4 April 2026

ロー・エスリッジが編む、シャネルの記憶の層

4 April 2026

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ロー・エスリッジが編む、シャネルの記憶の層 | 2B2A9701

シャネルが100周年を記念して2025年6月に創刊した新しいアート雑誌『Arts & Culture Magazine vol.1』では、アメリカ人写真家のロー・エスリッジがシャネルのアーカイブ施設に招かれ、そこに保管されていたガブリエル・シャネルにまつわる所蔵品を用いて写真制作を行った。シャネル・ネクサス・ホールでは、このプロジェクトによる展覧会「カンボン通り31番地のフーガ」を開催中だ。

シャネルが愛した品々を単なるアーカイヴとしてではなく、エスリッジの視点を通して独自の解釈で再構築しながら、新たな息を吹き込んだ。蒐集されたものの背後にある記憶や物語は、イメージの連なりのなかで静かに立ち上がり、ココ・シャネルの美意識と時間の厚みを現在へと引き寄せる。

撮影=高木康行
取材・文=アイヴァン・ヴァルタニアン

コレクションにみるシャネル

――シャネル アーツ カルチャー&ヘリテージ部門の代表であるヤナ・ピールがから、シャネルのパトリモワンヌ(シャネルのファッション、時計宝飾、香水化粧品を始め、ガブリエル シャネルの私物や美術品を保管しているアーカイブ施設)での制作に招かれたそうですね。ファッション界で最も由緒あるアーカイヴの一つに足を踏み入れるのはどのような体験でしたか?

ロー・エスリッジ(以下、RE): 制作は完全なカルト・ブランシュ(白紙委任、つまり自由裁量)だったので、2回に分けて制作することを提案しました。1回目は10月、2回目は11月。まず何かを発見し、次にその対位法的な変奏を作るという考え方です。

1回目のセッションはよりシンプルで、ココ・シャネルと親交のあったフランスの詩人ピエール・ルヴェルディの詩の手稿があり、開かれたページの詩——それが最初の1枚でした。そこから複雑さが増していくことになりました。ニューヨークに戻り、編集で絞り込み、2回目には別の撮影クルーを組みました。よりバロック(過剰装飾的)にして、あえてエレガントさを抑えたかったのです。

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――彼女のアパルトマンがさまざまなコレクションで埋め尽くされていることは知られていますよね。このコラージュの過剰な重層性やディテールは、そこへの目配せでしょうか。

RE:そうです。私の母は物を捨てない人でした。生まれ育ったアメリカ・アトランタ郊外の家はそこかしこに柄物の壁紙が貼られていましたし、物にあふれていました。実家に帰ったとまでは言いませんが、馴染みのある感覚でした。

――コレクションの中から被写体をどのように選んでいきましたか?

RE:『Arts & Culture Magazine vol.1』誌の裏表紙にあるコンポジット・イメージのようなものをやりたいという構想は最初からありました。カンボン通りのアパルトマンに置いてあるコロマンデル屏風(17世紀のヨーロッパで流行した中国製の漆塗り屏風)を使って、コラージュとして展開するようなビジュアルです。単一の視点から一つの対象を捉える写真ではなく、そこから外れていく。視覚的に過剰な状態、いわばノイズが最大化された画面へと向かうイメージです。彼女は生涯を通じて、同じような屏風を約30点収集しました。

さらにライオンのオブジェも数多く所有していました。ライオンは彼女の星座である獅子座を示すとともに、彼女が魅了されていたヴェネツィアのライオン像を想起させるモチーフです。


記憶の中で輝きを放つシャネル N°5

――このプロジェクトはあなた自身の背景とどう結びつきますか?

RE:シャネルとのつながりは、子どもの頃まで遡ります。母の化粧台の上には真珠やヘアスプレーなどが置かれていて、その中にシャネル N°5の香水がありました。それはまるでステージのセンターから呼びかけてくるようでした。とても小さなボトルでしたが、どこか神秘的な力を宿しているように見えて、強く惹きつけられたのを覚えています。

その後アーカイヴを見ていくなかで、彼女がデパートで消費者のために考案したさまざまな発明に触れ、衝撃を受けました。デザインだけでなく、マーケティングや流通のあり方まで含めて構想していたからです。そういう意味で、彼女はまさにモダニストだったのだと思います。

同時に彼女は、先進的な服を作っていました。コルセットと華やかな装飾が主流だった時代に、ジャージー素材、パンツ、シンプルなラインといったメンズウェアの要素をウィメンズウェアに取り入れ、女性のファッションに革命をもたらしたのです。彼女の人生を知ることが、子どもの頃の何気ない記憶にまで意味を与えてくれる。まるで彼女がそうした体験まで計算し尽くしていたかのようです。

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イメージを追いかけ、逃げる

――タイトルに「フーガ」という言葉を選んだ理由を聞かせてください。

RE:作品のシークエンスについて語るとき、私は以前から音楽の言葉を借りてきました。そのうちの一つである「フーガ」とは、ひとつの短い旋律がまず提示され、それが別のパートへと受け渡されながら、追いかけるように展開していく作曲技法です。反復や変奏、対位法(同時に異なる旋律を2つ以上鳴らす技法)が重なり合い、複数の線が響き合いながら一つの構造を立ち上げていく。バッハの音楽は、その頂点にあるものです。本作ではあるモチーフが現れ、別のイメージへと引き継がれ、かたちを変えながら繰り返されていく。そうした連なりの中に、写真に対位法のような関係を浮かび上がらせました。

