私物の写真集から選書してもらい、その魅力について話を聞く連載企画「My Favorite Photobooks」。第13回のゲストは、クラシック音楽を基調とした作曲活動のみならず、舞台や映画などの音楽を数多く手がけ多方面で活躍する作曲家の阿部海太郎。コンサートや朗読劇なども企画し音楽のあらゆる可能性に取り組む彼は、どのような写真集を見て感じてきたのだろうか? さまざまな縁から知ったという3名の作家たちは、それぞれが阿部にとって大切な表現者であるという。
文=原知慶
写真=貞末歩夢
テーマ:「モノ」自体のありようをどのようにしてとらえるか
阿部は日頃行っている音楽という表現について、音という見えないものを作ることは実体のない作業で不思議な感覚を覚え、次第に身の回りにあるモノの存在自体が曖昧に感じるようになると話す。「音楽は楽譜が出発点になるけど、楽譜から音が聴こえてくることはなく、誰かが演奏しないと作品にならない。楽譜から思い描く音楽を演奏する人、それを聴く人たちの想像の中で成立していくものです。音楽のあり方とは、イメージのコミュニケーションに近いと思いますし、目に見えるモノに対しても存在自体が不確かだと感じています」。
実在するイメージと対峙し、被写体と関わる写真を眺めることは、モノの存在について考えることに通じるという阿部が、今回選んでくれた写真集は米田知子『Between Visible』、ホンマタカシ ほか『物物』、そしてミヤギフトシ『new message』の3冊である。
米田知子『Between Visible』
最初に紹介してくれたのは、人類の歴史や記憶、土地のサイトスペシフィティへの関心をもとに、リサーチベースで作品制作を行う写真家、米田知子の代表作のひとつ『Between Visible』。このシリーズはフロイトやサルトル、谷崎潤一郎などの歴史的偉人が生前愛用していた眼鏡を通して、書物や手紙を覗くイメージ群である。「米田さんが偉人たちの実際に使用した眼鏡を用いて彼らに縁のある原稿や手紙を見ることには、重層的なイメージの往還があるように思えます。私が普段やっている音楽と近いと感じるので、つい眺めていたくなる1冊です」。
米田自身が彼らの眼鏡を”かける”という行為によって追従する空想は、観る者に物事を認知することについて意識させると共に、不確かな存在に向き合う想像力を掻き立てる。この写真集を知ったのは、現在も制作を思案している阿部のとある作品がきっかけだった。「10年ほど前に、歴代の作曲家たちが当時どのような音を聴いていたのか興味を持ち始めました。例えば、ベートーベンは難聴によって徐々に聴力を失っていき、その後遺書を書くまで至った逸話があります。そのような状況でどのように彼は自分の耳で音楽をとらえていたのか、作曲家という特殊な耳の仕事をしている人が知覚している世界を知るアルバムを、いつか制作したいと考えているんです。アメリカ出身のサウンドデザイナーに相談した際に米田さんの『Between Visible』を教えてもらい、構想のヒントになっています」。米田がとらえた作曲家、マーラーの交響曲第10番のスコア表を眼鏡越しに眺めるイメージからは、特に想像力が掻き立てられるという。「まず実際の眼鏡を借りて撮影することは大変だっただろうと想像します。このようなお仕事を実行され、形にしたこと自体にも敬意を払いたいです」。
タイトル | 『Between Visible』 |
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出版社 | Nazraeli Press |
発行年 | 2004年 |
仕様 | ハードカバー、360 x 280 mm |
ホンマタカシ ほか『物物』
次に紹介してくれたのは、2012年に香川県丸亀市立猪熊弦一郎現代美術館にて開催された展示「物物」の関連書籍。画家である猪熊弦一郎が生前世界各国を回りながら集め、自邸に置かれていた私物のコレクションを、ホンマタカシが撮影した。一般的なブツ撮り写真とは一線を画すように、影が強調され、静物がフレームアウトし、コンポジションの妙を楽しんでいる様子が伝わってくる。品々を選定したスタイリスト、岡尾美代子とホンマの会話の様子もテキストで収められ、モノそのものとの対峙を通して会話が生まれているユニークな1冊である。
「楽器は音を生みだすためにデザインされたものだから、日常には絶対にない形をしていて。ヴァイオリンのケースにしても、ヴァイオリンを入れるために形を合わせた変な鞄がある。なんでそんな形になっちゃったんだろうっていうような、モノの形に興味があるんです。ホンマさんの写真は、モノ自体が持っているおかしみを不思議な切り取り方によって引き出しているから魅力的ですね。それは編集的な目線のようでありながら、この不確かで妙に面白い引っかかりにはホンマさんの写真のありようが表れているように思います」。
そうしたイメージをじっくりと眺めることで、見えない意識や思考が浮かび上がってくるという。「米田さんもホンマさんも共に作品に至るまでの過程を具体化しているようで、それは作曲家の僕からするとすごくありがたいことです。なぜこういう風に撮っているかというプロセスが残された写真を見たときに、モノの存在について強く考えさせられます」。
