現代写真の最新動向に特化したアートフェアUnseen 2024(以下Unseen)が9月20日から22日まで、アムステルダムの象徴的な建築物ウェスターガスにて開催された。その模様をレポートする。
文・写真=岩﨑淳
オランダ・ネオルネッサンスの建築家として知られるアイザック・ヘセンシャールクによって建てられたウェスターガスは、19世紀に石炭ガス工場として街や人々の暮らしに光とエネルギーを届けるための重要な工場として活躍していたが、1967年の閉鎖後は、廃墟となっていた。90年代初頭、好奇心旺盛な起業家や芸術家たちによって工場跡地が発見され、文化活動の拠点として新たな歩みを始めた。
そのような歴史を持つ建築物で開催されるUnseenは、ギャラリーのブースが一堂に集結するメイン会場の他に、ブックマーケット、UNBOUND、Meijburg Loungeと単なるギャラリーのブースが区切られて並ぶアートフェアとは違い、展覧会、レクチャー、ディベート、プレゼンテーション、ブックサインニングなどが3日間の間に幾度も開催され来場した者を大いに楽しませた。
とりわけUNBOUNDは、巨大なスケールで拡大する写真シーンの限界を探求する独立した財団であり、またUnseenにとってこれまでで最も野心的なプログラムだ。 デジタルアート、インスタレーション、パフォーマンスアート、彫刻、バーチャルリアリティ、ビデオアートと写真がクロスオーバーするような境界を超えた大規模なプロジェクトの中から今年は8件が選ばれ感覚的な展示が行われた。これまでも野心的で実験的な写真家を多数輩出してきた極めて特異なビジュアル言語を先陣を切って生み出してきたオランダらしいプログラムである。
そして、ギャラリーのブースが集結するメイン会場では、オランダを中心とし近隣のイギリス、ベルギー、フランスを中心としたヨーロッパ諸国、さらには香港や韓国などから、70ものギャラリーが所属アーティストを携え参加した。建築物の構造に合わせたその抽象的な円形のデザインによって、注目度の高いギャラリーから国際的に実績のあるギャラリー、そして新進気鋭のギャラリーまでをカテゴリー分けせずヒエラルキーなく配置する会場構成は、Unseenが新しいものと確立されたものを結びつけ、写真というメディアの発展と方向性を示す重要なプラットフォームとなっていることを示唆しているようでとても印象的であった。
写真と二次元的な素材を革新的かつ魅力的な方法で組み合わせた2人の写真家を紹介したい。彼らは、19世紀のカルト・ド・ヴィジット、庭に組み立てられたDIYオブジェクトといった要素と写真を結びつけることで、自身のテーマを探求している。
ロンドンを拠点に活動するスペイン人アーティスト、ハビエル・ヒルシュフェルド・モレノの作品はOpen Door Galleryにて紹介されていた。
モレノは「Profile」シリーズにおいて、歴史的な肖像画とマッチングアプリといったデジタルプラットフォームにおける現代の自己表現との関係を探求している。モレノは、美術史への憧れと、クィア・アイデンティティー、可視性、監視資本主義の影響に関する研究を結びつけている。「Profile」では、19世紀に撮影されたオリジナルのカルト・ド・ヴィジットと風景写真を使用して制作。これは、クィア・マッチングアプリの「控えめなユーザー」が、安全性を確保する手段として、肖像写真の代わりに風景写真を使用することに言及したものである。19世紀のカルト・ド・ヴィジットと現代のプロフィール写真を比較することで、モレノは、私たちの自己表現がいかに歴史とデジタルの両次元にまたがっているかを示す。彼の作品は、ますますデジタル化された世界において、アイデンティティがどのように形成され、どのように保存されていくのか、鑑賞者に考察を促している。
ロッテルダムのギャラリーGallery Untitledにより紹介されていたアイントホーフェンを拠点に活動するオランダ人アーティスト、ハンス・ファン・アッシュの作品も目を引いた。
ファン・アッシュは、建築、ミニマルアート、ビジュアルポエトリーを参照しながらセットアップを撮影しているアーティスト。被写体は、主にファン・アッシュ自身により組み立てられ自身の庭に設置されたオブジェクトであり、実際にそこに訪れる鳥たちだ。
また、ファン・アッシュはデジタルカメラを使用しているが、撮影写真をフォトショップなどで加工しない。それは写真が現実を忠実に表現していることを意味している。彼のイメージは抽象と具象の交差点で生み出され、しばしばルネ・マグリットのようで非現実的で超現実的に感じられる写実的なイメージを作り上げる。見かけ上の無意味さの中に、ファン・アッシュは作品創作の根拠を見いだし、私たちを取り巻く支配的な物質主義世界における製造可能性と効率性に関して批判的な側面を示している。
どちらの作品も、本来の機能から引き離されその有効性を失われたオブジェクトは実質的に無意味となり、非物質化され、芸術のなすがままになっているようであった。
20日の夕暮れには、Fw: Booksから『27 Drafts』を刊行したことにも新しいシモーネ・エンゲレンのプレゼンテーションが開催されていた。
デザイナーのハンス・グレメンとの制作、家族との対話など『27 Drafts』について自身の口から語られた長く避けられてきた言葉に来場者一同が息を飲んだ。悲しみや羞恥心という感情を越え、対話のきっかけになるような作品を作る彼女は、作品を作ることで「自分の過去や物語を大袈裟にしたいわけではない」ということを語っていたことが印象的であった。
シモーネ・エンゲレン
幾度となく語られているように、そして多くの写真愛好家が感じているのと同じように、写真の世界は電光石火のスピードで巨大なスケールへと発展している。日々たくさんの写真が生まれ、忘れ去られていた写真が再考され、表面的に見ているだけではなかなか作品の物語を理解することができず、物語だけを理解しようとするとエンゲレンの言葉が思い出される。しかし、ギャラリストや写真家、またそれらに関わる人々と直接会話をする機会を持つことによって、コンテンポラリーフォトグラフィーはさまざまな背景から生まれ、予想外の視点を提供していることに強く気付かされる。鑑賞者の多層な思考のレイヤーやまなざしが写真というメディアに柔軟性を与え、写真の世界に豊かさとユーモアを与えてくれるだろう。
物事の停滞を悲観的に捉えようと思えば容易いが、しかし革新的で知的で挑発的な方法で自分自身の物語を語る写真家たちは、街や人々の暮らしに溢れんばかりの光やエネルギーを届けているようだった、まさにUnseenの会場ウェスターガスが遠い昔にその役目を担っていたように。