29 July 2026

“いけばなと写真に境界はない”池坊専宗 が語る花と写真

29 July 2026

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“いけばなと写真に境界はない”池坊専宗 が語る花と写真 | c_017

池坊専宗

池坊専宗は、550年以上続く日本最古の華道流派・池坊の家元に生まれた華道家だ。花を生け、展示や教授を行うかたわら、写真家としての一面も持つ。日本橋三越本店にて写真展「一粒の砂 記憶 ひかり」の開催や写真集『よい使い手 よい作り手』を出版。やがて朽ち行くいけばなという芸術を永遠に封じ込めるため、中川幸夫など写真媒体にこだわる華道家は過去にもいた。池坊専宗にとっての写真とは?実際に花を生け、撮影してもらいつつ、彼の花と写真の関係を聞いた。

撮影:森栄喜
取材・文:菅原幸裕

─写真を撮られるようになったきっかけを教えてください。

もともとは生けた花を記録するために撮り始めたんです。写真がなかった昔は、絵に書いて残していました。その素朴な絵が巻き物などに残っています。私は絵心がなかったものですから、写真を撮り始めたんです。だから当初は記録写真でした。

ある時、写真家の友人が私が生けた花を見て、「僕にも撮らせて」って言ってきたので、私が撮影した後に撮ってもらったんです。生けた花も、撮影した時間帯も一緒なんですけど、撮れた写真が全く違うことにびっくりしました。その時に写真というのは現実を写すものではなくて、撮る人の心というか感じているものが出るメディアと実感しました。これが、改めて写真を撮る、ということを考え始めたきっかけですね。

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花を生ける際は、照明を消して生けるという

─いつ頃のことでしょうか?

大学生の頃です。それから本を読んだりして、照明とか色々と勉強しました。そうしてポートフォリオを作ったので、伝手を辿って写真家の立木(義浩)さんに見せに行ったんです。

─いきなり巨匠にですか?

いきなり行きました。私は当時(立木さんの)功績とか偉大さをよく理解していなくて、とりあえず当たって砕けろという感じでした。六本木の高層ビルの上階ラウンジという東京を一望するような場所で、見ていただきました。

立木さんを見ていたら、無言でポートフォリオをパタンと閉じて、「専宗君、後ろ見て。この空見てよ」と言いました。それはちょうど雲の切れ間から光がスッと差し込んできたところでした。そして「まるで天使が降りてくるようじゃないか。これを見ていないと写真は撮れないよ」とおっしゃったんです。

ポートフォリオは人を撮ったシリーズだったんですが、照明を駆使したり、色々と作り込んだ写真ばかりでした。そういうことが、撮れる写真が広がることだと思い込んでいました。でもそうではなくて、目の前の時間とか、光景を見つめないといけないんだということを、その一言で教えられましたね。

─とても良いエピソードですね。今被写体はいけばなが多いですか?

そうでもありません。自分との結びつきを強く感じた時に撮ります。花を生けている生徒を撮ったり、道端の草花を撮ったり、移動中に撮ったりとか、あまり対象を絞ってはいません。でも他者が生けた花は撮りませんね。

写真家の菅原(一剛)さんが好きなんですけど、どこかで「写真を撮ってるのに、昨日や一昨日の空の様子覚えてないなんて、それは絶対だめだと思って空を毎日撮り始めた」ということをお伺いしたんです。だから地面と空はよく見ていると思います。

いけばなも写真も同じ

─先ほど、ご自身で生けられた花を撮影されている時に思ったのですが、いけばなを撮ることは、いけばなを完成させる行為と繋がっているのか、それとも別個のものなのか、どちらなんでしょうか?

それは一緒ですね。私は花を生けることを特別なこととは思っていません。そして、写真を撮ることも日常の一部です。少し前まで、いけばなは作品志向が強かった。(いけばなを撮った)写真も、白の背景で、より精細に見せるような写真が一般的でした。私もそういう写真を撮っていたんですが、それだと生の力が失われると思って。

さらに私は自分の花や写真を作品とは思っていないので、完成させなくてもいいんです。できたものを撮るのではなくて、そこに至るまでの水の冷たさとか、緑の青さとか、そういうものが写真に写り込んだら、それでいいんじゃないかなと思っています。

そういう意味では、ハサミを握っているか、シャッターボタンに触れているかの違いであって、行為としてはあまり変わりはない気がします。花が出来上がるか、写真が出来上がるか、境界はありません。

─どこで花を生け終えるのか、難しくありませんか。

つい足しがちなんですが、もし何かを加えなきゃいけないと思い出したら、それはもう表現として終わっている、ということじゃないでしょうか。写真を撮ることもそう思います。私は身体性が大事と思っているので、カメラで撮るよりも前に、対象との距離感が重要です。ある瞬間に立ち止まることが大事と思っていて。自分の調子がいい時はすっと立ち止まれるんですよね。「あっ」と思って立ち止まれた時の最初の1枚が、大体良いカットです。

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今回の取材で完成したいけばな


京都の職人を撮った写真集

─昨年、クラウドファンディングで刊行された写真集『よい使い手 よい作り手』について、聞かせてください。こちらは京都で活動されている職人の方々を、専宗さんが訪ねて撮影し、まとめられたものです。これは企画の段階から撮影の話があったのですか?

