本書は、2004年に出版されたモノグラフ『Edited Photographs 1992-2004』の続編とみなすことも可能かもしれない。パートナーとの生活や息子の誕生を受けて編まれた『Edited Photographs1992-2004』と、家族の喪失を受けて編まれた『Dark Rooms』。しかし、一見似た体裁をとった2冊の相違はその内容のみにとどまらない。
『Edited Photographs 1992-2004』(Photoworks、2004年)より
モノグラフ的構造とドラマ性の拒絶
「シークエンス(順序)」という言葉は、シャフランが自身の作品について語る際に最も頻繁に口にする言葉のひとつである。写真をもとの文脈から抜き取り順序付けることで効果的にみせること、そしてそれを一冊の本で行うこと。それこそが『Ruthbook』での彼の発見であった。本書では、直接的に類似性を指摘するような配置や端的な構成は取っておらず、むしろ各シリーズを独立したものとしても鑑賞できるよう、各シリーズのシークエンスはほとんど崩されていない。ここでは写真単位のシークエンス付けとシリーズ単位のシークエンス付けが同時に行われており、シリーズとしての独立性は保ちつつも、『Dark Rooms』というひとつの新たな作品へと昇華させるという異質かつ大胆ともいえる試みがなされている。
『Ruth on the phone』(Roma Publications、2012年)より
各シリーズの独立性と優位性を保ちつつ編集するモノグラフ的構造と、そこに別の視点を与えることで新たな作品へと昇華する構造。この入れ子構造は、『Dark Rooms』という作品にある種の語りづらさをもたらす。
本書がどのような一冊かを説明する際に「5つの未出版のシリーズを収録した一冊」と言った途端モノグラフの構造にとらわれるし、一度モノグラフという言葉にとらわれたが最後、これがひとつの新しい作品であるとはとらえづらくなってしまう。この構造はこの本から徹底的に一貫した物語性、あるいはドラマ性の排除を行っているのだ。このドラマ性の拒絶はナイジェル・シャフランという写真家が日常に潜む非日常性、我々が享受している日常風景のある種の不気味さ、不格好さを個人的な視点から捉える写真家であり、「日常性」や肩肘を張らない「さりげなさ」が作品において重要な要素であるという点からも当然の帰結として考えられよう。
ここではむしろ喪失を世の定め、生の一部として受け止めた上で前に進もうとする写真家の姿が浮かび上がってくる。いまならば断片的に思えた5つのシリーズにも関連性が見えてこよう。運ばれるということ、進んでいく時間、老いゆく定め、かつてあった存在、役割を失ったモノたち。そこでは淡々と、時と絡み合ったこの世の様が描写されている。
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シャフランが写真を用いて「暗い部屋」で見たものとは
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