2013年に出版された『螺旋海岸 album』以来4年ぶりの作品集となる『Blind Date』を刊行し、現在、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で同名の展覧会を開催中の志賀理江子。本作は2009年にアーティスト・イン・レジデンスとしてタイのバンコクにて撮影した作品を発端とする。バンコクで出会った他者の眼差しを通して「Blind」という言葉の持つ意味と長年深く向かい合ってきた志賀。本作に込められた問いとは何なのか、そして写真を通して探しているものについて語る。
*6月に原宿・VACANTにて展覧会の開催と写真集の刊行を記念して行われたトークイベントから抜粋して掲載しています。
構成=小林祐美子
写真=宇田川直寛
「螺旋海岸」などの作品制作を通じ、ずっと私が探しているものは「歌」のようなものだと思います。いま、世の中で同時代に生きている私たちにひとつ共通することは「一人の人から生まれてきて、死ぬ」ということしかないと思っていて、生まれたときのことを覚えている人は少ない。だとしたら、一番想像が働くのは死なのではないか。そう考えて、「螺旋海岸」の製作中から「もしもこの世に宗教もお葬式も、あらゆる形式の弔いがなかったとしたら、大切な人が亡くなった時に、あなたはどのように弔いますか」という質問をたくさんの人にしたりしました。死について考えることによって、個人の奥に潜む物語のようなもの、想像する力をノックするような質問です。そこからオリジナルな死に対する物語が出てくる。その物語こそが私の探している「歌」の歌詞かもしれないと思ったんです。
2008年に滞在制作のためにタイのバンコクを訪れました。空港から移動するためにバイクの後ろに乗って、国外から来た自分が何を見ていたか、同じように後部座席に乗っている子達の視線でした。例えば、東京の街中で親子や恋人以外の人と見つめ合うことはほとんどありません。そのとき、幼い頃に実家の仏壇の上にかかっていた先祖の写真の、どこを見ているかわからない眼差しを意識していたことを思い出し、それが最初の写真的体験だったと思ったんです。そこで、写真から発せられる眼差しと見つめ合うことを通して野生の勘のようなものに触れられるとしたらそれをバンコクでやってみようと、バイクの後ろに乗って眼差しを集めることを始めました。
道端で、バイクに乗ったカップルに撮影をしたいと声をかけるとほとんどの子がOKしてくれて、ノリが良い子とはその後少しお茶をしながら、お互いのことを話したりもしました。撮影の時に伝えたのは「絶対に笑わないで私を見つめてほしい」ということ。笑うことで本当の顔を隠してしまうかもしれないと思ったのです。私はずっと写真が内包する暴力性が気がかりだったけれど、「触れ合わなくても写真は撮れてしまう」という、どこか後ろめたい気持ちが、この撮影をしている時は生まれる余地がなかった。
もうひとつ、写真を撮る上で気になっていたことが「写真は目にしか見えない?」ということです。もし目が見えなかったら写真も見えないのか、結局は視覚に頼る次元の話なのか、それは嫌だと。撮影を重ねるうちに、ふとひとつの妄想をしました。後部座席の子が、運転している子に目隠しをして心中した恋人達がいるかもしれない、と。その時に「Blind Date」という言葉が浮かびました。「Blind」は主に「盲目」という意味で使われますが、「Blind Date」を辞書で引くと「知らない人と会ってデートをすること」とあります。自分のその時の状況とも重なり、「Blind」という言葉が写真を撮る上でどう意味を持つのか、いまこそ向き合う時が来たのかもしれないと思いました。
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「見えない」世界の表現
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