ピンク色のクロスのポップな装丁の本を開くと、生き生きと楽しそうに振る舞うトランスジェンダーたちの姿が現れる。タイトルは『70’s Tokyo TRANSGENDER』。昭和の新宿や赤坂、青山でゲイバーやゲイクラブで繁華街の徒花として、アンダーグラウンドな世界で活動していた彼らを撮影したのは、当時20代だった写真家・二本木里美。荒木経惟の初期作品「ゲリバラ ファイブ」にもゲスト参加するなど、活発なアーティスト活動をしていた彼女の作品が写真集の形で半世紀を経て世に出たいま、写真家になった経緯から撮影当時の裏話までを語ってもらった。
文=若山満大
―生い立ちについて教えてください。
小学生の頃は、家族旅行に行くと、父親の二眼レフカメラで写真を撮ったりしていました。何でもこれと思ったら熱中してやってしまう性格で、その調子で勉強も一生懸命やっていました。清泉女学院、女子美術大学とお嬢様ばかりの学校でしたから、写真をやっていることは当時の同級生やシスターにも未だにいっていないんです。シスターが知ったらひっくり返るんじゃないかしら。
―写真はいつ、どのような動機で始めたんですか。
昔からカメラには遊びで触れていましたが、本格的に興味を持ったのは大学の写真部に入ってからです。印象に残っているのは、京都で撮影した写真を先生が褒めてくれて、それがとても嬉しかったということ。その気になったんですね。でも、当時は広告の世界で横尾忠則さんが大スターだったり、音楽も演劇もいろいろなものが盛り上がっていましたから、私自身も写真だけではなくいろいろなことをしていました。
―大学卒業後は何をしていましたか。
卒業して間もなく、「LONG HAIR」を撮り始めました。
―長髪を被写体にした写真は『’70s Tokyo LONG HAIR INVERTED』にまとめられていますね。撮影時期はいつ頃ですか?また、撮影期間はどれくらい要しましたか?
1970年から撮り始めて、一年間かかりました。
―「長髪」に注目したきっかけは?
当時はそれが新しかったから。アメリカの文化が凄まじい勢いで入ってきて、どんな分野にも影響力がありました。カルチャーの変わり目を肌で感じていましたし、その象徴の一つがロングヘアーでした。
―「長髪」と「反転」には何か関係があるのですか?
長髪と反転の関係というよりも、写真にできることはある程度限られていて、基本的にはネガとポジしかありません。その当時は、表現方法として、「反転」を用いました。
―『70’s Tokyo TRANSGENDER』についてお伺いします。トランスジェンダーの人々を撮影しようと思った最初のきっかけは?
一年近くかけて250人の長髪を撮ったけれど、彼らの優しさに何だかうんざりして、もっと毒気のある被写体を捜していた時に、新宿でゲイ・ボーイを見かけたんです。それが最初だったと思います。それから雑誌で女装ゲイ・ボーイを募集したら反響が大きくて、しばらく手紙や電話が鳴り止まず大変でした。
―新宿や赤坂、青山のゲイバーやゲイクラブで撮影をされたそうですね。ツテや紹介はあったでしょうか?
ありません。いまのように一般的な存在ではなかったし、アンダーグラウンドの世界を知っている人自体、周りにはいませんでした。それぞれの街で、それらしいお店を見つけては飛び込んで撮影するというやり方です。といっても、いつも護衛役に先に入ってもらって、撮影してもいいか聞いてもらっていました。真夜中に一人で、知らないゲイクラブに乗り込むなんて出来ませんでしたよ。前にいったとおり、私お嬢様でしたから(笑)
―被写体はどのように決めていたのですか?
基本的には女装を仕事にしているプロの方を撮ることが多かったです。でも、「この人はダメ」といって撮らないということはなく、出会った人は皆撮影しました。街で偶然見かけた方に声をかけて撮らせてもらったり、そのときによっていろいろです。
―何時ごろ撮影することが多かったですか?
だいたい夜中の12時頃出掛けて、朝方まで撮影していました。最初はわからなくて、夜8時頃にお店に行ったらどこも開いていなかったんです。
―一回の撮影にかかる時間はどれくらいでしたか?
