今年で34回目を迎える、キヤノン主催による若手写真家の登竜門「写真新世紀」。毎年開催される「写真新世紀展」では、優秀賞受賞者の作品が展示され、会期中に行われる審査会でグランプリが選出される。今回は2,002名(組)の応募から、優秀賞受賞者として金田剛、後藤理一郎、セルゲイ・バカノフ、立川清志楼、樋口誠也、宮本博史、吉村泰英の7名が選ばれた。先月30日に東京都写真美術館で行われたグランプリ選出公開審査会をレポートする。
文=IMA
新型コロナウイルスのパンデミック以降、いまでは日常の光景となっている千鳥配置の客席には、例年の半分以下の観客と、最前列には審査員が並ぶ。その観客を前に、受賞者が自身の作品の意図やプロセスをプレゼンテーション形式で説明し、質疑応答に臨んだ。会場には今年度の審査員を務めるオノデラユキ、瀧本幹也、安村崇 、野村浩 、椹木野衣が来場し、清水穣とポール・グラハムは渡航制限によって動画とテキストのコメントを通じての参加となった。
今年、グランプリに輝いたのは樋口誠也。シンガポール滞在中に制作した「some things do not flow in the water」は、日本語の、好ましくない過去を「水に流す」という言葉と「許す、しかし忘れない」というシンガポールの言葉を複合させ、両国の歴史的な関係性を揶揄する映像作品である。プリントされた写真に樋口自身がシャワーを浴びながらインクを部分的に流し、後に元のイメージを声に出して思い出すパフォーマンスが映像として記録されている。
シャワーキャップのような世俗的な要素を用いてユーモアを取り入れながらも、シンガポールと日本の間にある、忘れがたい過去について言及している。同時に、歴史的や政治的な背景をもつ一枚でも、実際人々の記憶に残るのはイメージの印象的な一部分であることに気づかされる。そして、証拠としての性質が認められてきた写真メディアの不明確性に対する客観的な観察も含まれる。浴室でシャワーという異質なシチュエーションであるにもかかわらず、多角的な発見を通じて「観る」だけでなく「考えさせる」ことができる重層的なシリーズだ。新型コロナウイルスが脅威を振るう中、社会との断絶と人々の間での分断が目立ってきた一年だったが、国と国、人と人の関係性について改めて考えさせられる機会となった。
審査員、椹木野衣は樋口の展示について、「方法論的なことだけではなく、コンセプチュアルな行為をあえて写真との裸の付き合いとして自らの身体を使って試み、言葉のセンスも感じられました。どうしても固くなりがちな主題ではありますが、そこにユーモアと言って良いような柔らかな視点が感じられたことも評価に値します」と述べており、同時に今年度の応募作品の傾向として「距離(distance)」というキーワードを挙げ、「人と物との距離をどのようにして“とる”のか、これは写真に限らない問題であり、大きなテーマのひとつ」であると話している。その感覚は、ほかの優秀賞受賞者の作品にも感じとれる。
金田剛は空想上の天文学者の軌跡を辿ることで、この世界のミクロとマクロを描き出すシリーズを制作。対して後藤理一郎は、自分の生活を取り巻く普遍性に意識的に一歩踏み込み、シャッターを押す。そのほか、過去の写真から亡き母の姿を切り取り、まとめたポートレイトからは親子間の親密性を生み出したセルゲイ・バカノフ、被写体に対する客観性を常に保ちながら写真メディアの性質を実験的に探求する立川清志楼や、吉村泰英は自らが被写体として写真の一部とすることで、イメージの明示性を問う。そして大阪の寺田家という家族の持ち物をアーカイブ化して映像にまとめることで、赤の他人であった一家族との不思議な関係性を構築した宮本博史など、各作家から被写体・写真・人とのさまざまな距離感が伝わってくる。
写真新世紀から発掘される新しい才能の数々は、その年々の傾向や社会の空気をまとっている。半ば強制的に人と一定の距離を保つことを余儀無くされたから今年だからこそ、多くの作家が必然的にその状況に目を向け、あるいは影響されることとなっても、一方で新たな表現が生まれていく礎となるだろう。これからも探求され続ける写真の可能性は、まだ世に出ていないアーティストの手で切り開かれていく。
2021年3月以前の価格表記は税抜き表示のものがあります。予めご了承ください。