Interview
Kishin Shinoyama

篠山紀信展「快楽の館」インタヴュー

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Kishin Shinoyama

篠山紀信「快楽の館」2016年 © Kishin Shinoyama 2016

アイドルから建築写真まで幅広いジャンルの被写体を撮影し、長年写真界の第一線で「いま」を切り取ってきた篠山紀信。とりわけ手掛けたヌード写真は、話題性とともに数多くのヒットを生み、一躍社会現象を巻き起こした。9月3日(土)より東京・品川の原美術館で開催される篠山紀信展「快楽の館」は、そんな篠山のヌード写真の真骨頂を見ることができる。館内を撮影場所に、33名ものモデルを起用した76点もの撮り下ろし作品は、5つの展示室や庭園に展示されることで、イメージの世界と現実が交錯するような鮮烈で幻惑的な鑑賞体験を生み出す。新作発表に合わせ、本展のテーマや制作背景を聞いた。

IMA=インタヴュー・文

―今回の企画展「快楽の館」は、どういう経緯で実現されたのですか?

篠山:まず、原美術館から展覧会を一緒にやりませんかというオファーをいただいたんです。構成を考える中で、もともとは1938年建造の私邸である美術館全館を使って撮ることを思いつきました。裏庭とか屋上とか一般公開していないところも一杯あったので、面白いのではと思いましてね。写真というメディアにとって、場所は非常に大切ですから。「どうせやるなら、ここ(美術館)で全部撮って、ここに帰すってコンセプトが良いですね」なんてその時は興奮していってしまったのだけど、あとから大変なこといってしまったと思って(笑)。美術館の中で撮るというのは意外と難しいんですよ。全館を撮影場所にすると、館内がガランと空いた展示換え期間中の数日間で行わないといけないですから。5月の中旬からの10日間で撮影しました。

Kishin Shinoyama

篠山紀信「快楽の館」2016年 ©Kishin Shinoyama 2016


―ヌードを美術館で撮影して、その写真を同じ美術館で展示するというコンセプトとは、随分思い切った企画ですね。

篠山:それは、個人美術館である原美術館ゆえでしょう。展示内容の判断が原俊夫館長に委ねられて、コンセプトに対して自由なわけですから。全館で撮影する「ヌード」というコンセプトとクリエイティヴの自由を受け入れてもらえたということが重要でした。

もう1点重要だったことは、原美術館の生い立ち。もともと個人の邸宅ですから、家の持つ歴史や時間の経過で蓄積されたもの、土地そのものが持っている力、そういった背景に対して、インスピレーションがどんどん湧いてきました。10日間の撮影でもアイデアに窮することもなく、最後の方はせっかく来てくれたモデルさんに「展示する所がないから」って帰ってもらうくらい(笑)、制作はスムーズでした。

―本展について「美術館は死体置き場、死臭充満する館に日々裸の美女が集う」とコメントされていました。生身の人間やヌードといった「生」を象徴する被写体を美術館で撮ることは、「生」と「死」の対比を表現しているのでしょうか?

篠山:そういう風にとらえる人もいるかもしれません。作品は生まれた場所から離れて、展示されるときは鑑賞物になるという意味で、美術館は作品の「死体置き場」といえましょう。でも今回は、その場で作品を生み出し、その生まれたての作品を飾るわけですから死体置き場にはなってないんですね。入れ子構造の展示なので、臨場感や生々しさ、不可思議さといった鮮明な鑑賞体験ができるという点で、従来の展示とは大きく異なると思います。

基本的に写真というのは、無から生まれるものではなく、カメラという機材を通して現実を利用しながら創るものですから、「現実との関係」が重要になってくるわけです。なるべく展示の仕方も、現実との関係性がリアルに伝わる場所と見せ方が良いと考えました。私が印刷物の中でも週刊誌が好きなのは、撮って刷ってすぐ消えるっていう存在だから。だから今回も展示のあとは、破いて棄てるしかないんですね。原美術館で、一回きりでやるから意味があるわけで。一種の潔さが好きなんです。一回きりのライブイベントのようなものですから、実際に観て、「体感」してもらいたいです。


―いまではめずらしくなった独特の雰囲気を持つ古い洋館の中で、この規模感で撮影し、また同じ場所で展示する企画は、どこでもできるものではありませんね。

篠山:なかなかできませんよ。どこの壁に何を展示するかっていう展示構成も考えながら撮影できたので、特定の役者に向けた脚本を「当て書き」というけど、今回は「当て撮り」ができたわけで(笑)、そこも面白かった。広くて大きい壁面に対して、臨場感を出すために何が有効かを考えたとき、1980年代に僕がよく使っていた「シノラマ」という手法がぴったりだったわけ。複数の写真をパノラマ状につなげて一枚の大判作品にする手法で、今回は初めてデジタルで「シノラマ」に挑戦しています。

