27 May 2022

東京国立近代美術館「ゲルハルト・リヒター展」より 
写真と絵画、どちらが客観か主観か

27 May 2022

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東京国立近代美術館「ゲルハルト・リヒター展」より 写真と絵画、どちらが客観か主観か | 《エラ(CR: 903-1)》2007年 油彩、キャンバス 40 × 31 cm ゲルハルト・リヒター、作家蔵 © Gerhard Richter 2022 (07062022)

《エラ(CR: 903-1)》2007年 油彩、キャンバス 40 × 31 cm ゲルハルト・リヒター、作家蔵 © Gerhard Richter 2022 (07062022)

絵画には何ができるのか――そう問い続け、今年90歳を迎えたゲルハルト・リヒター。現代最高峰ともいわれる画家は、写真と絵画の間を往来しながら、どのように歩んできたのか。60年にわたるその足跡を、「写真」を軸にあらためて振り返ってみる。リヒター作品における写真と絵画の関係は、これまでにもさまざまな角度から論じられてきた。今年6月、日本において16年ぶりの大規模個展となる展覧会をきっかけに、東京国立近代美術館主任研究員・桝田倫広の視座から、リヒターの画業の解釈を新たに解き明かしてもらった。

インタビュー・文=IMA

東京国立近代美術館で開催される「ゲルハルト・リヒター展」では、リヒター財団とリヒター個人によって所有されていた作品によって構成されますが、写真と関係性の深い作品も数多く展示されます。

彼はインタヴューで、写真をそのままトレースして絵画にするフォトペインティングというシリーズにおいて、モチーフの選択基準や意味はないと公言していたこともありました。しかし、今回紹介するコレクションで彼の90年の人生や経験がモチーフ選択に何らかの形で影響を与えていることが見えるとするならば、それによってリヒターの見え方がこれまでとは少し変わってくるのではと考えています。

リヒター作品における写真と絵画の関係——あえて一言でいうと、リヒターとは、複製技術時代以降に絵画はいかにして可能なのかを考え続けてきた作家です。では、なぜリヒターは写真をトレースして描くことを始めたのか。写真による客観性を利用することが、フォトペインティング制作のモチベーションのひとつだったと考えられます。真っ白なキャンバスに絵を描こうと思うと、コンポジションや色を考える必要が出てきますが、写真を忠実にトレースすれば、絵画の約束事を回避できる。絵画における主観的判断を極力排除するために、写真の客観性を用いたのです。

西洋の美術史において重要なジャンルである肖像画、静物画、風景画を数多く残しています。ある意味で前時代的ともいえるジャンルの絵画を、現代においてどう描くことができるかがリヒターの関心事でした。

《モーターボート (第1ヴァージョン)(CR: 79a)》1965年 油彩、キャンバス 169.5 × 169.5 cm
ゲルハルト・リヒター、ゲルハルト・リヒター財団蔵 © Gerhard Richter 2022 (07062022)

《トルソ(CR: 844-1)》1997年 油彩、アルコボンド 55 × 48 cm
ゲルハルト・リヒター、作家蔵 © Gerhard Richter 2022 (07062022)

《水浴者(小)(CR: 815-1)》1994年 油彩、キャンバス 51 × 36 cm
ゲルハルト・リヒター、作家蔵 © Gerhard Richter 2022 (07062022)

《頭蓋骨(CR: 548-1)》1983年 油彩、キャンバス 55 × 50 cm
ゲルハルト・リヒター、ゲルハルト・リヒター財団蔵 © Gerhard Richter 2022 (07062022)

《不法に占拠された家(CR: 695-3)》1989年 油彩、キャンバス 82 × 112 cm
ゲルハルト・リヒター、ゲルハルト・リヒター財団蔵 © Gerhard Richter 2022 (07062022)


写真や映像は、私たちの視覚のあり方を大きく変えました。そうした時代に絵画に取り組むということはどういうことか。リヒターは一般には「画家」として知られ、彼自身も自分を「マーラー(Maler:ドイツ語で画家)」と称してきたのですが、この展覧会で私がほのめかしたいのは、リヒターのいう画家とは、いわゆるペインター(塗る人)ではなく少し違った意味合いを持っているということ。それを説明するための好例が、この《8人の女性見習看護師》です。

《8人の女性見習看護師(写真ヴァージョン)(CR: 130a)》1966/1971年 8枚の写真 各95 × 70 cm ゲルハルト・リヒター、ゲルハルト・リヒター財団蔵 © Gerhard Richter 2022 (07062022)