阿部とホンマの親交は長く、作曲家としてのキャリアを始めた初期の頃に、ホンマにアーティスト写真を依頼したときからの付き合いだという。「そのときはピアノを弾いている様子を真横から撮影してもらったんですけど、フォーカスが顔ではなく手元に当たっている写真に仕上がりました。何を持ってそう決断しているのか不思議で、独自の目線で撮る人だなと思いました」。
その後、知床国立公園で行われる鹿の狩猟を、雪原に残る血の痕跡によって表現したホンマタカシの「TRAILS」シリーズの映像作品で阿部は音楽を担当した。環境音のフィールドレコーディングのために、ホンマと共に二年間ほど狩猟現場に立ち会った経験もある。「雪が一番深い−20度以下で行う追い込み猟は、あまりの寒さに思わず体を動かしたくなるんですが、音を出すと鹿に気づかれてしまうのでひたすら耐え続けなくてはならない過酷な経験でした。そうして一面雪景色の中で採った音は、特殊な空間の要素が感じられる独特な聴こえ方がしてとても興味深いものとなりました」。
タイトル | 『物物』 |
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出版社 | BOOK PEAK |
発行年 | 2014年 |
仕様 | ハードカバー、225 x 158 mm |
ミヤギフトシ『new message』
最後に紹介してくれたのは、写真とテキスト、切り絵、インスタレーション風景などさまざまな手法によって綴られた、ミヤギフトシの初作品集『new message』。ミヤギ自身のアイデンティティや出身地の沖縄で体感する風土、プライベートな関係性を一つ一つ確かめるようにイメージとして定着させることで、一つの物語としてまとめられている。ここで現れるモチーフは、沖縄のジューシーフルーツ味のガムや財布の中に忍ばれた大切な写真、中のグリッターが飛び散る壊れたスノードームなど、ミヤギ自身のパーソナルな記憶とこれまで触れてきた文化に通底する歴史観が交錯する叙情的なメッセージのようである。
阿部は本書について、「人の中の追憶は撮れないけどそれを形に表していくのは、作家じゃないとできないことだと痛感します。ミヤギさんは撮るのが難しいことが何かをわかっていて、イメージを作られているように思うんです。彼の文章は読んでいるだけで情景も浮かんできます」と話す。「自分が楽曲を作るときは、聴きたい音が頭の中にあります。そうやって仕上がった楽譜を想像力豊かなミュージシャンが演奏すると、自分ではそうでもないと思っていた旋律が、とても意味があるものだったと気づかされることがあるんです。作曲はとりわけ曖昧な作業だと感じるんですけど、自分の思っていたものより良くなると、自分は何を作っていたんだろうと思うときがあるんですよね」。断片的な情景が頭の中で浮かび、解釈するうちに新しい関係性を結ぼうとするミヤギの作品集との共通点を感じながら、時間をかけてじっくり文章と写真に触れるように読んでいるという。
「ミヤギさんのことを知ったのは10年ほど前のある日、突然家に『American Boyfriend』の封筒が届いたことからでした。当時は何かわからずに受け取ったのですが、のちに渋谷で行われていた同シリーズの展示を見た際にものすごい感動を覚えました。ミヤギさんが表し得ないものをさまざまな手法を介して表現しようとすることは、僕自身が音楽を制作するときにも具体的に感じる感覚に近くて、共感を覚えます」。
タイトル | 『new message』 |
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出版社 | torch press |
発行年 | 2013年 |
仕様 | ソフトカバー、A5変型 |
阿部海太郎|Umitaro Abe
作曲家。1978年生まれ。幼い頃よりピアノ、ヴァイオリン、太鼓などの楽器に親しみ、独学で作曲を行うようになる。東京藝術大学と同大学院、パリ第八大学第三課程にて音楽学を専攻。クラシック音楽など伝統的な器楽の様式に着目しながら楽器の今日的な表現を追求する。楽曲のみならず、コンサートの企画やアルバム制作なども行っている。これまでに発表したアルバムに『パリ・フィーユ・デュ・ カルヴェール通り6番地』(2007年)、『シネマシュカ、ちかちかシネマシュカ』(2012年)、NHKのテレビ番組のために書き下ろした楽曲を自らの視点で再構成した『Cahier de musique /音楽手帖』(2016年)、15世紀に描かれた装飾写本を題材にした『Le plus beau livre du monde 世界で一番美しい本』(2020年)などがある。2019年には楽譜集『阿部海太郎ピアノ撰集 —ピアノは静かに、水平線を見つめている』がシンコーミュージックより刊行された。音楽を手掛けた舞台『星の王子さま ーサン=テグジュペリからの手紙』が2023年1月にKAAT(横浜)にて再演される。
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