夜中に外出している時はずっと撮っていましたから、5~6時間くらい撮影していたと思います。
―皆さんさまざまなポーズをとっていますが、これは二本木さんの注文ですか?
いいえ、注文はしていません。自分がどのように振る舞ったら素敵に見えるか、どんなふうに美しく見られたいかということをよく知っている人たちでしたから、ポーズもファッションも任せていました。
―どのくらいの期間続けましたか?
一年か、もっと撮っていたかもしれません。飽きなかったですね。
―なぜトランスジェンダー を撮ることを続けようと思ったのですか?
撮っていて、おもしろかったから。女装して踊ったりポージングする姿は、何となく神秘的な毒気があって、被写体としてとても魅力的でした。
―被写体になった方々とは、撮影時どんな話をしましたか。
楽しく撮影していましたから、軽やかな会話が多かったと思います。時には、「私たちゲイの内面を深く掘り下げて撮ってほしい」といわれることもありました。とにかく、皆さんわりと快く撮影を引き受けてくれて、よくご馳走してくれました。ただ、私がジュース1杯も注文せず撮るだけ撮って帰るものだから、「あんた、いい加減にしなさいよ!」と怒られたこともありました。
―撮影時の思い出はありますか?
撮影はいつも楽しかったです。撮っているときはどこかスイッチが入ったように夢中になって、心から楽しんでいましたから。それに皆、一番素敵な姿を撮ってほしいから、勝手にショーを始めたりするんです。綺麗なドレスを着て、ピンクや紫のスポットライトの中で踊ってくれる。すごい迫力でしたよ。
ある出版社の依頼で、ヌードを撮影したとき。人目につかない場所を選んだのだけれど、桜の樹の下で撮っていたら声をかけられてしまって、ちょっとした騒動になったこともありました。
私とは生活のリズムが真逆の世界でしたから、撮影を始めた頃は、約束しても1時間以上遅れて現れたり、待ち合わせに来なかったり、連絡がとれなくなってしまうこともあったけれど、辛いと思ったことはありません。撮った写真を見て、「迫力があり過ぎる!」と悪態をつかれたこともありましたけれど、そんなに気にしませんでした。
―70年代当時、トランスジェンダーは世間からどのように認識されていましたか?
そもそも、世間の認識というものがほとんどありませんでした。そういう世界があることを知っている人もごくわずかで、いまとは比べられないほど、アンダーグラウンドでした。
―二本木さん自身は、当時トランスジェンダーやゲイをどのようにとらえていましたか?
特別なとらえ方はしていませんでした。ある年代までは、誰にでも二つの性が混在している時期があって、個々のタイミングでどちらかをより強く意識するようになると、男とか女とか区別ができてくるという話を聞いたことがあります。女装する姿はその意識が表れているだけで、ごく自然なことなんだなと感じていました。
―ご自身の写真をあらためて見返して、どのような感想を持たれますか?
すごくいい写真だと思います!皆とても綺麗で素敵。私の心が清らかだから、被写体も清らかに写るのね(笑)。でも本当に、変に色物のようにモデルを見たことがなかったから、美しく撮れているんだと思います。
―この写真集を誰に見てほしいですか?あるいは、どんな人が手に取ると思いますか?
もちろんいろいろな人に手にとっていただきたいですが、やはり、同じようにトランスジェンダーといわれる方々に見てほしいです。1970年代当時は、いまと違ってトランスジェンダーとして生きるには、つまり食べていくには、ゲイバーやゲイクラブで働くしかない時代でした。本当にアンダーグラウンドだったけれど、女装している方々は、皆さん堂々としていて迫力がありました。どんな人も、自信を持って生きてほしいと思います。
―ジェンダーをめぐる昨今の社会の動向について、思うところ、考えていることがあれば教えてください。
どんなことにも、時代性というものが現れると思います。70年代は、三島由紀夫さんや横尾忠則さん、天井桟敷や状況劇場など、とにかく時代の熱気がすごかった。相乗効果で、芸術を含めていろいろなものが生まれやすい環境だったのかもしれません。いまはいまで、新しい表現ができたり、受け取る側の感覚も大きく変化していると思います。新しい価値観や芸術を受け入れてもらうって、本当に大変なことなんですよ。だから、いまはいまなりの時代性の中で、皆自信を持って生きられれば良いと思います。
―二本木さんの二編の写真集を編集するにあたり、どのような写真集を作ろうと考えていましたか?
