森栄喜の新作個展「Moonbow Flags」が東京・新宿のKEN NAKAHASHIで開催中だ。彼の写真の始まりから本展の新作『Moonbow Flags』までを聞いた。
撮影=今津聡子
取材・文=菅原幸裕
パリ五月革命のスローガン「敷石の下はビーチ!」から着想されたという、フォトグラファー森栄喜の近作『Moonbow Flags』。フォトグラムという技法を使い、ポートレイト写真などの上に重なって浮かび上がっているのは、国旗などを連想させるモチーフ、または幾何学的な模様。それらはスローガンにある敷石とは、少し異なっている。
「このスローガンには、ビーチの楽しさ、自由と解放感を思わず視覚的に想像させるような力強さとあたたかさを感じたので、そこから作品をつくりたいと思いました。そこでフォトグラムを思いついたのですが、実際に石やレンガを使うと、影(感光せず白くなる部分)が強くなりすぎてしまい、(隠れるものと見えるものとの間に)力関係が生じてしまうと思ったのです。前景と後景が交錯するような、相互がニュートラルな関係性になるものはないかと行き着いたのが、透明なアクリル板に自分で図形を描いて印画紙の上に置き、石ほど白くならず、やや透ける感じでプリントする方法でした。その一方で、レンガや石の強さに匹敵するものとして思いついたのが、旗などに使われる、権威を象徴する図形でした。
そして、国旗はもちろん、コミュニティの旗、例えばレインボーフラッグも、始まりは手縫いで思いを込めて作られていたのと同じように、デジタルではなく、全ての工程を手作業で行っています。手作業の歪さや手跡の拙さなども、敢えてそのまま残しました。それが現代にネガフィルムのプリントを発表する意味でもあります」
森が写真に興味を持ったのは高校生の頃。趣味で山岳写真を撮っていた父親のお古のキヤノンEOSを使い始めたのがきっかけという。
「ところが、登山の時に撮るためのカメラなので、レンズが広角とマクロしかなくて。その当時カメラにまったく詳しくなかったので、なんだか不便だなと思いながらも、人物ポートレイトを、広角で少し離れたところから、マクロで顔や身体のパーツをすごく近づいて撮影していました。その不便さや被写体との距離の取り方が、逆にいまの自分の写真に影響を与えているかもしれません」

高校では美術部に所属して、絵を描く友人を被写体に撮影していた。描くより撮るほうが面白い、そう感じていたという。
高校卒業後、森は地元の金沢国際デザイン研究所(KIDI PARSONS)に進学し、2年後、同校の姉妹校だったニューヨークのパーソンズ美術大学に留学。当時ハーブ・リッツやブルース・ウェーバーといったファッション写真が好きで、彼らが活躍していたニューヨークに関心があったのと、ゲイという自身のセクシャリティゆえに、故郷や親元から距離をおきたいという気持ちがあったという。
「金沢の学校で単位をとって、写真学科に編入した形です。パーソンズではコマーシャルな写真を志向する人と自己表現を追求する人が分かれていて、僕は後者でした。ファッション写真の場合、被写体のモデルとの間に、必ずしも信頼というか、交流がなくても成り立つようなところがあって、理屈としてはわかるんですけど、どうしても満たされない気持ちがありました。自分は被写体と1対1で、ダイアリーを紡ぐように、近くで寄りそって撮るようなものが合っているかなと思って、だんだんそちらにシフトしていきました」
2年の留学を終えて帰国。その決断には、ニューヨークでの経験も影響していた。
「日本にいたときより、アジアを意識するようになりました。英語を母国語としない留学生同士の中国や韓国、台湾の人たちとすごく仲良くなって、アジアで撮りたいと思うようになり、帰ってきたのです。当時はポートレイトを撮るとすぐFlickrに上げていたんですが、それを中国や台湾の人たちがよく見てくれていました。そのひとりは写真集『Tokyo Boy Alone』(2011)を出版した台湾のデザイナーでした」
そして、『intimacy』(2013)で、森は第39回木村伊兵衛写真賞を受賞する。
「『intimacy』は、当時の恋人を中心とした写真です。それ以前は友人を疑似恋愛のように、恋人っぽく撮ったりもしていたので、そこは大きな違いでした。ただ『intimacy』以降は、“恋人っぽい写真”があまり撮れなくなりました。それは“恋人との写真”とは別もので、撮るときに、また見せるときに両者をちゃんと区別しないと、誠実じゃないと感じるようになってしまったのです。そこで次に取り組んだのが、赤い家族写真でした」
『Family Regained』、ジョン・ミルトンの『Paradise Regained(復楽園)』から着想されたタイトルのもと発表された一連の写真は、家族写真に森自身が写り込んだもの、友人や恋人同士を撮影したものなどで構成され、いずれも赤色のフィルターがかかったようにプリントされている。
「それは理想の風景というか、存在しない家族を演じて、記録するような作品でした。今の現実とかろうじてつながっているように感じる、仮の未来を撮っているような感覚もあったので、なんとか撮影できて、まとめることができたのだと思います」
ただ、「僕はもともとそういう写真の撮り方をしていなかったので、戸惑いながら撮影していました」とも。だからこそ、“赤”が必要だったという。
