27 July 2026

よい裏切りと出会う──『まなざしの奇跡 日本女性写真家の冒険』をめぐって

27 July 2026

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よい裏切りと出会う──『まなざしの奇跡 日本女性写真家の冒険』をめぐって | よい裏切りと出会う──『まなざしの奇跡 日本女性写真家の冒険』をめぐって

1950年代から現在までの日本の女性写真家30名、約200点を一堂に集める「まなざしの奇跡 日本女性写真家の冒険」展が、渋谷ヒカリエ・ヒカリエホールで開催中だ。2024年夏のアルル国際写真祭に始まり、世界を巡回してきた展覧会『I’m So Happy You Are Here: Japanese Women Photographers from the 1950s to Now』の拡大版として日本に上陸。日本での展示では、プリントにとどまらず、インスタレーション、コラージュ、映像へと広がる多様な表現で、これまで男性に偏って語られてきた日本写真史を編み直し、一人ひとりの作家をその固有の輪郭のままに立ち上げる試みだ。

共同キュレーターは、竹内万里子、ポリーヌ・ヴェルマール、レスリー・A・マーティンの三名。日本展では竹内が指揮をとり、展示を日本の観客に向けて組み替え、拡張した。竹内と、オープニングに合わせて来日したマーティンの二人に、「なぜ、いま」なのか、社会的な行為としてのキュレーション、写真の見方について話を聞いた。

ポートレイト撮影=高木康行
取材・文=アイヴァン・ヴァルタニアン

なぜ、いま──「女性だから」ではなく

──展覧会の構想から10年。始まりの頃と今とで、何が変わったと感じますか。

レスリー・A・マーティン(以下、マーティン):私の関心は、最初から「キャノン(写真史を作ってきた正統派の作家群)を超えていく」ことにありました。このプロジェクトが始まった当時のアメリカでは、ジョージ・フロイドの事件(2020年、白人警官による黒人男性の死をきっかけに全米で抗議が広がった)も背景に、これまで誰が展示され、誰に機会が与えられてきたのかが、構造的にごく狭い範囲──主に白人男性──に偏っていた、という認識が主流になっていった。だから、十分に書かれたり展示されたりしてこなかった歴史の鉱脈がある、という考えに、耳を傾けてもらいやすくなったタイミングだったんです。

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レスリー・A・マーティン

竹内万里子(以下、竹内):日本社会はジェンダーギャップ指数でもいまだに世界最下位レベルなので、決して楽観はできません。それでも、やっとできた、という感覚があります。ただ、世界各地でこの展示の評価が高かったのは、必ずしも女性だからではないと思っているんです。日本には、ものすごく卓越した写真家、写真で作品をつくるアーティストがたくさん存在している。その多くが女性でもあることに、多くの人が気づき始めている。女性だから選ばれたのではなくて、一人ひとりが本当に卓越して、オリジナリティを持っている。それがこのプロジェクトが成功した理由だと思います。女性という理由だけだったら、そこまでの反響はなかったはずです。

マーティン:現在の日本には、女性のキュレーターも多い。だから「なぜわざわざこんな機会が必要なの?」とも思えてしまう。でも、歴史と過去の空白の問題──理解のための足場(スカフォールディング)を提供することなんです。

竹内:出品作家の一人でもある、ヒロミックスさんに言われたんです。「これが30年前にあったらよかったね」って。でも、今、ようやく開催された。これが現実です。たしかに2026年というのは遅いかもしれませんが、いろんな力学や出会いに恵まれてようやく実現した展覧会ですし、今回は特にヒカリエホールという巨大な空間で、展示には困難も多かったけれど、ここで爆発できたのは本当にラッキーでした。