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池坊専宗が伝統工芸の職人を撮った写真集『よい使い手 よい作り手/Art of Craft, Art of Use』

まず企画の方から、お話をいただきました。私自身も竹の工芸やハサミ、また畳などに日々触れているので、「使い手の視点」で作り手その人を描いていこうという、そういう趣旨でした。

京都には工芸や文化の営みが数多くあります。1300年にわたって都があったゆえの財産です。ただ、そうした品々を撮ったカタログはあるものの、その担い手を網羅的に描いたものはなかった、ということでした。ですので、職人や作家を撮る、というのがまずありました。

その一方で、技法などを明瞭に伝えるのなら、僕が撮る必要はないとも考えました。30代前半で、伝統文化についても全てを知っているわけでは当然ない、そんな自分が真っさらな状態で職人一人一人とお会いして、3~4時間一緒に過ごし、その「交わり」を撮ることに意味があると思いました。

─写真の陰影が独特と感じました。

人工光を使わず、「ただいつものようにしてください」とお願いして撮影したので、職人や作家の方にとっては逆にやりづらかったかもしれません。僕は抽象的な写真や絵が好きなんです。ジョルジュ・スーラの絵とか、サラ・ムーンの写真など。それもあって、鮮明に作業の様子は写らなくてもいいかと思って、照明は消して、開放気味で、その場の窓や光の感じなども入るように撮影しました。

撮影は自分一人で飛び込むような感じで、会話がたくさん生まれたところもあったし、ほとんど無言で過ごした時もありました。無言でも喋っていても、時間が経つうちに徐々に「間」が濃密になっていく感じはありましたね。

─普段カメラはデジタル、フィルムどちらをお使いですか?

普段はデジタルが多いですね。フィルムもすごく好きなんですよ。でもデジタルの即時性というか、撮った時の気持ちはその瞬間に完結させたい感覚があります。

─その感覚はいけばなにも通じるところがありそうですね。

レンジファインダーを好み、ライカM型が愛機

古いレンズ3本を愛用しているという

いけばなも2~3日かけたり、チームで大掛かりに生けるものもあるんです。でもそれは自分の花とは少し違ってきます。自分の身体感覚に収まる最小と最大のサイズは、決まってると思うんです。私が撮る写真も、その時間軸や、あるいはレンズの種類とかも、その範囲というか、広さと狭さの境界線が自分の中で定まっているような気がします。

─今後も写真を表現として取り組んでいくのでしょうか。

そうですね、華道家・写真家という肩書きを一応名乗っていますが、本来人に肩書きはないと思っていて、ないと困ると言われるから名乗っているだけです。

人ってすごく多面的な存在だと思うんです。花を生ける自分も自分だし、写真を撮っているのも自分だし。何か言葉を綴っている面も自分の中で腑に落ちていますし。それが今後拡大するかもしれないし、縮小するかもしれない。「個」としてのあり方が大事だと私は思っています。

花を生けるのは仕事のためではないし、展示するためでもないし、写真は自分の時間の一部だし。そういう意味では、今は花や植物に触れたり、写真を撮ったり言葉を綴るということが、すごくいい感じで馴染んでいるように感じますね。

風景や人、そして生け花を撮る時、あまり区別はしていないというか、ドキュメントとして生ける、撮ってるような感じなんです。僕自身がフラットというか焦点がないのが、今心地いい。でもやはり、生けた花は特別ですね。 気持ちがすごく詰まっているから。その時間は特別な結びつきを感じます。

─いけばなを写真集として残したい意向はありますか?

本にしたい気持ちは多少ありますが、ただ、生けた花は「消えていく良さ」があると思うんです。今日の花だって明日には枯れているだろうし。写真もそれを永久に残す保存版として撮るんじゃなくて、消えていった時間や気持ちをちょっと確かめるために撮る、そんな儚さが形になったら面白いと思います。あと、映像とか音だけで表現してみても面白いかもしれない。もう絵は全くなくて、最初から最後まで音でひとつにまとめてみるとか。身体感覚が失われないような形でシェアしていきたいですね。

池坊専宗(いけのぼう・せんしゅう)
華道家・写真家。華道家元池坊に生まれる。慶應大学理工学部を経て東京大学法学部卒業。日本橋三越本店、京都高島屋などで生け花を多数出瓶、展示。生けた花を撮影し写真としても表現し、京都現代写真作家展新鋭賞受賞。講座「いけばなの補助線」やデモンストレーション、メディア出演や文筆など様々な形で、花を生ける意味を伝え続けている。

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