《8人の女性見習看護師(写真ヴァージョン)(CR: 130a)》1966/1971年 8枚の写真 各95 × 70 cm
ゲルハルト・リヒター、ゲルハルト・リヒター財団蔵 © Gerhard Richter 2022 (07062022)

この作品はフォトペインティングとして、ある事件で亡くなった8人の看護学生の事件を扱った新聞記事の写真をもとに1966年に描かれたポートレイトですが、今回展示されるのは1971年に作られたフォトエディション。おそらくリヒターが写真の複製を作るにはいくつか理由があるでしょうが、キャリアの初期から自覚的にオリジナルの油彩画のフォトコピー化をしてきたことに照らし合わせてみると、メディアの移行を通じて絵画の唯一性を切り崩しながら、イメージを無数に増殖させていくことに関心があったのではないかと推察できます。一般的な「画家」ではなく、「イメージを作る人」という位置付けでとらえてみると、リヒターの見方が少し変わるのかな、と思います。

《ルディ叔父さん(Ed.111)》2000年 チバクロームプリント、アルデボンド、額 95.9 × 58.5 cm ゲルハルト・リヒター、作家蔵 © Gerhard Richter 2022 (07062022)

《ルディ叔父さん(Ed.111)》2000年 チバクロームプリント、アルデボンド、額 95.9 × 58.5 cm
ゲルハルト・リヒター、作家蔵 © Gerhard Richter 2022 (07062022)

〈ルディ叔父さん〉も、60年代に描かれた油彩の写真バージョンが展示されます。この写真作品で、リヒターは油彩画の筆跡を見せないようにあえてソフトフォーカスにしています。つまり絵画を忠実に複製するための写真ではなく、あえてピントをずらすことで、もともとのオリジナル写真に近づいているともいえます。アンディ・ウォーホルがマスメディアを批評するものとして、大衆イメージを用いたのに対し、リヒターの場合、それぞれのメディアの特性を生かしながらそれ自体が固有の作品になるという複雑かつ少し特異なことをしています。あえて写真もきっちりとマウントせず、印画紙の端が浮いた状態にして、写真の物質感を強調し、絵画との違いを際立たせたりしています。


《1999年11月17日》1999年 油彩、写真 14.8 × 10.0 cm ゲルハルト・リヒター、ゲルハルト・リヒター財団蔵 © Gerhard Richter 2022 (07062022)

《1999年11月17日》1999年 油彩、写真 14.8 × 10.0 cm
ゲルハルト・リヒター、ゲルハルト・リヒター財団蔵 © Gerhard Richter 2022 (07062022)

写真と絵画の関係を派生させた作品としては、写真の上に油彩などを施したオイルオンフォトのシリーズがあります。写真は自分で撮影したものもあれば、一部そうでないものもあります。写真はメカニカルに目の前の被写体を記録したものだという観点では再現的かつ客観的ですが、写真を覆い隠すかのように塗布されている絵具は、作家の主体的なジェスチャーの痕跡であり、抽象的です。今回の出品作に限っていえば、リヒターの妻と子の写真などもあるので、写真の方がリヒターにとっては個人的感情を喚起させるモチーフであり、反対に絵の具は即物的であるという点では客観的なモノであると言えるかもしれないですね。写真と絵画はどちらが客観的なもので、主観的なものか。この作品は両者を行き来しているように見えます。


《アブストラクト・ペインティング(CR: 778-4)》1992年 油彩、アルミニウム 100 × 100 cm ゲルハルト・リヒター、作家蔵 © Gerhard Richter 2022 (07062022)

《アブストラクト・ペインティング(CR: 778-4)》1992年 油彩、アルミニウム 100 × 100 cm
ゲルハルト・リヒター、作家蔵 © Gerhard Richter 2022 (07062022)

抽象作品についても、少なからず写真との関係性を見出すことができます。今回出品される、2014年に描いた〈ビルケナウ〉も、もともとは写真をベースにした4枚組の抽象絵画。第二次世界大戦中にアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で撮影された写真をプロジェクターで投影して、その影をなぞって描いた上に抽象を重ねています。それまで、リヒターは長年、ホロコーストをテーマに作品を作ろうとして何度か試みては頓挫していました。この〈ビルケナウ〉も最初はフォトペインティングとして描いたのかもしれませんが、最終的には抽象的なレイヤーで覆い隠すような絵画にしました。しばしばホロコーストを見たいと欲望することは猥褻さと表裏一体であるといういわれ方をします。そしてある決定的な物事を描くということは、象徴的なものとして定着させてしまう危険と隣り合わせ。リヒターは、その危険を回避するために、このような作品に仕上げたのではないでしょうか。