「まなざしの奇跡 日本女性写真家の冒険」展示風景 Photo by:Yuya Furukawa

「まなざしの奇跡 日本女性写真家の冒険」展示風景 Photo by:Yuya Furukawa

「まなざしの奇跡 日本女性写真家の冒険」展示風景 Photo by:Yuya Furukawa

「まなざしの奇跡 日本女性写真家の冒険」展示風景 Photo by:Yuya Furukawa

キュレーションという社会的な行為

──竹内さんは社会的な主題を軸にした企画が多いですよね。今回は社会性と、美への眼差しについて、どのようにバランスをとったのですか。

竹内:私は、キュレーションそのものが社会的な行為だと思っているんです。だから今回は「どう社会的テーマを取り込もうか」ということより、一人ひとりの作家のバックグラウンドや社会性を、作家解説にどう散りばめ、展覧会全体を通してどう伝えていけるかをかなり考えました。渋谷という場所特有の観客も想定しています。アグレッシブ過ぎると引かれるし、オブラートに包みすぎると誤解される。そのさじ加減には、すごく気を遣いました。日本社会はまだ保守的だけれど、たくさんの人に見てもらう必要があるので。

もう一つ、今回の巡回ではあえて章を一つ増やして、4章構成にしました。「記録と記憶をめぐる冒険―目に見えないものに向かって」という第2章です。いわゆるドキュメンタリーではなくて、目に見える写真を通して、目に見えない記憶や歴史に触れる。歴史は結局、個人から構成されているから、“大文字”ではなく“小文字”の、歴史からこぼれ落ちる個人の記憶や意識に、どれだけ丁寧にアプローチしているか。そこにフォーカスしました。今回加えた4名のうち、岩根愛さん、藤岡亜弥さん、米田知子さんの3人が、この章に入っています。

だからこそ今回、国際巡回展の拡大版を日本で開くにあたっては、章解説や作家解説を英語からそのまま訳すのではなく、一行目から日本語で全部、書き直したんです。私は書く人間ですから、「ただ訳しただけ」の怖さをよく知っている。英語と日本語では思考の順番も異なるから、一行目に何があるかだけでも読み手の印象や関心は変わってしまう。人の心に静かに火をつける言葉は何かを慎重に選ばないと、幅広い観客には伝わらないんです。

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竹内万里子

マーティン:私たちも海外での展示に際しては、いくつかの言葉を英語やフランス語で説明し直さなければなりませんでした。たとえば「写真(shashin)」──「真を写す」という日本独特の考え方のようなごく基本的なことさえ、削ぎ落とす必要がありました。でも、それは、解釈のほんの最初の層にすぎません。


写真は、もっと自由──一枚の写真を読む

──最近、日本では「写真がよく分からない」という声を、よく聞きます。

竹内:学生たちからもよく言われます。こっそり「写真、よく分からないんですよね」って。写真ってものすごく奥深いメディアで、「何が写っているか」ではなく「いかに写っているか」なんです。単体ではなくシークエンスになったとき、それを読み取るリテラシーも要ります。でも、写真の見方って、本当はすごく自由であり得るのに、「何かルールがあるんじゃないか」と思われている。写真の持つ「自由さ」が、まだ十分に気づかれていないのではないかと感じることも多いです。

さらに絶対的に「良い写真」というものがあるはずだ、という思い込みも大きい。「技術的に上手い」と「Good」は、写真ではまったく違うのに。だから、例えばヴォルフガング・ティルマンスの作品を見て、「自分でも撮れそうなのに、なんでこんなに評価されているの?」と疑問を持たれがち。でも究極的に何が大切かというと、つくる人とその写真との関係性、そしてその関係性の紡ぎ方なんです。

──一つ、具体的に見方を教えてください。例えば、やなぎみわさんの《エレベーター・ガール》は。

マーティン:1997年の作品です。あの頃は、大きくカラフルな、構築された光景の時代だった。でも、これは演劇的な視点から来ていて、女性や消費社会への、ある種の批評でもある。この展覧会には、写真をめぐるグローバルな言説が、作家一人ひとりの作品を通して、ふっと触れ合う瞬間がある。これは、その一つだと思います。あの《エレベーター・ガール》は、実はあまり幸せなイメージではないんです。1990年代、欧米では、日本を「ハイパー消費社会」として捉える傾向が強くありました。日本では1万円で売られているメロンがあるという事実は、ある意味で、社会として非常に豊かで洗練されていることの象徴でした。けれど、その構図のなかで、人がそれほど大切に扱われているわけではない──当時、この作品は、そうした皮肉を込めたものとして解釈されたのだと思います。

