IMA Vol.38「ルーツをめぐる断章」の関連記事第二弾は、香港を拠点に活動するカート・トンへのインタヴュー。掲載作品である〈Combing for Ice and Jade〉は、幼少期から家族の一員のように暮らしてきた乳母と共に7年間を費やして制作したプロジェクトだ。本作には、乳母のたった8枚のポートレイト、質素な持ち物などを撮影した写真、トンの家族写真(多くの場合、乳母は写真の隅に写っている)、昔の中国の女性誌の切り抜きなどが収録されている。
“自梳女(じそじょ)”であった乳母の人生に焦点を当て、中国の歴史、文化、そして女性の在り方までがひもとかれる重層的なシリーズは、2018年にアルル国際写真祭でPhoto Folio Awardを受賞するなど、国際的にも高い評価を得ている。ここでは、長期プロジェクトの制作過程や作品に込められたメッセージについて尋ねてみた。
インタヴュー・テキスト=IMA
―〈Combing for Ice and Jade〉というタイトルの由来を教えてください。
この作品の中国語タイトルは、シンプルに乳母の呼び名なのですが、英語ではそのままだと意味が通じないので、別のタイトルを付けることにしたんです。「Combing」は、一生独身を貫くと宣言した自梳女(じそじょ)と呼ばれる中国の女性たちが、自ら髪を結い上げる行為を指します。中国南部に「Ice Jade Hall」という年老いた自梳女たちが寄り添って暮らす老人ホームがあり、また氷(Ice)と翡翠(ひすい)(Jade)は彼女たちの純潔を意味してもいます。
―自梳女について、詳しく教えていただけますか?
秦の時代、女性たちの権利は限られていたのですが、広東省南部は絹の貿易が栄えていたため、養蚕業での働き口があり女性でも自活できたんです。彼女たちは、結婚するまで髪を長い三つ編みにすることで自立をアピールし、結婚相手を自分で決めることもできました。19世紀末から自立した女性たちが髪を結い上げ、自梳女と呼ばれ始めたようです。彼女たちは貞節の誓いを立て、薄い色のブラウスと暗い色のズボンのみを身に着けていました。親の面倒を見なければならない義務から解放され、自由に旅をし、生活できるようになった一方で、初期のフェミニストである彼女たちは、自己犠牲も強いられました。老後に故郷へ戻って死ぬことは許されず、家族や親戚から介護を受けたり、葬式の世話をしてもらうこともできなくなります。自らの家族に頼れなくなるため、自梳女同士の結束力は強まったといわれています。20世紀に入ると養蚕業は急激に衰退したため、多くの失業した自梳女たちは中国から東南アジアへ移住し、乳母や家政婦になりました。
―乳母自身は、あなたの作品の主題となることを、どう思われていましたか?
2014年に私の乳母が早期がんと診断され、初めて中国から香港へ来た彼女の家族や親戚と会う機会があり、彼女の人生には私の知らないことがたくさんあると気づきました。彼女が退院した後、自梳女についてのプロジェクトを、彼女が物語を牽引するかたちで進めてみようと考えました。それは、私にとって、彼女と多くの時間を過ごす良いきっかけなりましたし、乳母も同じように感じたようで喜んで協力してくれたんです。誇らしげに私を故郷に案内し、家族にも紹介してくれました。でも彼女自身はただ目の前のやるべきことをこなしてきただけのつまらない人生を送ってきたと考えているので、この作品が注目され始めると、不思議そうにしていました。
―本作は、乳母のポートレイト、彼女の持ち物を撮ったスティルライフ、あなたの家族写真に写った彼女の姿、中国の女性誌など、さまざまな要素で構成されています。それぞれについて説明いただけますか?
乳母に昔のポートレイトを見せてほしいとお願いしたところ、彼女の手元にあったのは、たった8枚のパスポート写真でした。それで、私の家族アルバム、乳母の親戚の家族アルバムから彼女が写っている写真を探すことにしたんです。自梳女を象徴するブラウスを含め、乳母の持ち物を撮影したのは、それらを通して、必要なものだけに囲まれた彼女のシンプルな暮らしを見せたかったから。女性誌は、写真集を制作したときに追加した要素です。ヨーロッパでは、歴史的に中国人女性がどのように扱われていたか知らない人が多いので、さまざまな時代の女性誌の切り抜きを含めることにしました。
―香港で生まれ育ち、イギリスで写真を学び、欧米の文脈をよく理解されながら活動されていると思います。中国人としてのルーツは、作家としてのアイデンティティにおいて重要でしょうか?
娘が生まれて父になってから、自分が中国人であることについてよく理解していないことに気づいたんです。大学院を卒業してから中国人としてのルーツを探求し始め、自分の家族について調べるにつれて、身近にある物語を伝えるのが好きなのだと気づきました。そのためには、常に既成概念にとらわれない視点を持ち続ける必要があります。私は、誰もがそれぞれに興味深いストーリーを持っていると考えているので、パーソナルな物語を通して、より大きな歴史について言及できると信じています。
―本作を通して、社会が個人に与える影響について、何か気づきはありましたか?
このプロジェクトを通して、乳母がどれだけ彼女の家族に尽くし、彼らに尊敬されているかを知ることができました。彼女の金銭的サポートによって進学したり、家を購入したり、ビジネスを始めた家族や親戚もいたんです。自身のすべてを捧げ、家族の生活を良くしようとした無私の精神に触れて、彼女をより尊敬するようになりました。また、私たち個人は大きな社会によってかたちづくられる一面もありますが、この作品を見た人たちに、自分自身で選択する余地があることに改めて気づいてもらえるよう、社会的に過小評価されてきた“小さな存在”について、これまでとは違った考え方を提示できればと思っています。
カート・トン |Kurt Tong
1977年、香港生まれ。13歳で渡英。2006年、ロンドン・カレッジ・オブ・コミュニケーションのドキュメンタリー写真学部修士課程修了。現在は、香港を拠点に活動する。〈Combing for Ice and Jade〉は、2018年にアルル国際写真祭でPhoto Folio Awardを受賞。2021年には、〈Dear Franklin〉がPrix Elyseeを受賞し、翌年Atelier EXBより同作の写真集が刊行された。