写真は現実を写すと考えられがちだ。しかし、遠藤文香の写真は現実の向こう側へと見る者を連れていく。造本家の町口覚が手がける写真集レーベル「bookshop M」の日本人写真家の写真と日本の近現代文学を拮抗させるシリーズ(以下、文学シリーズ)もまた、原作に新たな景色を立ち上げてきた。
8年ぶりの新作『Ayaka Endo: Kanoko』で交わったのは、芸術家・岡本太郎の母でもある岡本かの子の短編小説「鮨」と、遠藤文香の写真。異なる時代の二人の感覚が重なったときに現れた世界とは? インタヴューには町口とアシスタントデザイナーの清水紗良も加わり、制作の裏側が語られた。
取材・文=IMA編集部
写真=沼田学
世界に入り込んで見た景色
――どんなきっかけで写真の道を志したのでしょうか。
遠藤文香(以下、遠藤):10代の頃から写真は好きで撮っていましたが、学生の時はスナップ写真ばかり撮っていて、写真で作品を作ることはあまり考えていませんでした。好きなことを仕事にはしたくないという気持ちから、大学ではグラフィックデザインを専攻したものの、修了制作で初めて写真と向き合うことにしたんです。ところが、その直後にコロナ禍に入り、自由に動けなくなってしまった。公園くらいしか行く場所がなくなり、自然にすごく救われていました。
そこからふと、何かに導かれるように北海道に行き、初めて雌阿寒岳に登ったんです。山頂付近で突然空が音を立てて雹が降り出し死にそうになったりもしましたが、山頂で雲が晴れて景色が一気に開けた瞬間、特別な1枚が撮れました。あの時の感動は今につながる原体験だったと思います。その時の作品を修了制作として発表してからお仕事のお話をいただくようになり、今に至ります。

遠藤文香
――自然を撮るといっても、いわゆる「風景写真」とは全く違いますよね。太古の昔やファンタジーの世界のように神秘的で、時間も場所も感じさせないというか。
遠藤:私は現実をそのまま見るというよりも、写真になった時に違う世界が見えることにとても興味があります。カメラを通して世界を見ると、我を忘れるくらいに没入するんです。周りの音も、人の存在も、時間も感じなくなる。それで、現実から離れたような写真になるのかもしれません。
――作品は「アニミズム」という言葉で評されることも多いですが、それについてはどう思いますか。
遠藤:撮影しながら没入していくとき、一つ一つに命や精神性を感じているんだと思います。一方で、モチーフがキリスト教的だと言われることもあります。それで思い当たるのは、カトリックの学校に長い間通っていたこと。キリスト教のモチーフが身近にある環境で、日々祈る習慣があったので、その行為が身体に刷り込まれて無意識のうちにイメージを反復していたのかもしれません。でも、どちらかというと仏教や多神教のほうが自分の感覚としては近いような気がするし、宗教という制度ができる以前の、根源的な祈りの感覚と言えるのかもしれません。

『Ayaka Endo: Kanoko』
岡本かの子が呼んでいる
――『Ayaka Endo: Kanoko』は、町口さんが手がけてきた文学シリーズにとって久しぶりの新作となりました。今回、岡本かの子の作品で本を作りたいと思った経緯を伺えますか。
町口覚(以下、町口):このシリーズは、もともと森山大道さんの写真と太宰治の「ヴィヨンの妻」(1947年)で本を作ったのが始まりです。森山さんとは続けて寺山修司の「スポーツ版裏町人生」(1982年)、織田作之助の「競馬」(1946年)、坂口安吾の「桜の森の満開の下」(1947年)とコラボレートしてきましたが、2018年に野村佐紀子さんの写真と坂口安吾の「戦争と一人の女」(1946年)を組み合わせたフランス語版を出版したところで、一区切りついた気がしていました。もし次をやるとしても、戦後小説から離れたい気持ちがあった(編集部註:太宰治、織田作之助、坂口安吾は、第二次世界大戦の敗戦直後に既成の文学やモラルに反発して登場した「無頼派」と呼ばれる。「スポーツ版裏町人生」も社会からの逸脱の視線がある)。
それで戦前の短編を手当たり次第に読んでみた時、岡本かの子(編集部註:1889年東京生まれ、1939年没)の「鮨」(1939年)が心に残ったんです。口語体で現代の人も読みやすいし、今の感覚に近くて面白い。いつかやるならこれだと思ってアイデアの引き出しにしまっておきました。それから何年か経ったある日、遠藤さんの写真を見て、引き出しの中のかの子がガタガタと暴れ出しまして(笑)。