竹内:なんというか、とても残酷で、ある種、暴力的な作品でもある。最初はただ美しく見える。でも、そうじゃない。しかも今回は展覧会の会場で、その女性たちが倒れているもう片方の作品を目にして、ようやく、それがディプティック(二連画)だと気づくんです。

マーティン:そう、そして、ディプティックによって意味が大きく変わる。

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やなぎみわ 《案内嬢の部屋 1F》 (2点組の右側のみ) 1997年 ©YANAGI Miwa

「まなざしの奇跡 日本女性写真家の冒険」展示風景 Photo by:Yuya Furukawa

「まなざしの奇跡 日本女性写真家の冒険」展示風景 Photo by:Yuya Furukawa

「まなざしの奇跡 日本女性写真家の冒険」展示風景 Photo by:Yuya Furukawa

「まなざしの奇跡 日本女性写真家の冒険」展示風景 Photo by:Yuya Furukawa

「まなざしの奇跡 日本女性写真家の冒険」展示風景 Photo by:Yuya Furukawa

「まなざしの奇跡 日本女性写真家の冒険」展示風景 Photo by:Yuya Furukawa

よい裏切りと出会う

──最後に、これから訪れる幅広い観客へ。

竹内:やなぎ作品にも言えますが、こういう「裏切り」って本当に大事なんです。30人の「異なり方」が過剰なほど強い展覧会だから、全部を見ようとすると疲れてしまうかもしれません。だから自分のアンテナを信じて、作家一人だけでもいい。「この人の声は、もしかして私の声につながっているかも」と思えるような、思いがけない出会いがあること。それがいちばん大事なので。「写真だから」「女性だから」「日本だから」自分には関係ない──最初はそう思った人にこそ、ぜひ来てほしいです。ボリュームと表現の幅のある展示なので、きっと予想を裏切られる作品に出会えると思います。

マーティン:竹内さんが言うように、彼女たちは互いにまったく似ていないんです。ただアルファベット順に並んでいるだけで、「女性写真家はXをする、Yをする」と言おうとしたものではない。「あなたがこれらのアーティストたちを知らないのには、こういう理由がある」という、歴史の空白の修復なんです。

竹内:今はなんでもスマホで済まされてしまうでしょう。アルゴリズムで、好きなタイプのものばかりが提案されて、裏切りがない。生活のほとんど全部が用意されて、Amazonを開けば「これ、いかがですか?」と。でも、展覧会をやる意義はそれとはほとんど真逆かもしれない。ごつごつした世界のリアリティと出会うこと。いい意味で、裏切ってくれることなんです。それは映像や写真で見ても分からないから、ぜひ会場に足を運んでほしいです。裏切られるために(笑)。

TAKEUCHI Mariko|竹内万里子
1972年、東京生まれ。写真を専門とする批評家・作家。京都芸術大学教授。フルブライト奨学金を得て渡米し、東京国立近代美術館・国立国際美術館の客員研究員を務めた。「パリフォト」日本特集、「ドバイフォトエキシビジョン」日本部門など、数多くの展覧会をキュレーションする。単著に『沈黙とイメージ 写真をめぐるエッセイ』『矛盾の海へ』、企画・翻訳に『あれから──ルワンダ ジェノサイドから生まれて』などがある。

Lesley A. Martin|レスリー・A・マーティン
同展覧会の起点ともなった写真集『I’m So Happy You Are Here』(Aperture/仏語版Editions Textuel)の共同編纂者であり、本展の国際巡回展の共同キュレーター。長年にわたり、ニューヨークのAperture Foundationで写真集を軸とした出版とキュレーションに携わり、「Paris Photo -Aperture PhotoBook Awards」を立ち上げた、世界の写真集界を牽引する存在。Printed Matterのエグゼクティブ・ディレクターを務める。

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タイトル

まなざしの奇跡 日本女性写真家の冒険

場所

ヒカリエホール(東京都渋谷区渋谷2-21-1渋谷ヒカリエ9F)

会期

2026年7月4日(土)〜8月26日(水)

時間

10:00〜19:00(最終入場は18:30まで)

料金

一般 2,200円/U-30割・大学生 1,500円/高校・中学・小学生 1,000円/未就学児無料

URL

https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/26_kiseki/ 

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