私物のアート写真を拝見し、その一枚について本人に話を聞く連載企画「わたしの一枚」。第5回は日本文化研究者のロバート キャンベルを訪ねた。彼の自宅には横田大輔の作品が初期から近作まで、大小いくつも飾られている。一枚の写真では収まりきらない、作家の変遷に寄り添い、追い続けるからこそ見える風景。横田の制作プロセスや写真に対する姿勢までを深く理解するとともに、日本文学研究者としてのユニークな見方で写真を見るキャンベルに、横田作品の魅力について聞いた。
文=松本知己
写真=黒滝千里
【作家名】横田大輔
2014年頃だったと思うのですが、横田大輔さんのことは雑誌で拝見して初めて知り、興味を持ちました。そのことを森岡書店の森岡さんにお話したらご紹介いただいたというのが出会ったきっかけでした。
私はアートがとても好きですし、展覧会にもよく足を運びます。このインタヴューの前にも、たまたま見つけた展覧会を覗いてきました。でもいつも作家本人にお会いしたいとは特に思っていません。文学においてもそうですし、演劇などでも作家や俳優に必ずしもお近づきになりたい、仲良くしたいとは思いません。多くの方を尊敬し、作品や活動を拝見させていただいていても”ファン”になるということはないんですね。作品そのものを読み、鑑賞し、批評したりすることが自分にとっての基本です。ですので、横田さんと直接お会いでき、お話する時間を持てたことは珍しいことです。ご縁もありましたし、横田さんは数多くの作品がある作家ですから、出来るかぎり多くの作品を見たい。そしてその作品からたくさんのことを学び、何かを感じることが大切だと思ってお会いしました。
横田さんの作品は、とても具象的だけれども、私の専門である文学でいうところの詩歌、韻文のような印象がありました。何か強い主張があるわけではないんです。具象と抽象の尾根をつたって、ゆらゆらと歩いているような写真というのでしょうか。
横田さんの「cloud」シリーズの雲の写真を初めて見たときに、1820年代の伊勢(今の三重県)の儒者、斎藤拙堂の漢文「雲喩」を思い出しました。拙堂が自分の塾生たちに、雲が自分たちのいる高度によってどう変化するかを観察させたお話です。雲は時間の流れとともに自在変化でいろいろなものに見え、また、雲は雨を降らして生命を育む「慈雨」にもなる。塾生も雲のように固まっていない存在であり、これから世の中に恵みを与える存在なのだと、実際は具体的には書かれていませんが、そうしたことを比喩で伝えている作品です。
また「雲喩」を読み込んでいた時期は、多和田葉子さんの短編集『雲をつかむ話』をちょうど読んでいた頃でもあって、本当に雲の存在って面白いなと考えていたんですね。雲のような境目がとても曖昧なもの──ボーダーレスなもの──はとても今現在の時代のようであり、時代を超えて昔の人も雲に対して同じような目線を向けているなと感じました。
横田さんは、ひとつのイメージを作り出すために、何百回も何千回も刷ったり、スキャナにかけたりしています。基本的に同じものを生み出すはずの機械によって劣化が起きているんです。機械を通して、また時間をかけて横田さんの手でかたちを変えていく、作品が転生していることに気づいて、これも雲のようなうつろいにマッチしているなと思いました。
日常を切り取った優れた写真もたくさんありますよね。戦前、戦後のフォトジャーナリズム、例えば私は木村伊兵衛のような写真が好きで、そういうものを見ていいなと思うことももちろんあります。一方で、英語でいう「painterly」──絵画と写真の間のようなものにも魅かれます。
写真やフィルムそのものにさまざまなかたちで介入し、写真とは何か、どういうメディアなのかということを突き詰めた横田さんの作品に「Color Photographs」があります。我が家にも数枚飾らせていただいていますが、「Color Photographs」は化学的な色の反応を含めたマテリアルそのものであること。フィルムの亀裂の跡がとてもきれいでありながら、日常の中にある現実と非現実の境目のようにも感じます。日常と”向こう側”がどちらも見えるような地点について小説家の川上弘美さんが近作『三度目の恋』などでも書かれていますが、鋭いメッセージではなく、曖昧さを孕んだ空気感でもって私たちに常に問い続けていること。そういった奥行きがあるものが好きですね。
彼が写真を“加工”していくと、写真のなかにリボンのようなシミのようなものが写り込みます。私はそれを単純にきれいだなと思ったのですが、横田さんは写真を加工することによって時間が流れるようなもの、リズムなようなものを写真に刻む。具象的ではないかたちを刻むことで表現を重層化させていたと気づいたんです。横田さんは以前写真で時間の経過を表現できないことにもどかしさを感じていたそうです。でも、そのことに気づいたときは目から鱗がこぼれるようでした。
書斎からつながる地下は書庫になっているんですが、そこに降りるところの壁にも横田さんの作品を飾っています(写真下)。この作品の奥には歩道があって、またその先に円形の穴のような闇、空白があります。書斎で仕事をし、書庫に降りる行為は、自分自身が穴に落ちたり、深く掘り続けるような感覚があります。といって、悲壮的な気持ちになるとかではないんです。横田さんも作品に情感を込めることはないと思います。冷淡というか、冷血というか。でもそこがいいなと思うところですね。
地下の書斎へ降りる階段の壁面にも横田作品が飾られている
横田さんの作品やシリーズそれぞれに”段差”はあるはずなんだけれども、”断層”を感じさせない。作風が変わるけれども、つながっている。ひとりの作家の模索や足掻きが、横田さんの生み出す作品たちに貫かれている感じがします。横田さんはご存知の通り、たくさんの写真集を出されていますよね。しかも写真集とプリント作品が同等のものなんです。それがやっかいだなぁと思うことはあります(笑)。追いかけるのが大変ですから。でも、彼の今後生み出すものをとても楽しみにしています。見続けていきたいと思います。
ロバート キャンベル|Robert Campbell
日本文学研究者。国文学研究資料館長。ニューヨーク市生まれ。近世・近代日本文学が専門で、とくに19世紀(江戸後期~明治前半)の漢文学と、漢文学と関連の深い文芸ジャンル、芸術、メディア、思想などに関心を寄せている。テレビでMCやニュース・コメンテーター等をつとめる一方、新聞雑誌連載、書評、ラジオ番組企画・出演など、さまざまなメディアで活躍中。
横田大輔|Daisuke Yokota
1983年、埼玉県生まれ。日本写真芸術専門学校卒業。2010年「第2回写真1_WALL 展」グランプリ受賞。2013年、パナソニック株式会社 / LUMIX特別協賛のもと、IMAプロジェクトが開催した「LUMIX MEETS JAPANESE PHOTOGRAPHERS 9」に出展。同年、アムステルダムのUnseen Photo Fairにおいて「The Outset I Unseen Exhibition Fund」初受賞者となり、 翌年2014年にFoam写真美術館にて個展を開催。2015年、Photo LondonにてJohnKobal Residency Awardを受賞、2016年にはPaul Huf Awardを受賞。これまでに出版した写真集が、2年連続Aperture Foundation PhotoBookAwardsにノミネートされている。主な写真集に『VERTIGO』、『垂乳根』など。写真家の北川浩司、宇田川直寛とともに「Spew」を結成し、ZINEの制作や音楽パフォーマンスなど幅広い活動を行う。
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