写真を切り貼りして合成する「フォトモンタージュ」の手法を用い、半世紀以上にわたり消費社会における女性の身体の表象を解体し続けてきたアーティスト、リンダー・スターリング。既存の印刷物に鋭利なメスを入れ、本来交わるはずのない文脈を衝突させることで、社会に潜む欲望のグロテスクさを暴き出し、新たな美の形を提示してきた。
シャネル・ネクサス・ホール(東京・銀座)では現在、そんな彼女の日本初個展「Linder: Goddess of the Mind」が開催中だ。雑誌メディアの栄枯盛衰を見つめ、ポルノグラフィがオンラインへと移行し、ディープフェイクが氾濫する現代において、アナログな「切る」という行為は何を意味するのか。今なお第一線で戦い続ける彼女に、イメージを縫い合わせるプロセスとその底流にある哲学を聞いた。
写真=アマナ
取材・文=川鍋明日香
フォトモンタージュはジグソーパズル
──本展のために制作された6点の最新作が発表されています。20世紀初頭の「演劇雑誌」と「図鑑」という相反するマテリアルが掛け合わされているとのことですが、なぜこのふたつを選んだのでしょうか?
シャネル・ネクサス・ホールで展示する作品を制作するにあたり最初に思いを巡らせたのは、歌手として世に出始めた若き日のココ・シャネルの姿です。そこを起点に、20世紀初頭の演劇雑誌を土台に選びました。
実はこの演劇雑誌、ハリウッドから私の手元にやってきたものなのです。ロックダウン中、映画『アムステルダム』のためにマーゴット・ロビーが演じるキャラクターのためにフォトモンタージュやアッサンブラージュを制作しました。当時のイギリスでは店を回ることができず、ハリウッドの映画スタジオから資料を送ってもらっていました。演劇雑誌というものの存在自体、それまで知らなかった。ですから今回の新作は、ハリウッド経由で出会った雑誌から生まれたと言えます。

本展のために制作された新作《Against Nature》
──偶然手元にあったものだったのですね。そこに図鑑を合わせようと思った理由は?
私にとってフォトモンタージュとは、完成図の描かれた箱を失くしてしまったジグソーパズルに取り組むようなもの。土台となるイメージを見つけた後には、「ここに何を加えれば、まったく新しい物語を語り出せるのか?」という最大のパズルが待っています。
今回は自分のアーカイブを探る中で、当時の演劇雑誌と同時代に出版された『Portfolio of Dermochromes』という医学書を見つけました。印刷時代が同じであるため、インクのパレットや網点(ハーフトーン)が見事に一致し、完璧に溶け合うことがわかったのです。
現代社会は、とくに女性に対して「完璧な肌」を強迫観念のように求めています。しかし1世紀前の図譜を見ると、多様な皮膚病が人々の顔や身体に根を下ろしていたことが生々しく記録されています。そして私たちが医学で撲滅したはずの病が、気候変動や戦争、貧困によって再び戻りつつあるという事実も知りました。華やかな演劇の舞台と、病に冒された痛ましい身体。これらを重ね合わせたとき、とても優しく悲しい物語が生まれました。
イギリス英語で手術室のことを「オペレーティング・シアター」と呼びます。18世紀ごろまでは、麻酔なしで体を切断される人々を観客が見下ろす、文字通りの“劇場”でした。医学の歴史そのものが非常に演劇的だったのです。私は言葉が持つそうした暗合も含め、直感的な興奮に従ってピースを合わせています。
──膨大なヴィジュアルのアーカイブを所有されているそうですが、数あるピースの中から「これだ」というイメージに出会うのは、論理的な探求なのでしょうか?それとも直感や偶然によるものなのでしょうか?