小宮山慶太(小宮山書店代表):『70’s Tokyo TRANSGENDER』では、できるだけ作品を綺麗に柔らかく見せようと考えてつくりました。被写体の個性が強いので、そのまま見せてもパワーがあります。その派手さを助長させることは簡単だけれど、やはり美しい写真集にしたいという思いがありました。装丁や写真のレイアウトにもその思いを反映させています。二本木さんのお気持ちと合致していて良かったです。一方、『’70s Tokyo LONG HAIR INVERTED』では「LONG HAIR」というタイポロジーの中で、各々の個性を見せようと工夫しました。写真点数が多かったので、編集には苦労しました。
―80年代は児童教育に取り組まれたようですが、その動機について教えてください。また、どのように子どもたちに絵を教えていたのですか?
たまたま知人に頼まれたことがきっかけです。特別な技法を教えるとか、そんなふうではありませんでしたが、教えた子供たちが賞を取ってきたりして、評判になってしまったんです。それがきっかけで、岡本太郎さんにお会いする機会があり、自分が撮ったパンクの写真を見せたら、「君が撮ったの?」と驚いていました。
―1990年から人形作家の米津富美子に弟子入りされたそうですが、何をきっかけに人形制作の道に進まれたのですか?
写真は好きだけれど、レンズとか道具をたくさん持ち歩かなくちゃならないから、重くて。体力的に、続けていくのは厳しいなと感じました。アシスタントをつける気もなかったから、何かひとりで続けていけることはないかと思っていたときに、偶然のお誘いや出会いがあって、工芸を選びました。
―いまも写真は撮られますか?また、今後も写真は撮られますか?
いまも撮っています。最近また、すごく良い写真が撮れました。嬉しくて、とても楽しいです。もちろんこれからも撮ると思います。
―二本木さんにとって写真のよいところ、魅力とは何でしょうか?また、逆に不満は?
良いところはいくつもありますが、やはり一瞬で表現できるところが好きです。衝動的なもので、やめられない楽しさがあります。難点は道具が重たいことくらいで、不満はありません。
―今後の活動の展望をお聞かせください。
まだまだいろいろなことに興味があって、最近は東洋医学も学んでいます。写真は続けると思いますよ。先日も、「あ!撮りたい!」と思ったときにカメラを持っていなくて、とても悔しい思いをしました。今日はここ(小宮山書店)へ来てから、もう随分撮ったんじゃないかしら。良い気分でカメラを持つと、つい楽しくなって、止まらなくなってしまいます。
タイトル | 『’70s Tokyo TRANSGENDER by Satomi Nihongi』 |
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出版社 | 小宮山書店 |
刊行年 | 2021年 |
価格 | 9,900円 |
仕様 | ハードカバー(帯・函付)/268mm×188mm/110ページ |
タイトル | 『’70s Tokyo LONG HAIR INVERTED』 |
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出版社 | 小宮山書店 |
刊行年 | 2021年 |
価格 | 16,500円 |
仕様 | ハードカバー(帯・函付)/270mm×190mm/186ページ |
二本木里美|Satomi Nihongi
横須賀生まれ。清泉女学院を卒業後、女子美術大学写真部で写真を学ぶ。1970年から「TRANSGENDER」「LONG HAIR」の写真を撮り始め、雑誌『話の特集』に「LONG HAIR」を掲載。ほかにも『黒の手帖』などに写真を連載。その後、渡英した際フランスのミュージック誌『ROCK HEBDO』の写真を担当し、帰国後79年に『PUNK ROCK IN LONDON』(ブロンズ社)を出版。2021年にKOMIYAMATOKYOから『’70s Tokyo TRANSGENDER』、『’70s Tokyo LONG HAIR INVERTED』を出版。