プリントが等身大の大きさだと、鑑賞者が錯覚を起こすような、その場に迷い込んだようなリアルな引力が写真にはありますね。2012年に熊本県立美術館を皮切りに始まった巡回展「写真力」をした時の、美術館という特別な空間での展示経験が見事に生きましたね。

Kishin Shinoyama

篠山紀信「快楽の館」2016年 © Kishin Shinoyama 2016

―今回のロケーションである「館」と、ヌードの組み合わせは、あらゆる表現媒体のテーマにもなっていますが、色々なイメージを喚起しますね。

 篠山:変態的に聞こえるかもしれませんが、そもそも原美術館が持つ空気感や建物がエロいんですよ(笑)。壁が曲がっていたり、丸みがあったり、真四角で窓すらない一般的なホワイトキューブと違うでしょ。また、常設展示作品(森村泰昌、宮島達男、奈良美智など)とコラボレーションしたり、くめども尽きぬアイデアを昇華するためには、やはりモデルも大勢必要だったわけです。数えたら33人もいた。写真を撮ることが楽しくて、「快楽の館」というのは結局、私にとっての「撮る」快楽だったんじゃないかって(笑)。


―これまで膨大な数のヌードを撮られてきていますが、篠山さんにとってヌード写真とはどんな存在でしょうか?

篠山:目の前の被写体に感じた印象や思いや、イメージを写真にするときにヌードってとても使い勝手が良いんですよ。エロさだけじゃありません。例えば、都市に裸を置く行為は、そこに有るべからずものが風景の中にあるという、日常の非日常だったり、既視感のあるものの別の側面を見せられることでもあります。いわば、自分自身の眼を覚醒させるための装置なんです。現代は、ヌードというと排除すべき対象ですが、やはり欲望を喚起するものなんです。

Kishin Shinoyama

篠山紀信「快楽の館」2016年 © Kishin Shinoyama 2016


―長い間第一線でこれだけ色々なことをやられて、篠山さん自体が「時代の鏡」とも呼ばれていますね。

 篠山:僕は何もない所からモノを創るアーティストではないですからね。写真家というのはカメラがあってレンズを向けた先に現実があるわけです。人物や風景やモノとの関係性ですね。その時代時代の面白い人や突出したヒト、モノ、コトといった現実に果敢に寄っていって、良い角度から良いタイミングで撮るってことを50年間ずっとやってきたと思うんです。結果、時代を撮ってきたっていう。

 ―時代とズレることなく足並みを揃えて、ハイファッション誌から週刊誌まで、幅広いメディアや被写体を撮られています。大衆にアピールする秘訣はあるのでしょうか?

 篠山:秘訣をいいたくないとかではなく、それは言葉じゃいい表せない。ずっとやってきていることだから「才能」じゃないんですか?なんていうしかない(笑)。ただし、モノを見ることに対する欲望は強いと思います。それから、仕事の注文主が僕に被写体の持つ魅力を増幅したり、新しい面を引き出したりする役目を期待して依頼してくるわけですから、彼らの要望に応えるように考えて撮りますね。それはアートとは違うでしょう。だけど最終的に昔撮った写真がアートとして美術館に飾られたりするわけだから、やっぱり時代に聞いてくれっていうしかないね(笑)。

 結局、経験で培った瞬時の判断力でしょうね。アスリートのように毎日の鍛錬がモノをいう。写真ってそういうところがありますね。なかなか写ってくれませんから。今回の企画も初めてのことでしたが、これを経ることで、初めての風景や違った景色が見えてくるかもしれません。そうやって成長していくものだと思います。

 −いま一番何に興味がありますか?

篠山:うーんっと….時代に聞いて下さい(笑)。

タイトル

篠山紀信展 「快楽の館」

会期

2016年9月3日(土)〜2017年1月9日(月・祝)

会場

原美術館

時間

11:00~17:00(11月23日を除く水曜は20:00まで/入館は閉館30分前まで)

休館日

月曜(9月19日、10月10日、1月9日は開館)、9月20日、10月11日、年末年始(12月26日~1月4日)

入館料

【一般】1,100円【大高生】700円*原美術館メンバーは無料/20名以上の団体は100円引き

URL

http://www.haramuseum.or.jp