金沢21世紀美術館やルーブル美術館ランス別館などを手がけ、建築界のノーベル賞とも称されるブリツカー賞を受賞するなど世界的に活躍する建築家、妹島和世。彼女が設計・建築を手がけた大阪芸術大学アートサイエンス学科の新校舎の、構想から完成までの3年6カ月の時間をホンマタカシが撮影・監督したドキュメンタリー『建築と時間と妹島和世』が公開中だ。妹島和世建築設計事務所出身で妹島とはSANAAを共同主宰する西沢立衛と、同じく妹島事務所出身の石上純也に、ホンマがとらえた映像が浮かび上がらせる妹島建築の創造の秘密を聞いた。
文=小林英治
写真=川合穂波
建築家はなぜ大量の模型を作るのか
―妹島さんのことをよくご存知のお二人が、この映画をご覧になった感想を率直にお聞かせください。
西沢立衛(以下、西沢):我々としてはとても面白い映画で、妹島さんの話をするべきなのか、ホンマさんの話をするべきなのか、映画の話をするべきなのか、何を話せばいいのか悩ましいです(笑)。
石上純也(以下、石上):この映画はもちろん建物にフォーカスしているんですけど、むしろ妹島さんのキャラクターがピックアップされている感じがしました。それはやはりホンマさんの撮り方によるところが大きいと思いますが、僕が知る妹島さんがとてもうまく捉えられていると感じました。
西沢:冒頭のインタビューで、妹島さんが「模型は制約だ」というじゃないですか。あれはいい話ですね。建築創造の自由を生み出す模型が制約だっていっている。やはり妹島さんには、形式への信頼があるよね。
―どういうことでしょうか?
西沢:やはり模型というのは、自由なイマジネーションを縛るという意味では形式的な強さがあって、その形式性を妹島さんは制約といってるわけですが、でも、模型ってそもそもはイマジネーションの自由のための道具なのです。模型が想像力をかりたて、また縛る。つまり形式って飾りじゃなくて、創造にとって命みたいなものだということですね。また「模型で考えているうちに、昔だったらありえなかったようないい加減な模型も作るようになった」といっています。これは、制約であるはずの形式が、創造の過程で変形していくという話です。パソコンで物を考えるうちに、パソコン自体を改造してしまったみたいな話ですね。人間の想像力と形式のぶつかりあい、闘いについての話で、それをなんか妹島さんは当たり前のようにさらりといってるけど、いいこというなと思います。
―この映画には模型がたくさん出てきます。海外に比べて日本の建築家は模型をたくさん作ると聞いたことあるのですが。
西沢:それは妹島さん以降じゃないかな。丹下健三の時代は模型といっても木材ですから、そんなに量産できないわけです。そういう意味では、80年代の東急ハンズの登場がもちろん大きいんですけど、やっぱり量産するようになったのは、妹島さんがそうしてしまったといえるんじゃないかな。
石上:妹島さんが作る模型は、量も異常なんですけど、普通の人は見ても差がわからないぐらいの違いのものを作るのが特徴なんですよ。
―お二人も模型は作りますか?
石上:やっぱり作りますよ。3Dソフトだと未だに分からないところがあります。模型だと、リモートで画面を通して見たり、写真で見せられたりすると、実物を見るのと全然違うことがよくあるんですけど、あれは何ですかね?
西沢:頭の中で想像してると、何でも可能だから失敗も成功もないわけですね。ところが模型にしてみると、考えたものがとりあえず頭の外に出ちゃうから、失敗が見えるようになる。アイデア全体を外から見る感じがあるんです。それが3Dソフトの場合はコンピュータのモニターの中なので、ずっとインテリアのような感じがしてしまう。そういう意味では、我々が模型を重要な建築創造の道具にしているやり方の理由のひとつには、アイデアを外から見てみたいというのがあると思う。
石上:たぶん、3Dソフトは設計が完璧にできないと完璧な3Dにならないと思うんです。でもスタディ段階ではあんまり決まってないから、その中で3Dを見てもよくわからない。一方で模型は手で作るから、素材感もあるし、良い意味で中途半端に作れるところがあって、むしろそこを補完して頭で考えられるところが良いんじゃないかと思います。
西沢:そうだね。でも3Dを否定してるわけじゃなくて、そこから面白い建築がむしろ出てくるんだろうなという気がしますけどね。
イマジネーションと形式の闘い
石上:妹島さんの建築の作り方とホンマさんって合いますよね。ホンマさんの写真は、映像的なところもあるような気がするんです。この構図じゃなくてもいいんじゃないじゃないかと思わせるようなところがあって、絶対にこの構図だと決めて撮る写真とは違うものがホンマさんの中にはあると思うんです。そういうところが、妹島さんの建物のつくり方と親和性がある気がします。
西沢:妹島さんが、今回のプロジェクトで最初に「丘をつくる」っていうんだけど、そこから途中で丘じゃなくなっていくところが面白いよね。あそこに本当に丘みたいな、古墳みたいなドーム建築をつくるとそうとう鬱陶しいと思うんです。妹島さんは丘といった後、屋根を割ってくじゃないですか。丘のアイデアを壊していくのね。建築を単に図式にしてしまうやりかたが妹島さんはいやで、丘という方針は守りながらも、丘と一言でいえない存在に向かっていくわけ。ランドスケープの連続性としての丘ではあるんだけど、その連続というのは丘という造形をつくるということではなく、建物の中と外の連続でもあって、そこはもっと空間的、経験的なものなんです。そのあたりのことを、今回の映画ではホンマさんが的確にとらえているなと思いました。
ホンマタカシ(以下、ホンマ):(突然登場して)こんばんはー。
西沢:あれ?!今日はいらっしゃらないと聞いていたんですが。
―すいません、サプライズということで黙っていました。いきなりですが、ホンマさんがこの映画を撮るきっかけを教えていただけますか?