ピカソの「私は探さない、見つけるのだ」という言葉の通りです。アーカイブは「車」「時計」「リップスティック」などある程度分類していますが、懸命に探しているときには何も見つからず、奇妙な古本屋の片隅で、古いコートの横に置かれた箱から完璧な一冊を見つけることもある。偶然の出会いに身を委ねることが大切なのです。
作品の制作中は時間というものが解き放たれる気がします。例えば車の切り抜きを収めた箱をめくっていると、1942年のニューヨークのダンサーの写真がふいに現れる。あるいは1928年の椅子と、1972年のプレイボーイのモデルが思いがけず隣り合う。過去と現在を同じ平面上で衝突させ、意図していなかった全く新しいモンスターが目の前で産声を上げる。そこにはある種の魔法が宿っているのです。
私は学生時代、ファインアートではなくグラフィックデザインを学びました。労働階級の家系で育ち、アートスクールに進んだ私は、巨大なキャンバスに絵を描くよりも、デザインという技術を身につけて両親を安心させたかったのです。だからこそ、私はタイポグラフィの“論理的”なアプローチを愛しています。しかし、フォトモンタージュにおいては「ルールがない」ことこそがルールです。もし10秒経ってもイメージが噛み合わなければ、無理に押し進めることはせず、別の可能性へ移ります。
──初期の作品から、あなたの作品には家父長制や社会に対する強烈な憤りや抵抗が感じられます。「切る(cut)」という行為は、あなたにとってどのような意味を持っているのでしょうか。
初期の作品群には、男性中心の社会や、世に溢れ返るポルノグラフィに対する果てしない怒りと疲労感がありました。「これ以上、こんな雑誌を大量生産するのはやめてくれ」という悲鳴です。当時の友人たちの多くは自傷行為に走り、ナイフで肌を切ったり煙草の火を押し当てたりしていましたが、私は幸運なことに、自らの身体ではなく「本の肉体」にナイフを入れることができました。怒りや野心を、平面の上で「切る」「焦がす」ことで昇華させていたのです。
とはいえ、本来切るという行為はきわめて中立的なものです。以前、あるグループディスカッションで「私はきっと優秀な心臓外科医になれたと思う」と冗談めかして発言したことがあります。すると、聴衆の中にいた本物の心臓外科医の女性が立ち上がり、「私もそう思います。あなたはとても優秀な外科医になれるでしょう」と言ってくれたのです。とても嬉しかったですね。外科医は、患者の身体から癌を取り除くために切開を行います。つまり、切る行為には非常に多様な側面があり、さまざまな使い方ができるのです。
ディープフェイクは現代のフォトモンタージュ
──自身で写真を撮ることはしませんか?
昔は撮影をしていた時期もあります。私が自ら写真を撮ることをやめた背景には、ある個人的なトラウマがあるんです。
私の家は貧しく、子どもの頃の家族写真がありませんでした。だから16歳で初めて自分のカメラを手にしたとき、「これでいつでも自分や世界を撮ることができる」というのは大きな出来事でした。しかし、ある日暴漢に喉元にナイフを突きつけられ、カメラを奪われてしまいました。命の危険にさらされ、しばらくの間はカメラを持ち歩くことすらできませんでした。持てば、あの夜のトラウマが蘇ってしまうので。それでも私は、「あの男に私の人生を壊させてたまるか」という思いで、再びカメラを手に取ったのです。
ただ興味深いのは、その後フォトモンタージュを作り始めてほどなく、私は写真を撮ることをやめていた、ということです。50年という年月が経ったいま振り返ってみて、ようやく腑に落ちました。あの男は私を脅すためにナイフを使いましたが、私はいつしか自らの手でナイフを握り、それを写真を切るための道具へと変えていたのです。私は写真やイメージという存在から歩み去ったわけではありません。ただ、奪われたカメラの代わりにナイフを握っただけだったのです。
──あなたが素材としてきたメディアの側も大きく姿を変えました。雑誌は衰退し、ポルノグラフィはオンラインへと移行しています。こうした変容の中で、フォトモンタージュという手法の意味はどう変わったのでしょうか。
1976年に最初のフォトモンタージュを作った頃、私が暮らすマンチェスターには2軒のセックスショップがあり、お店はなぜかいつも地下にありました。しかし現在、ポルノグラフィはほぼ完全にオンラインへと移行しています。ポルノグラフィとは「欲望を搾取して利益を生むビジネス」ですから、わざわざコストをかけて印刷する理由がなくなり、紙の雑誌は急速に姿を消したのです。
今日のポルノグラフィについて考えるとき、私が頼りにしているのが、数年前に協働した元ポルノ女優のミア・カリファです。彼女は産業規模のミソジニー(女性嫌悪)と絶え間ない殺害予告に晒されながらも、自らを沈黙させることを拒み、セックスワーカーを守る唯一の道である法改正のために戦い続けています。「倫理的なポルノはあり得るか?」と尋ねたところ、「理論上は可能だが、既存のプラットフォームの流通経路が倫理的ではない」と答えてくれました。彼女の勇敢な姿勢には深い尊敬を抱いています。
