IMA Vol.38「ルーツをめぐる断章」の関連記事第一弾は、ボリビア出身の写真家リバー・クラウレのインタヴューを転載する。不確定な色で、ふたつの糸を混ぜ合わせて新たな色を生みだす手法を意味するアイマラ語の「Chi’xi」をコンセプトとし、故郷ボリビアを語る物語やビジュアルを探求しているクラウレ。掲載作品〈Warawar Wawa〉は、サン=テグジュペリの名作『星の王子さま』を、さまざまな文化が混じり合った現代アンデス文化の文脈に沿って再構築したシリーズ。クラウレは『星の王子さま』を読みながら、歴史上最も多くの人に読まれた児童文学のひとつが、サハラ砂漠ではなくアンデス山脈を舞台にしたらどうなるかを考えた。ボリビアの伝統思想を視覚的に作り込んだ壮大なプロジェクトの背景に迫る。
テキスト=IMA
—本作〈Warawar Wawa〉では、『星の王子さま』を土台に、ご自身のルーツを再文脈化しようと試みています。この物語を、ボリビアの土地そして歴史に、どのようになぞらえたのでしょうか?
初めてマドリードに移り住んだ頃、自分はいったいどこに属するのだろうと問い続けていました。そのとき、この普遍的な物語を自分のルーツに当てはめてみる計画を思いついたんです。最初は新しい世界を想像したい衝動に突き動かされるまま始めたのですが、それから方針を固めるまでに、数年かかりました。『星の王子さま』の物語を使うのは、「何」を「どう」扱うかを定める形式的なストラテジーとしてなんです。この作品はボリビアのアンデス山脈の象徴的な伝統思想を、新しいやり方で視覚的に表すことを提案するプロジェクトです。さまざまな文化が混じり合うことで生まれた集合的なアイデンティティが主題で、『星の王子さま』はこれを語るための手段にすぎません。この方法を通して子どもたち、遊ぶということ、時空を超える旅や人と人の関係性などについて訴えることができました。
タイトル〈Warawar Wawa〉は、発表直前に決めたものです。アメリカ先住民の諸語のひとつで、ボリビアとペルーの公用語・アイマラ語の教授であるペルー人の友人と話していたとき、アンデス山脈の文化に君主制の例を見たことがないことに気がつきました。そこで、アイマラ語で「星の子(Son of the Stars)」を意味する「Warawar Wawa」を用い、空想的で魔術的な世界のイメージを提示するだけでなく、自然を超越的な存在として考えるアイマラ文化とより融合できました。つまり、この少年は、王の子にとどまらず、星の子として、より深い概念を表現しているんです。またこのタイトルは、写真の中でFCバルセロナのシャツを着て山々を走る子どものように、現代の思想やリアルを幻想的あるいはシュールな手法で、わかりやすく見せる原動力にもつながっています。
—血塗られた羊を撮った写真が鮮烈でしたが、西洋文化やお金やICチップなど資本主義を思わせるイメージ、金の手などのイメージからは批評的なメッセージ性を感じます。
さまざまなものに宿る緊張感に興味があります。資本主義への批判としてもとらえられるような世界共通の記号から、民族誌学的な記号まで、ローカルな記号とグローバルな記号の混在によって生じる緊張感にも関心があります。私が注目するのは資本主義とグローバリゼーションだけではなく、アイデンティティなんです。
—本作の中で、特に象徴的な一枚があれば教えてもらえますか?
たくさんのシンボルを用いていますが、特にキリスト教のイコノグラフィーに惹かれました。よく使用し、いろいろなものと組み合わせることで、緊張感を持たせようとしています。ボリビアで有名な鉱夫の守護聖人を描いた絵《La virgen cerro》の再解釈をし、聖母マリアとパチャママ(アイマラ文化で「母なる大地」を意味し、アンデスの古い神話の女神)を同時に表現しようとした写真があります。併せてサミュエル・ベケットの戯曲『しあわせな日々』も参考にしています。
—フィクションであるからこそ、私たちのような他国の鑑賞者の想像力もかき立ててくれますね。
ラテンアメリカには、大陸のほとんどが軍に支配されていた70〜80年代の文学に由来する遺産があります。政治や告発、対立化、権力の乱用などの切迫した問題に光を当てるべきだという考えに、「マジックリアリズム」という間違った名前が与えられ、受け継がれてきたという負の遺産です。奇想天外なストーリーの語り方が生まれ、フィクションの中でとてもありえないような世界が綴られました。この伝統が私の作品の中にも存在していることは否定できません。一方で、フィクションには大きな政治的可能性があると信じています。サルトルがいうには、フィクションの非現実的な世界を想像できないのであれば、私たちの現実を変えられる可能性はとても低いのです。想像こそ、変化を起こすための最も重要で根本的な要素だと思わされました。
—あなたは現在マドリードを拠点としていますが、故郷から離れた場所で暮らすことで見えてきたものはありますか?
2カ月ほど前に、展覧会と次のプロジェクトのためにボリビアに戻りました。異国に住むことは、必然的に、自分のルーツや、何をもって自分とするのか、そしてヨーロッパから見ると「はしっこ」がどう認識されているのかを考えさせられました。その時間があってこそ、自分と故郷のつながりのありがたさに気がつきました。自分の制作プロセスは、多種多様なラテンアメリカの都市に大きく影響を受けています。
—あなた自身はボリビアの歴史的背景に対して何を思い、またこの作品を通して何を伝えたいと考えていますか?
70年代から現在まで、ボリビアは、植民地化によって生まれた支配的な権力者から先住民たちの権利を取り戻すための大変な試みをいくつも経験してきました。これらの試みの中で、先住民を都市に住む人々から引き離すべきだという主張が世に広められました。どこかで先住民たちの「純粋性」を強調し、西欧の痕跡を否定したかったのです。この主張の奥底にあるのは分断の思想であり、とても危険な考え方です。伝統や民族性、アンデス山脈の人々と現代社会を見つめ、その混交から視覚的なフィクションを創作することは、私にとって非常に政治的な試みでした。結局、西欧の痕跡を否定することが脱植民地化ではないと考えています。さまざまな文化が混じり合った結果のこの文化を受け入れ理解することが、私たちのアイデンティティになると考えています。
リバー・クラウレ|River Claure
1997年、ボリビア生まれ。20代でマドリードに移住し、現在は同地を拠点に活動。EFTIスクールで舞台芸術、デザイン、ビジュアルコミュニケーションを学ぶ。不確定な色を意味し、ふたつの糸を混ぜ合わせて新たな色を生みだす手法を意味するアイマラ語の「Chi’xi」をコンセプトとし、遠く離れた故郷を語る物語やビジュアルを探求する。これまでにスペインやボリビア、ペルーなど世界各国で個展を開催。