ホンマ:最初は映画にする予定じゃなかったんですよ。
石上:そうなんですか?
ホンマ:大阪芸大からは、半年に1回撮影して、その映像を学生に見せたり、HPにアップしたりしたいみたいな、そういう映像をお願いしますという話でした。
西沢:注文を受けたというふうには全然見えないですよ。
ホンマ:それが途中から好き勝手にやっていいみたいになってきて、学校側も(制作プロダクションの)内田さんも欲が出てきて、1本の映像作品にしましょうと。だから最初の出だしでしっかり図面を説明してるのは、一応教育的に考えて、学校の宣伝にもなるようにと、ちゃんと要望通りにやってたんです(笑)。でも、僕は前から日本の建築家の模型に興味があるから、裏テーマとしては模型論みたいなものにしました。
西沢:妹島さんもホンマさんも見ていていいなと思うのは、やっぱり2人とも形式への信頼が感じられるところです。
ホンマ:形式への信頼、ですか。
西沢:妹島さんが「模型は制約だ」というとき、建築創造の不自由さのことなんだけど、逆にそれが建築創造のドライビングフォースとなって自由を生み出してく。ああいった、イマジネーションと形式の闘いの話を妹島さんがしているのが冒頭に来るのはいいなと思ったんです。ホンマさんはそこを、まず正方形で撮って、次にキャンパス計画の模型を横長でパンしていって、そのあとにインタビュー中の妹島さんを縦イチの画面で撮る。キャンパス計画が横長なので画面がすごい横長になって、妹島さんが座ると縦イチなんで画面も縦になる。内容と形式が一致しているというか、内容が形式と関わって生まれてくるということを、妹島さんとは違うかたちで示していて、あの始まり方はこの内容(妹島さん)にふさわしいと思いましたね。
ホンマ:今回、新聞記者とかいろんな人に、「あのサイズが変わるのは何でですか?」って聞かれました。でも僕からすると、どうしてある一定のフォーマットにしないといけないのかっていう疑問があるんだよね。
石上:音楽が反復していくのも、形式上の問題としてある気がして、いいなと思いました。
ホンマ:さっきもいったようにこれはもともと注文だから、結局10分間の映像を6本合体させたので、音楽も自然と10分ごとに音楽が鳴ってたのを合体させちゃえってなったんです。あの音楽は、石若(駿)君っていう若い子に頼んだんだけど、レコーディングでは、最初ピアノを適当に弾いたのをスタジオで録音して、その上にオーバーダビングでドラム叩いてっていう、完全に即興なんです。それを次から次へとやって、10種類ぐらいやったあとに、「まだまだできますけどどうしますか?」っていわれて、「もう大丈夫です」って(笑)、その中から選んだんです。
―石若さんを選んだのはホンマさんですか?
ホンマ:そう。彼のライブは何回も見に行っていて、ドラマーなんだけど、ソロのときにピアノを弾いたときがあって、それがなんか上手くはないんだけど、揺らぎがあるというか、この作品は最初「有機的な建築」って仮タイトルつけてたんだけど、その揺らぎに合うなと思って頼みました。
妹島建築のモダニズム性
―そもそもですが、ホンマさんが妹島さんの建築に惹かれる理由はどこにあるのでしょうか?
