会は色々な形で写真についての考察をしています。写真というものは、基本的には3次元の立体空間を平面化する作業だと思います。平面化抜きに写真は成立しません。そのとき現れるものは何なのかということも探求していることのひとつです。それから、写真を撮ることは所有欲だと私は思っています。過去には所有できなかったはずの空間や時間を、別の形に変形するにしろ、所有することを可能にしたのが写真です。蒸気機関の誕生などにより近代は様々なものの拡張を人類にもたらしました。ほとんど語られていませんが、その点、欲望の拡張を人類にもたらした写真は、近代の拡張主義を支えた主要な技術のひとつといえるように思います。
―私個人の感想ですが、この展覧会は過去の作品を振り替えてみる側面もがあるけど、それより過去の作品を素材にして、展覧会自体がひとつの巨大な作品だという印象が強いです。そして一番主軸となるテーマが鷹野さんが先ほど仰ったように、写真に含まれる可能性と本来の性質に対する問いかけです。つまり、「答えよう」「定義しよう」というスタンスより、多面的に質問を暗示してもらう展示だと思いました。良い意味で未完成です。そういうニュアンスを感じさせることが、私にとっては、この展覧会の頂点ではないかと思います。是非多くの人に見に行って頂きたいと思います。
▼展覧会
タイトル | 「鷹野隆大 毎日写真1999-2021」 |
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会期 | 2021年6月29日(火)~9月23日(木・祝) |
会場 | 国立国際美術館(大阪府) |
時間 | 10:00~17:00(金土曜は20:00まで/入場は閉館の30分前まで) |
休館日 | 月曜(8月9日、9月20日は開館し、8月10日は休館) |
料金 | 【一般】1,200円【大学生】700円 |
URL |
タイトル | 「舞踏ニューアーカイヴ展」 |
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会期 | 2021年8月3日(火)~8月15日(日)*日時指定事前予約制 |
会場 | BUoY(東京都) |
時間 | 14:00~20:00(土曜は13:00~21:00/日曜は11:00~18:00) |
URL |
▼イベント
タイトル | 「鷹野隆大 インストア」 |
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日程 | 2021年7月29日(木)~8月29日(日) |
会場 | NADiff a/p/a/r/t(東京都) |
時間 | 13:00~19:00 |
URL |
鷹野隆大|Ryudai Takano
1963年福井県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。「セクシュアリティ」「都市」「近代」などのテーマを基軸とした作品を多数発表してきた。2006年、男性ヌードなどを通してセクシュアリティを問う写真集『In My Room』(2005)で第31回木村伊兵衛写真賞受賞。これまでに発表した作品に、1998 年から毎日欠かさず何気ない日常を撮り続ける「毎日写真」シリーズや、裸身の鷹野と被写体がともに並ぶポートレイト写真「おれと」シリーズ、地面や壁に映る、都市を行き交う人々の影を撮影した「影」シリーズなどがある。2010年に鈴木理策、松江泰治、倉石信乃、清水穣らとともに、企画展やレクチャーを行う「写真分離派」を設立。これまで参加した主な展覧会に「愛すべき世界」(丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、2015-16)、「総合開館20周年記念 TOPコレクション『シンクロニシティ-平成をスクロールする 秋期』」(東京都写真美術館、2017)。