2 April 2024

中平卓馬が追求した写真の本質とは?東京国立近代美術館の展示が4/7まで

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東京

2 April 2024

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中平卓馬が追求した写真の本質とは?東京国立近代美術館の展示が4/7まで | 中平卓馬が追求した写真の本質とは?東京国立近代美術館の展示が4/7まで

中平卓馬ポートレイト 1968年頃 撮影:森山大道 東京国立近代美術館 ©Daido Moriyama Photo Foundation

東京国立近代美術館で「中平卓馬 火-氾濫」展が4月7日まで開催されている。2015年に逝った中平の没後初となる大規模な回顧展だ。展覧会場には、時系列に沿って作品が並ぶ。1960年代末の『PROVOKE』、1973年の評論集『なぜ、植物図鑑か』、展覧会タイトルにもなっている1974年の『氾濫』 、1977年の急性アルコール中毒による昏倒と記憶喪失とその後のカラー作品など重要作をポイントに、5章に分けて構成。展示について東京国立近代美術館主任研究員の増田玲氏に聞いた。

文=IMA

「中平さんは日本の戦後写真史におけるキーマンの1人です。1960年代後半から1970年代にかけて存在感を放ち、現代写真の発展に大きな影響を及ぼしたと考えています。2015年逝去後、どこかで本格的に業績を振り返るべき作家であることは異論のないことでしょう。当館は『氾濫』 や2011年の「キリカエ」展で発表されたカラー写真など重要作品を収蔵していることもあって本展の開催へと至りました」

中平卓馬《氾濫》1974年、発色現像方式印画、169.5×597.5cm(48点組、各42.0×29.0cm) 東京国立近代美術館 ©Gen Nakahira

中平卓馬《「氾濫」より》1971年、発色現像方式印画、42.0×29.0cm 東京国立近代美術館 ©Gen Nakahira

中平卓馬《「氾濫」より》1969年頃、発色現像方式印画、42.0×29.0cm 東京国立近代美術館 ©Gen Nakahira

中平はもともと編集者であり、写真評論に関しても多くの文章を残している。『PROVOKE』創刊では「思想のための挑発的資料」と掲げたように、写真と思想をもってして、それまでの既成概念やありきたりの写真表現に異議を申し立てた。やがて写真へのさらに深い追究により作風はドラスティックに変わるが、1973年の『なぜ、植物図鑑か』発表を機に、それまでのネガフィルムとプリントの大半を燃やしてしまったため初期の写真はほとんど残っていない。そこで本展では、展示前半は中平が活動の主戦場とした雑誌ページがそのまま展示されている。雑誌などに寄稿した文も写真掲載誌と同等に並ぶのが印象的だ。

「主に雑誌で活動していた写真家なので、雑誌そのままを展示した方が良いと考えました。プリントとは違った印象となり、雑誌がケースに留まっているだけではない存在感を放ちます。中平さんはこんな仕事をされていたんだと、今後の研究の土台にもなるのではないかと思います」

多くの資料を集めたことにより新たな発見があったという。

「アレ・ブレ・ボケから『なぜ、植物図鑑か』にいたる際にはスランプに陥り、全然写真を撮っていない、撮るよりも考えることに時間を費やしている、と本人が書いている時期があります。でも実際には悩んでいただけではなく、ごく少数でも写真は撮っていたし、過去に撮った写真を組み合わせて何か発信しようとしたり、写真に関して途切れなく活動しているんです。今後また発見の余地がある時期だと思います」

主観を入れないのが写真の本質

中平は常に社会制度に対して問題意識を持っていた。1970年代初頭には「都市」「風景」というタイトルの作品を発表。社会の風景が政治経済に支配され、個人の生を疎外していると捉えた。写真もその一端を担っていると思い、自らの写真作品『サーキュレーションー日付、場所、行為』で抵抗した。

中平卓馬《「サーキュレーション―日付、場所、行為」より》1971年、ゼラチン・シルバー・プリント、32.0×48.0cm 東京国立近代美術館 ©Gen Nakahira

中平卓馬《「サーキュレーション―日付、場所、行為」より》1971年、ゼラチン・シルバー・プリント、32.0×48.0cm 東京国立近代美術館 ©Gen Nakahira

中平卓馬《「サーキュレーション―日付、場所、行為」より》1971年、ゼラチン・シルバー・プリント、各 32.0×48.0cm 東京国立近代美術館 ©Gen Nakahira