ホンマ:僕は建築もいっぱい撮ってるから、建築全般に興味があると思われがちなんですけど、そんなことはなくて、妹島さんの建築に出会ったのがちょうどいいタイミングだったんです。僕が90年代半ばに世に出たときに、「明るい写真」だってすごく批判されました。例えば藤原新也さんには僕はっきり「脱色された写真」とか「軽薄な写真」っていわれたことがあります。時代的にはそのタイミングで、妹島さんも「軽い建築」とか「透明な建築」といわれて出てきたから、ちょうどその質感がマッチしたんですよね。僕はコンクリート打ちっぱなしの建築はちょっと撮れないと思ってたし、それ以前の、例えば都庁を見ても、建築って権威的で嫌だなと思ってました。だから最初に妹島さんの、青山の《小さな家》(2000年)を見たときに、それこそ1対1の模型みたいというか、そこに権力や権威的なものを一切感じなかった。そういう出会いがあるんですよね。もちろん妹島さん個人もチャーミングな方ですけど、人柄が好きでとかそういうのとは越えたところで近しいものを感じたんです。
西沢:《スモールハウス(小さい家)》(2000年)のときは、模型がどんどん変わっていったのをよく覚えてます。
ホンマ:そうなんです。妹島さん、あのときからもうやってるんですよね。
石上:《小さな家》のときは、僕も妹島事務所にいて打ち合わせに参加しました。たしかにでき上がったのはすごく軽やかで繊細だと思うんですけど、当時の妹島さんは、均質で整理されたものじゃなくて何か破綻しているようなものをつくりたいって話してたんです。それで僕らもいわれた通りに模型を作ると、最初はすごいグロテスクだなという感じがしたんだけど、それがだんだんやってくうちに、むしろフワフワしたような感じになってきて、最初グロテスクに感じていた違和感が色々なバランスの中で薄れて消されていったのを覚えています。
ホンマ:たしかに、良い意味で違和感ありますよね。あそこの場所にあれを建てるっていうこと自体が。
西沢:確かに普通じゃない建築なんだけど、あれを妹島さんが施主さんに説明してると、「これが普通なんだな」ってことになってく(笑)。妹島さんのモダニズム精神はひとつは、普通さってあると思う。みんながいえるということを体現しようとしている気がする。
「具象と抽象」の往復運動の中で
ホンマ:今回の映画についてインタビューをたくさん受けたんですけど、面白いなと思ったのは、人が建築とか写真とか映画に対して思っていることが、結構画一的だっていうこと。建築は「建築」っていう一個のもの、あるいは「映画」というのはこういうものっていうのが、質問する人の中でものすごくあるんですよ。僕はそこをごちゃ混ぜにしたり、ちょっと変形しちゃったりするから、「これは映画といっていいんでしょうか……?」みたいな質問がけっこうあった(笑)。
西沢:建築でもそういうのはすごくありますね。新聞とかマスメディアには、呆れるくらい暴力的な要約をされますね。すごすぎて、まあ良いかっていう感じだけど。
ホンマ:わかります(笑)。あと建築だと、それこそ雨漏りするとか、未完成の状態は基本的に許されないじゃないですか。でも写真とか映画だったら、別に未完成はありなんじゃないかなと僕は思っていて、なんか積極的に未完成を出したいなっていう感じがあるんですよね。劇場のトークでもいったんですけど、この映画も妹島さんの第一章で、まだこれから続きがありますから。
西沢:あと、これは良い意味でいうんですけど、ホンマさんの映画って途中から見始めてもいいというか、最初から最後まで見てようやくわかった!って映画じゃない気がするんですよね。ある程度見て、「あ、これはもう大丈夫だ」っていうのが、全部見なくても分かる。
ホンマ:前からいってることなんだけど、僕は映画を見るときに、1シーンが良かったらもうそれでいいっていうタイプなんですよ。普段から、最後まで見て、ああ気持ちよかったっていうのではない映画体験をしてるから。
西沢:さっき石上君が、ホンマさんの写真は決定的瞬間じゃなくて、その切り取り方じゃなくてもいい感じがするっていってましたけど、それはつまり、世界があって、その世界が提示されるからなんだよね。
石上:それはすごく現代的という気がします。もちろん形式、こういうフレームで撮るとか表現するとかはあると思うんですけど、そうじゃない世界があるという前提で作るということが現代的というか。
西沢:妹島さんもそういうところすごくあるよね。模型を大量に作って、おびただしい量の模型がどんどん生まれていくでしょう。たとえ建つのは一つでも、その背後になにか無限の世界があるよね。妹島さんがすごいなと思うのは、無数の案の中から一案を選んで、それを必然的なものに置き換えていくときに、すごく努力をするんですね。今回の映画でも、現場と事務所の往復について話してて、現場だと建築の中に飲み込まれちゃうけど、事務所では外から眺められるといって、その中と外の往復の話を盛んにしています。それは「中と外」とか「身体と概念」とか「具象と抽象」、いろんないい方できると思いますけど、そこを何度も往復して、ひとつの建物に結実させていく。現場で今まさに建ちつつあるのに、建物の位置を変えようとするところとかおかしいけど(笑)、あの頑張りは、アイデアだけで建築を作ってしまうような人たちにぜひ見てほしいですね。
『建築と時間と妹島和世』
監督・撮影:ホンマタカシ
出演:妹島和世
製作:大阪芸術大学
Copyright 2020 Osaka University of Arts. All Rights Reserved.
2020年/日本/カラー/16:9/60分/英語字幕付き
配給:ユーロスペース
公式Webサイト: kazuyosejima-movie.com
Instagram: kazuyosejima_movie
Twitter: @SejimaK_movie
2021年3月以前の価格表記は税抜き表示のものがあります。予めご了承ください。