〈ビルケナウ(CR: 937-1)〉2014年 油彩、キャンバス 260 × 200 cm
ゲルハルト・リヒター、ゲルハルト・リヒター財団蔵 © Gerhard Richter 2022 (07062022)

〈ビルケナウ(CR: 937-2)〉2014年 油彩、キャンバス 260 × 200 cm
ゲルハルト・リヒター、ゲルハルト・リヒター財団蔵 © Gerhard Richter 2022 (07062022)

〈ビルケナウ(CR: 937-3)〉2014年 油彩、キャンバス 260 × 200 cm
ゲルハルト・リヒター、ゲルハルト・リヒター財団蔵 © Gerhard Richter 2022 (07062022)

〈ビルケナウ(CR: 937-4)〉2014年 油彩、キャンバス 260 × 200 cm
ゲルハルト・リヒター、ゲルハルト・リヒター財団蔵 © Gerhard Richter 2022 (07062022)


今回のインスタレーションでは4点の絵画と、同じく4分割された同寸の写真が向かい合うように配置され、さらに10メートル近い鏡も一緒に展示されます。リヒターは写真というコピーと、鏡という反射を用いて、絵画というものの唯一性を相対化します。それは、なぜか。ビルケナウというものを作品として完成させることによるモニュメント化を避けるためでしょう。同時に、ビルケナウに象徴されるようなカタストロフが、人類においては残念ながら反復されていくだろうという示唆も含んでいると思います。

《8枚のガラス(928)》2012年 ガラス、スチール  230 × 160 × 350 cm Courtesy of WAKO WORKS OF ART Photo: Tomoki Imai ゲルハルト・リヒター、ゲルハルト・リヒター財団 © Gerhard Richter 2022 (07062022)

《8枚のガラス(CR: 928)》2012年 8枚のアンテリオ・ガラス、スチール 230 × 160 × 350 cm
Courtesy of WAKO WORKS OF ART Photo: Tomoki Imai
ゲルハルト・リヒター、ワコウ・ワークス・オブ・アート蔵 © Gerhard Richter 2022 (07062022)

最後に〈8枚のガラス〉という作品は、私がここまで申し上げてきたことを端的に示してくれるもので、リヒターの原理的な部分を如実に表してくれる作品です。この作品の前に立つと、まずはガラスそのものが見えます。さらにガラスから透けた先の景色も見え、同時にガラスに反射した自分や背景も見える。つまり対象を見ること、その向こうを見通すこと、ものの前に立っている私や背景と対峙すること、「見る」という行為はその全てを含んでいるのです。その時、私たちの焦点の合わせ方によって、見えるものは変わります。焦点だけでなく、私たちの見たいという欲望や見る慣習はパーソナルなものかもしれないし、社会やその場所に規定されるものかもしれません。絵画を見るとはどういうことか、リヒターのガラス作品にはこの「見る」ことのすべてが集約されており、そのさまざまなバリエーションの発露が個々の抽象、具象の絵画であり、写真であり、版画やアーティストブックであると理解しています。


タイトル

「ゲルハルト・リヒター展」

会期

2022年6月7日(火)〜10月2日(日)*その後、2022年10月15日(土)〜2023年1月29日(日)豊田市美術館へ巡回。 

会場

東京国立近代美術館(東京都)

時間

10:00〜17:00(金土曜、9月25日~10月1日は10:00〜20:00/入館は閉館30分前まで)

休館日

月曜(9月19日、9月26日は開館)、9月27日(火)

URL

https://richter.exhibit.jp/

ゲルハルト・リヒター|Gerhard Richter
1932年、ドイツ・ドレスデン生まれ。ベルリンの壁が作られる直前の1961年に西ドイツへ移住。デュッセルドルフ芸術アカデミーで学ぶ。1960年代より作家活動を始め、1997年にはヴェネチアビエンナーレで金獅子賞を受賞。ポンピドゥーセンター、テートギャラリー、ニューヨーク近代美術館を始め、世界の主要美術館で回顧展を開催。世界で最も重要なアーティストとして知られる。

桝田倫広|Tomohiro Masuda
1982年、東京都生まれ。早稲田大学大学院文学研究科美術史学専攻博士後期課程単位取得退学。東京国立近代美術館/主任研究員。主な展覧会に「高松次郎ミステリーズ」(共同キュレーション、2014〜2015年)、「アジアにめざめたら:アートが変わる、世界が変わる 1960–1990年代」(共同キュレーション 2018〜2019年)、「ピーター・ドイグ展」(2020年)など。

  • IMA 2022 Spring/Summer Vol.37

    IMA 2022 Spring/Summer Vol.37

    特集:自然と環境をめぐる写真家の声

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