「『Family Regained』の写真はモノクロフィルムで撮っていますが、ストレートフォトから離れる加工というか、見せ方をしないと、誠実ではないと思い込んでいたし、これまでの写真も“作られたもの”と捉えられそうな気がして。だから、作為というか、メイクの要素が強い、演じている写真であることが一目でわかってもらえるようにしたかった。それが赤色にした理由のひとつでもあります」
こうした写真表現の一方で、森は映像、パフォーマンスなど、表現の幅を拡げていった。そこで森はある種の手応えを得たと話す。
「メディアを変えることで、『intimacy』的な、自分にとって嘘のない親密性を、自己模倣ではない形でつくれたのです。写真だと“被写体を変えて同じことをやっている”感覚があったかもしれないのですが、別のメディアだと気負いなくできました。あと、技術的にチャレンジ感覚で取り組めたのが、救いだったところもあります」
当時は同性婚運動なども現在と違い、声高に発言しないと議題に上らないような雰囲気だったことも、森が活動を多彩に活発化することに繋がったと振り返る。
「『Family Regained』における、家族像みたいなものを作品中で探っていく行為は、今回『Moonbow Flags』で国旗や国家の象徴みたいなものを扱っていくことに通じるものがありました」
冒頭で述べた通り、当初はフォトグラムとして表される図形などが、国旗や国家などを表象するモチーフだったが、作品づくりの過程でもっと別の図形なども取り入れるようになっていった。
「国旗などに代表される、自分たちでは変えられない、変えてはいけないと思い込んでいるような強固なものを崩したいと思ったわけですが、そのモチーフにこだわることで、かえって強化や温存へつながってしまうかもしれないし、デザイン性や象徴性に僕自身が囚われているように感じたんです。だから途中から、国家とは対照的な生活空間にあるようなもの、キッチンタイルや積み木箱、壁紙の図柄なども混ぜていきました」
さらに、図柄と重なっている写真の選択についても、森自身のそれまでのこだわりを脱することになったという。
「僕にとっての理想の写真とは、何の作為も入っていないものです。撮影中、フレーミングのために自分自身が一歩動くことさえ躊躇してしまうくらいですし、これまでの写真集も時系列順のまま構成しています。その点で今回のフォトグラムという技法は、僕としては作為的な、撮った瞬間後の加工や行為になるわけですが、その一方で、図形を描いた時間と、撮影の時間が重なりひとつになったり、図形とポートレイトの組み合わせもほぼ無限にある中で、パズルや積み木で遊ぶように即興で組み合わせを決めていきました。これまでとは比べものにならないほど、写真を自由に捉えることができるようになりました」
その“本物性”への懸念からそのままになっていた、『intimacy』以降撮影した恋人や友人の写真などが、この『Moonbow Flags』には使われている。撮ってそのまま届けられるのが写真としては理想、森はかつてそう考えていたが、それもまた思い込みであり、囚われる必要はないと思えたという。さらに森は、国旗に関する、あるエピソードを示してくれた。
「国旗について調べていて、長野オリンピックの時に、日本国旗の“日の丸”の比率を10%程度大きくしていたことを知りました。雪景色の背景では、日の丸が小さく感じられることが理由だったそうです。その後、国旗のデザインを勝手に変えてはいけないという法律ができたのですが、日本の国旗ですら、つい数十年前まではそのぐらいだったのです。そして日常生活の必要から、多少アレンジされたからといって、本質は何も損なわれない、その感覚が大切だなと感じたのです」
森は現在、今回のフォトグラムを使った作品から、さらに発展させた作品に取り組んでいる。
「以前『スプラッシュ』というタイトルで、デイヴィッド・ホックニーの同名の絵画作品を起点にして、AIDS危機で途絶えてしまった楽園をテーマに映像作品をつくったことがありました。水しぶきの音がふたりの人物の間で反復する中で、楽園がおぼろげに立ち現われてくるというもので、それを今度は写真で表現したいと思って。薄いプリントのペーパーでも音やその奥行きを感じられるようなものを考えています。もうひとつは、砂粒と惑星ぐらいのスケール感の変化を、写真特有の引き伸ばしの技法を使って表現できないかと思っています。僕は、暗室でのプロセスには、いい意味で制御不能な思いもよらない可能性があると思っています。ネガフィルムという、国旗にも似た絶対的なものに、元に戻せない加工をしていたりもします」
それはいわば、タブーを超えるようなことか、と尋ねると、森は「今はそうしていかなければならないと思います」と答えた。そして次のように言葉を継いだ。
「居場所がない、といつも感じます。でも、それは用意されているフィールドに着地しようと思うからであって、居場所は自分でつくると思えばいい。僕が居場所をつくることで、同様に居場所がないと感じている人たちも自分でつくれるんだ、拡張していけるんだと気づくかもしれないですし」
| タイトル | Moonbow Flags |
|---|---|
| 場所 | KEN NAKAHASHI(東京都新宿区新宿3-1-32 新宿ビル2号館5階) |
| 会期 | 10月10日(金)〜1月24日(土) |
| 時間 | 13:00〜20:00 |
| 休み | 日・月曜日、12月21日(日)~1月5日(月) |
| 料金 | 無料 |
| URL | https://kennakahashi.net/ja/exhibitions/moonbow-flags |
