IMA Vol.35の関連記事第二弾は、ライターの村上由鶴がミレニアルズからZ世代の日本人写真家について掘り下げたエッセイの転載。「エモ映え」が蔓延する日本社会で、横田大輔の次の世代が手にしたものとは?
村上由鶴=文
2010年代の写真的事件は、透明だった写真メディウムが可視化されたことだろう。それまでの基本的な考え方では、完成したイメージからは「写真」を構成するカメラや印画紙、フィルム、画像処理ソフトといった要素を感じさせず、写真家も写真プロセスも極力「透明」にして被写体の再現に務めることが尊重されてきた。そこに現れた横田大輔、小林健太、小山泰介らの作品は、デジタル化以降の写真表現に大きな驚きとインパクトを与え、世界的な注目を浴びた。今後もその余波として、支持体にダメージを与えること、描写的なエフェクト、エラーの積極的導入といった物質性を強調する表現による、メディウムの可視化は繰り返されていくだろう。
ところで、これらの表現の背景にあったのは、写真技術の簡易化によって進む写真の民主化だ。世間一般の人々が「楽に」写真を撮り、無尽蔵にシェアしていくなかで「写真家」はそれに逆行するために、プロセスを過剰かつ複雑にして自分の痕跡を残してきた。
かつて職人的技術だった写真術は、いまや文明を覆い尽くしている。写真を取り巻く状況は変化を続け、数年前には新語だった「映える」という言葉はすでに日常に定着し、写真教則本『エモくて映える写真を撮る方法』(Lovegraph、2019年)では新たに「エモ映え」が提唱されている。料理や観光スポットや洋服などの「モノ(対象)」の「映え」の時代は終わり、エモ映えでは、「人とは違うひと工夫」で「写真それ自体」を映えさせる。写真の質感や色味を操作し写真自体を映えさせるという工夫は、そもそも写真家のひとつの職能にも思われるが、本書ではフィルムカメラの使用が手っ取り早い「エモ映え」の手段として推奨されている。
こうした状況にあって、ミレニアル世代からZ世代の写真家たちは、実験を通して偶然やリアルを志向するのではなくアンダーコントロールの中で視覚言語を作り上げる。「デジタル写真の普及の逆張りとしてのフィルム写真」までもが民主化し、可視化されたメディウムの表現にも驚けなくなってしまった私たちに対して、彼らは写真の「透明さ」に立ち戻り、「映え」も「エモ映え」も巧妙にすり抜けていく。
例えば、Ryu Ikaの作風はセットアップとスナップを混ぜ込んだ濁流のようなイメージに特徴づけられるが、1枚1枚の写真が見せる俗悪さとユーモアがあふれる光景にも強い求心力がある。ぐしゃぐしゃになった目の写真が山積みになったインスタレーションは、物質性を強調する作家たちの影響を感じさせるが、撮影されているモチーフをはっきりと知覚でき、そこに読み取り可能なメッセージが込められている点で、前の世代の作家とは異なる。「目の山がこちらを見ている」という経験は、写真が透明なメディウムであり物質でもあるから可能になったものであり、2010年代を経た現在だからこその表現といえるだろう。
©︎ 中野泰輔
中野泰輔の「HYPER/PIP」でも、モチーフは明確な目的で選ばれている。ガラケーやフロッピーなどの淘汰された電子記録媒体や球体、紐状のものなど、それぞれが親と子、卵、へその緒の隠喩だ。それらのモチーフを統合する水泡のただようイメージは、物質性の強調に近いようにも見えるが、「胎内からの光景」を想起させるひとつの手段として用いられている。中野の表現は、「複雑なプロセス(手段)が目的化」されていた表現とは異なるのだ。
©︎ 柏木瑠河
また、この両者の作品や柏木瑠河の作品ではストロボの使用による、強烈なコントラストと輪郭の強調が見られる。現在、一般的に写真を撮る行為はスマートフォンに結びついているが、フラッシュ機能を使うユーザー(特に若者)はあまり多くないだろう。なによりフラッシュの光は盛れないし、映えない。しかし、若い時代の写真家たちは構うことなく閃光を発する。
かたくなな垂直平行とグラフィカルな画面構成が特徴的な平松市聖の作品や、System of Cultureの具体的な事物を写しながらもイメージ内の状況が意味をなさない抽象的なセットアップ写真も、プリミティブで透明な写真らしさをたたえている。
考えてみれば、「写真家」とは、写真術の民主化やトレンドを批評的に受け止め、それとは異なる方向性に表現を追い求める人を指す言葉である。この10年の間に、「これが写真なのか?(いや写真ではない)」という反語的な問いは反語としては機能しないほどに写真は拡張し、寄る辺のない自由を手に入れてしまった。規範が破壊しつくされたあとの表現に挑むZ世代は行為よりもイメージを重視する。「写真」の境界面から離れ、従来から続く写真芸術のコアに正攻法で接近していくのである。
村上由鶴|Yuzu Murakami
1991年、埼玉県出身。写真研究、美術批評、ライター。日本大学芸術学部写真学科助手を経て、東京工業大学大学院博士後期課程在籍。専門は写真の美学。雑誌やウェブ媒体などで現代美術や写真に関する文章を執筆。