町口覚
清水紗良(以下、清水):私がデザインを担当していた雑誌『写真』で、遠藤さんを含めた何名かの作品を掲載することになり、机の上に写真を並べてレイアウトを考えていました。その中で、遠藤さんの写真を見た町口がピクッと反応したんですよ。実は私は修了制作の作品から遠藤さんの大ファンだったので、いつか一緒にお仕事をしたいと思っていました。

清水紗良
町口:清水に「これは誰の作品?」と聞いたら、「遠藤文香さんです! この前も『写真』で載せましたよ」と言われたんだよね(笑)。そこから「鮨」を読み直して、行けると思った。戦前小説にするなら新しい写真家との出会いも期待していたから、運命的なものを感じましたね。ただ、文学シリーズは大道さんや佐紀子さんの印象が強いし、遠藤さんは年代も違う。それでも大丈夫かを遠藤さんに直接確認したいと思って、ロンドンに帰る前に会わせてもらったんだよね。僕は一緒に仕事をする人とは、気持ちを確認するために会っておきたい。この事務所で会った日、「これからお互い頑張ろう!」と話していたタイミングで雷が鳴って、「ほら、かの子も燃えてる!」なんて言ったのを覚えています(笑)。ただし今回僕は言い出しっぺで、遠藤さんと清水と、印刷も山田写真製版所のなかでも若手のプリンティングディレクターの西谷内さんに中心になって進めてもらいました。
文学と写真が出会い、かたちを結ぶとき
――「鮨」は昭和の大衆的な雰囲気が漂う鮨屋が舞台ですが、遠藤さんの写真が組み合わされることで、視覚的にもスケールが大きく広がります。どのようなプロセスで制作していったのでしょうか。
町口:文学シリーズでは、写真家には題材の文学作品を読んでから200枚の写真を預けてもらい、最終的に100点弱まで絞り込みます。それは大道さんと一緒に作ったときから変わっていません。今回は「鮨」だけ読んでと言ったつもりだったんだけど、どうやらかの子の作品を何冊も渡していたみたいで。
遠藤:そうですよ!「かの子と会話しながら進めて」と、たくさん渡されました。ついでに岡本太郎とかの子の写真と、太陽の塔のミニチュアも(笑)。お話をいただいてから「鮨」は何度も読んでいたので、ロンドンに戻ってまずかの子の他の小説や伝記小説などを読み進めたのですが、作品世界よりもかの子自身から大きな影響を受けました。
もともと自然を撮ることが多かったのですが、「鮨」を読んだことで、生き物と食べ物、命が別の命へとつながっていく循環を、より大きなスケールでとらえられた気がします。魚や家畜などの捕食されるものに対して抱いていたネガティブな感覚も、「鮨」では緊張感のある官能的な美しさとして描かれていた。海からやってきた魚の命を食べ、それが新しい命へとつながる。そんな壮大な世界を写真にしたいと思いましたし、そこから海や透明感のある青がイメージとして浮かんできたので、青を基調にした作品にしようと思いました。
同時にかの子自身も海のような人だったと強く感じました。繊細で傷つきやすく、自身の感情の波に苦しみながらも、それを自然現象のような命の美しさやスケールへと昇華していく。その姿に共感し、女性として、作家として、どこか救われるところがありました。結局のところ、私は「岡本かの子」という人に強く惹かれたんだと思います。ただし、小説に飲み込まれて挿絵に収まりすぎないよう、自分の作品としても成立することを目指しました。