この思考は学生時代の影響からと考えられる。中平は東京外国語大学スペイン科を卒業。学生時代は安保闘争と重なり、在学中にはキューバのフィデル・カストロに手紙を書いたこともあったという。そんな時代を経験したからこそ、中平は基本的に権力を疑ってかかるというスタンスとなったようだ。そしてその当時、雑誌、新聞、テレビと視覚に訴えるメディアが増えた。情報が人々の日常に浸透していくのだ。

「中平さんはそうした社会に危機感を感じました。メディアを安易に信用してはいけないと。その警告として、アレ・ブレ・ボケの作品を発表したのです。本当の世界と対峙するのはアレ・ブレ・ボケのような生の世界であり、誰かが情報を整理したメディアの映像ではないと。インターネットが発達する現代と重なるかのようです。アレ・ブレ・ボケは50年前の出来事ではなくて、今まさに起きつつあることにも通ずるのではないでしょうか。しかし、アレ・ブレ・ボケを撮ることは技術的には簡単です。そのため一般的になってしまい、単なるメディアの一つになってしまいました。そこからさらに考え、植物図鑑という新しい方向性を見出したのです。世界を見るという意志が介在しない 方法を模索し、『事物が事物であることを明確化することだけで成立する』方法に行きつきました」

この中平の思考は他者の評価にも通ずる。その一つは、篠山紀信への評価だ。1976年、『アサヒカメラ』誌上にて篠山と共に「決闘写真論」を連載する。

「中平さんはウジェーヌ・アジェやウォーカー・エバンスの、レンズでありのままを捉えるという作風を評価していました。あらゆる事物を撮る篠山に対して、いわば社会、目の前の世界をそのまま写真に置き換えている態度と解釈し、アジェやエバンスのようだと評しました。この連載を通して、自分の主観をそぎ落とした写真を撮ることが写真の本質であると確信していくのです」

しかし連載の翌年1977年、急性アルコール中毒で昏倒。以降、新しい記憶が持続しないという後遺症が残った。そんな状況下でもむしろ精力的に写真を撮った。

「記憶障害が残ったことで、写真を撮り続けることは自己の存在を確認する行為という側面もあったの ではないかと考えます」

中平卓馬《無題 #437》2005年、発色現像方式印画、90.0×60.0cm 東京国立近代美術館 ©Gen Nakahira

中平卓馬《無題 #444》2010年、発色現像方式印画、90.0×60.0cm 東京国立近代美術館 ©Gen Nakahira

中平卓馬《無題 #445》2010年、発色現像方式印画、90.0×60.0cm 東京国立近代美術館 ©Gen Nakahira

中平卓馬《無題 #470》2010年、発色現像方式印画、90.0×60.0cm 東京国立近代美術 ©Gen Nakahira

昏倒後の作品は見たそのものを切り取る、植物図鑑を想起させるような作品が多い。作品はカラーになり、縦位置で世界を切り取っている。展覧会最後の5章には鮮やかな写真たちが一堂に会するカラフルな世界だ。

「中平さんは作風がいろいろに変化し、同時に写真の可能性を広げた作家です。だからまとめるのが難しいのですが、作品が素晴らしく魅力的。まだまだ興味が尽きません。同時代のさまざまな出来事に繋がっていきます。例えば彼は演劇とも関わりがありました。街中にテントを張って上演する舞台は、社会空間の中に、虚構の演劇空間を布1枚を隔てて誕生させるわけです。現実社会に対して別の視点を演じられる。テントから外へ出たとき、その社会の見方が変わるのが演劇の力です。中平さんは写真でそんなことをやりたかったのではないか。彼の写真を見ることで社会への価値観が揺らぎ、新たな視点が生まれてくることを理想としたのでしょう。正に『思想のための挑発的資料』を目指した。同様に、来館者がこの展覧会を見終わった時に周りの風景が変わって見えたら本望ですね」

タイトル

「中平卓馬 火―氾濫」

会期

2024年2月6日(火)~4月7日(月)

会場

東京国立近代美術館 1階 企画展ギャラリー(東京都千代田区北の丸公園3-1)

時間

10:00〜17:00(金・土曜は20:00まで)
※入館は閉館の30分前まで

休館日

月曜日

料金

一般1500 円、大学生1000 円

URL

https://www.momat.go.jp

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