例えばダリのサインが入った本があり、そこに、ハンドモデルがサインするふりをする、続いてラテックスの手袋をはめた手が登場する作品が現れる。あるいは束ねられた麦。フランスで麦は富や安全を意味し、特権的な出自ではなかった彼女にとって、個人的な響きを持っていたのです。彼女が決して手放さなかったものたちは、時間のなかで彫刻のような輪郭を帯びていく。手、手袋、本、そして舞台装置——ラテックスの手袋をした手やブローチ。そうした要素が、ひとつの「声」として現れ、別のかたちで再び現れる。そこで初めて、フーガという枠組みがこの作品にふさわしいと確信しました。

観る人には、それらの連なりを見つけてほしいと思っています。すぐには気付かないかもしれないし、もしかすると永遠に気付かないこともあるでしょう。それでも、何かが確かにあったという感触だけは残る。その余韻こそが、このプロジェクトの豊かさなのだと思います。そのためにモチーフは注意深く選ばれています。

領域を超えて響き合うために

――音楽の技法を参照することは、あなたの作品に繰り返し現れるテーマですね。

RE:画家の友人がよく「自分の展示が響くようにしたい」と言うのですが、その感覚は多くの人に共有できるものだと思います。同時に「この写真はこういう意味だ」とひとつの主張に回収されてしまうことから逃れるための方法でもあります。そうではなく、作品同士の間にダイナミクスが生まれ、組み合わさったときに和音のように響く。6本の弦を鳴らし、さらに別の和音を重ねる——その組み合わせを考えています。そうした発想は、学生時代に陥りがちだった、コンセプトや理論が先に立つアプローチの「檻」から抜け出す助けにもなりました。イメージの作り手ではありたいですが、一人称で何かを断言するような作品だけを作りたいわけではないのです。

写真集を編集していると、これは総譜(全ての楽器や声学のパートが1枚にまとまって書かれた、指揮者が使う楽譜)のようなものだと感じます。展覧会はその総譜をもとにした演奏、いわばコンサートのようなものです。2つのキーボードが同時に鳴るときの、調和と不調和の関係として語ることができる。だからこそ、個々の作品が並ぶだけの静的な配置ではなく、文の構造のように、関係の中で機能するものにしています。

一方でフーガという形式は、心理的には自分を見失うような感覚とも重なります。自分という輪郭が別の何かに溶けていくというか。1980年代後半から90年代にかけて学び、作家としての個性や主体を強く問われてきた世代として、私は時々、何かが自分の中を通過しているだけの存在のように感じることがあります。もちろん、時には明確な意思を持ったアーティストであるとも思うけれど、多くの場合は、郊外に暮らすごくありふれた一人の白人男性にすぎない。アメリカ郊外の中産階級が持つ、均質で息苦しい空気から逃れようとしてきた。でも、ある時気付いたのです。それこそが、自分の主題なのだと。

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――ファッションはおそらく、現代写真において最も影響力があるジャンルだと思います。美学やスタイルだけでなく、経済、流通、人々のイメージの消費に及ぶまで。

RE:何らかの抗いがたい力があると感じています。美しさや、その基準をめぐるエネルギーがあって、それがカメラを引き寄せていく——ある種の慣性のようなものです。一方で商業写真に関して言えば、どこか媒介としての側面もある。現実から少し距離をとらせてくれるのです。それが創られた世界と結びついているからこそ、逆に現実を持ち込んで揺さぶることができるし、そこからまた演出を持ち帰ることもできる。その両方を行き来しながら活用しています。現実をファッションの世界に持ち込み、演出をギャラリーへと持ち帰る、というように。そしてそれは、試すような、あるいは手探りで積み上げていくような機会でもある。同じ方向を見ている人たちと協働できること、その時間がこのうえなく楽しいのです。

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ロー・エスリッジ|Roe Ethridge

1969年フロリダ州生まれ、アメリカを代表する現代写真家の一人。20代でニューヨークに移住、商業写真を通じて自身の創作活動を継続。ファインアートと商業写真という2つの領域を横断する制作を行うなかで、ビューティー撮影のアウトテイク(未使用カット)が自身の芸術作品の志向と同等のものになり得ると気づく。その考え方には、アンディ・ウォーホルやリー・フリードランダーといったアーティストへの興味も影響している。

タイトル

FUGUE FOR 31 RUE CAMBON
ROE ETHRIDGE AT CHANEL ARCHIVES

場所

シャネル・ネクサス・ホール(東京都中央区銀座3-5-3 シャネル銀座ビルディング 4F)

会期

2月25日(水)〜4月18日(土)

時間

11:00〜19:00

休み

なし

料金

入場無料

URL

https://nexushall.chanel.com/program/2026/roe_ethridge/

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