――清水さんはどのように編集やデザインを進めたのですか。
清水:遠藤さんから写真をいただいたのちに、かの子の文章をどこで区切るかを考えながら組版を進め、その中に写真が入る位置や余白との関係を検討し、一つひとつのページを構成していきました。写真をいただいてすぐは、思い描いていた遠藤さん像とは違い、どう本に落とし込んで行こうかをすごく悩みました。しかし、『かの子繚乱』やかの子についての特集を読み、ページ割りを進めていくと、遠藤さんの写真が頭の中で文章とうまくはまって、改めて遠藤さんの凄さを知ったと同時に、かの子を通して、感覚を共有できている気がしました。
写真は氷や海など水にまつわるモチーフが多く、遠藤さんからは「光と透明感を大切にしたい」というリクエストをもらっていました。一方で町口からは、かの子の言葉は落ち着いた印象にして、遠藤さんの写真はキラッと際立たせたいと。そこで何度も印刷テストを重ね、かの子の文章はしっとり、遠藤さんの写真はハイライト部分が美しく光る仕上げにたどり着いた。西谷内さんと今までにやったことないことを二人で試行錯誤し、現場の方々の協力があったからこそ生まれた質感だと思います。
本との旅はこれから
――今回の帰国でようやく実物の本と会えたんですね。手にしてみて、いかがですか?
遠藤:実物が出来上がる前に、一度ダミーブックを見せていただいたのですが、本当に感動しました。ずっと自分の写真しか見ていなかったので、文字と並んだ時の見え方や、本として成立するのかも不安だったんです。そして、実物を手に取った瞬間、みなさんがどれだけ時間をかけて作ってくれていたのかが伝わってきて、安堵と嬉しさで泣きました。たぶん、この本に関わった人たちはみんな、かの子に手を抜かせてもらえなかったんだと思います。この一年間、私のスマートフォンの待受画面はなぜかずっとかの子の写真のままでした。本当は今回の帰国でお墓参りをして区切りをつけたいと思っていたんですが、体調を崩して行けなくて。だから今もどこかで「まだ終わってないよ」と言われている気がします。かの子に触れていると、自分の感覚の純度が上がる。その分しんどさもあるけれど、それだけ深く影響を受けたんだと思います。
町口:遠藤さんの中には、まだかの子がいるんだね。僕はこの文学シリーズを作るたびに、小説家の墓参りに行くようにしているんですが、かの子とはまだ続きがある気がします。もともと岡本太郎の母親としてかの子を知って、作品を読んでみたら「ああ、この人から太郎が生まれたんだ」と腑に落ちた。かの子が太郎をパリに残してベルリンへ渡ったという物語を思うと、やっぱりカルチエ・ラタン(編集部註:パリの学生街で書店の多いエリア)で展示がしたいと思っていて。この前パリに行った時に、現地の本屋で展示させてもらえるという話をつけてきたから、この本自体もまだ終わりじゃないんです。
遠藤:こんなに時間をかけて本を作るのは初めてで、最初に想像していた20倍くらいの労力でしたが、「ここまでやるんだ」ということを教えてもらいました。このプロセス自体に大きな意味や学びがありましたが、日本語と英語で出版していただいたので、世界中の方に読んでもらえたら嬉しいです。
遠藤文香|えんどう・あやか
1994年生まれ。2021年東京藝術大学大学院美術学部デザイン専攻修了。現在はロンドン在住。主に動物や自然を対象とし、それらと人間とのあいだに古くから培われてきた感覚に関心を寄せながら制作を行っている。主な展覧会に、個展「when I see you, you are luminous」(Tokyo International Gallery、東京、2023年)など。主な受賞に「写真新世紀 2021」佳作(オノデラユキ選)がある。主な著作は『Puneuma』(roshinbooks、2025年)など。

| 書籍タイトル | Ayaka Endo: Kanoko |
|---|---|
| 著者 | 言葉:岡本かの子、写真:遠藤文香 |
| デザイン | 清水紗良 |
| 英訳 | David Boyd |
| 発行 | 町口覚 |
| 発行年 | 2026年 |
| 仕様 | 240ページ / 並製本、スリーブケース入 / 210 × 148mm |
| 価格 | 7,920円 |
| URL |

| イベントタイトル | |
|---|---|
| 場所 | Rainy Day Bookstore & Café(東京都港区西麻布2-21-28) |
| 料金 | 1,650円(事前予約制) |
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