そして手法の意味ということで言えば、先ほども触れた映画『アムステルダム』の仕事が、ひとつの転機になりました。あの仕事を通じて時代考証をする中で、私はダダやシュルレアリスムを改めて見つめ直すことになったのです。第一次世界大戦の惨禍により、腕や顔を失って帰還した兵士たち。その傷ついた身体を前に、ダダのアーティストたちは「フォトモンタージュ」という手法で戦争への抗議を行いました。
そして今、私たちは再び世界的な戦争の恐怖に直面しています。だからこそフォトモンタージュは、絵筆で描くこと以上に、現代にふさわしい切実な技法だと感じるのです。この話は、そのままディープフェイクへとつながっていきます。ディープフェイクとは、ある意味で現代のフォトモンタージュに他なりません。奇妙なことに、それがこの手法を再び目立つものにしている。ただし今回もまた、女性に対する攻撃として使われているのですが。
ギャラリー空間という魔法
──半世紀前からあなたが作品で提起してきた問題が今日でもいまだ続いていることは、残念でもあります。
ええ、本当に悲しいことです。本来であれば、私の初期の作品は「昔は女性がこんな風に扱われる時代もあったね」と過去の遺物になっているべきなのです。半世紀も経てば世界は変わり、女性やクィア・コミュニティへの態度は劇的に良くなっているはずでした。しかし実際には、極右勢力の台頭や、ミソジニーの巧妙化により、彼らは私たちを昔の時代へと引き戻そうとしています。戦いは終わっておらず、私の作品は今でも新しい意味を持ち続けてしまっています。
ですが、文脈が大きく変わることもあります。例えば、1977年に制作した《Pretty Girls》というシリーズ。これは女性のグラビア雑誌の各ページに、私の母が持っていた通信販売のカタログから切り抜いた日用品をひとつずつコラージュした作品です。
以前ロンドンでこれを展示した際、会場に16歳の少女たちのグループがいて、私は彼女たちの会話をこっそり立ち聞きしていました。すると驚いたことに、彼女たちは作品の女性たちを「抑圧されている存在」とは全く受け取っていなかったのです。むしろ「あれは“サイボーグ”。家庭用品をスーパーパワーに変えて使いこなしているんだよ」と言っていました。さらには「ダイソンがない!」と無邪気に喜んでいて(笑)。
私は彼女たちの会話を聞いていて、嬉しさのあまり涙が出そうになりました。抑圧を見るのではなく、サイボーグとしての力強さを見出してくれたのですから。写真やイメージを世界に放つということは、それが作り手の手を離れ、独自のハイパースペースへと旅に出るということです。
私が死んだ50年後には、世界の変化に応じてまたまったく違う解釈が生まれるでしょう。人々はスクリーンの中だけでアートを消費しようとしがちですが、ギャラリーという物理的な空間に赴き、他者と交わり、イメージについて思いがけない対話を交わすことには、途方もない魔法が宿っているのです。

リンダー・スターリング
1954年リバプール生まれ。現在はロンドンを拠点に活動。2025年2月にはロンドンのヘイワード・ギャラリーで大規模回顧展「Linder: Danger Came Smiling」が開催され、各地を巡回。2026年7月から10月までブラックプールのグランディ・アート・ギャラリーで展示予定。2020年にはケトルズ・ヤード(ケンブリッジ)で展覧会「Linderism」が開催され、ハットン・ギャラリー(ニューカッスル・アポン・タイン)へ巡回した。2013年にはパリ市立近代美術館で個展「Linder: Femme/Objet」が開催され、その後ハノーファーのケストナー・ゲゼルシャフトへ巡回された。作品は、パリ市立近代美術館、ヴィクトリア&アルバート博物館(ロンドン)、アーツ・カウンシル・コレクション(ロンドン)、ナショナル・ポートレート・ギャラリー(ロンドン)、DESTE現代美術財団(アテネ)、アイルランド現代美術館(ダブリン)、ニューヨーク近代美術館(ニューヨーク)、テート・モダン(ロンドン)などのコレクションに収蔵されている。2026年、KYOTOGRAPHIEにて展示。
| タイトル | LINDER: GODDESS OF THE MIND |
|---|---|
| 場所 | シャネル・ネクサス・ホール(東京都中央区銀座3-5-3 シャネル銀座ビルディング 4F) |
| 会期 | 6月25日(木)〜8月16日(日) |
| 時間 | 11:00~19:00(入場は閉館30分前まで) |
| 休み | 無し |
| 料金 | 無料 |
| URL | https://nexushall.chanel.com/program/2026/linder/ |
