『IMA』Vol.35関連記事の第4弾は、IMA ONLINEのみで紹介する濵本奏のインタヴュー。儚い記憶の一端や偶然出会った言葉、日常生活で感じた印象や心情をインスピレーション源に、「見たままではない写真」を探求する気鋭の写真家である。壊れたカメラを用いたり、廃材や拾った物にイメージを出力して一点ものの作品を制作したりしながら、写真表現を拡張し続ける濵本にとって、写真を軸として活動することとはどういうことなのだろうか、話を聞いてみた。
文=村上由鶴
写真=ソンジン
―写真を始めたきっかけから教えて下さい。
高校生のときに引越し作業をしていたら、自宅から使い捨てカメラが出てきたことがきっかけでした。当時はiPhoneとデジカメしか知らない状態だったので、カメラなのはわかるけど、「これ何?」って親に聞いたんです。母もいつのものかわからないということだったので、とりあえず現像に出したら、30年も前のものだったのです。フィルムは期限切れで、すべてがピンクがかっていて不気味でした。「何だこの景色は!」と興奮して、その足でフィルムの入れ方もわからないまま、マニュアルの一眼レフフィルムカメラを買ってもらって撮り始めました。説明書を読まずに露出など技術的なこともわからないまま使っていたんですが、それまで見たままに写る写真しか知らなかったので、「見たままに写らない」ことがおもしろくて、自分にはまりました。
―写真集『midday ghost』を刊行されましたが、刊行の経緯を教えて下さい。
実はこの作品は展示が先に決まっていたのですが、発表したいと考えていた時期が2020年の4月だったので、コロナで展示ができるのかわからないし、開催しても人が来るのかもわからない時期でした。オンラインエキシビジョンなども考えましたが、ほかの方がやっているのを見てみると、「この写真すごくいいのに、個人のデバイスの画面の中だけに収まりきっていて、本当にこの方法でよかったのかな?」と感じました。それでいいと思う人もいるだろうけど、私はこれではだめだなと思いました。コロナになってしまって、近所の人と会うのも厳しいんだったら、近所の人とも海外の人とも断絶されているという意味では距離は同じ。こういうときに、多くの方に届けることができる体温を持った媒体って何だろう?と考えたときに、本しかないと思って、お話をいただいて出すことになりました。
―「midday ghost」は、どんな作品なのですか。
このシリーズは、写真を始めてから3、4年分撮りためたものを全部見直して作ったものです。谷川俊太郎さんの「八月」という詩の中に、「それから 僕の血と海と夜とは 同じ匂いがし始めた そのほかには何も無く そのほかには 何も 無く」という一節があります。この詩に、ひとりで夜の真っ暗な海に対峙するときの景色が重なりました。夜の海は、どうしても写真にはうつせませんが、そういう存在を主題にしたいと思ったとき、「midday ghost」という言葉を思いつきました。幽霊って夜出るものとされているけど、昼間にいろんな瞬間に「あ、幽霊がいる」って感じることがあるんです。怖い場所ではなくて、きれいな西日の反射とか、人の髪の毛の揺れたときとか、そういうものを自分で「midday ghost」と定義づけをして、それに当てはまる写真たちを選んでいきました。
―写真集『midday ghost』では、すべてのポートレイトで顔がぼやけているのが印象的です。
景色を撮るにしても、顔を撮るにしても、何を撮るにしても、境目なく同じ気持ちで撮っていたいと思っているのですが、やっぱり人を撮るとすごく情報が多いじゃないですか。景色の写真を撮るときも「どこかなのだろうけど、どこなのだろう?」と思わせるような、情報が欠落したものをずっと撮ってきたのですが、それと同じようにポートレイトを撮るのはすごく難しかったんです。でもその頃、チェキが壊れて、そのカメラで人物を撮ってみたら、初めて情報が欠落した写真が撮れて。ほかの物を撮るのと同じ気持ちで、どんな人、男性でも女性でも、国籍がどこの人でも撮れるな、と思いました。でも結局、顔以外の要素から被写体の人となりが出ていて、そのバランスが自分にちょうどいいと思いました。「誰かなのだろうけど、誰だろう?」という写真が撮れるかな、と。写真に写る人物が誰なのかも、どこかもわからないけど、でも絶対それはこの世に存在する誰かで、どこかである、けどそれは別に気にならない、というようなものですね。
―「midday ghost」で全国の書店で巡回展をされたとのことですが、すべての会場で展示方法を変えているんですね。
会場を見て、その場所に合う形で同じ写真をプリントし直しました。例えば、ある会場にあった白い壁を見たときに窓がほしいと感じたので、額装すると窓のように見えるかなと思って、そこでは額装した作品を展示しました。高層ビルを見たときに、明かりがついている窓と消えている窓が見える感覚を、この白い壁で表現することができたらおもしろいなと思いました。別の会場では、1日を通して窓から差し込む光が変わるので、時間によって写真の見え方が変わるように、自然光が反射する光沢のある大きい一枚のプリントにしました。展示って一回行ったら終わりって思ってしまうけど、自然光が入ってくる場所に展示できるのであれば、昨日の夜行ったけどまた明日の朝にも行ってみよう、と思ってほしかったんです。
―実際に見た夜景の感じや自然がもたらす影響のような、写真に写ってない具体的な感覚が展示方法のソースになっていて、展覧会自体が経験を提供するすごく大きな写真になっているようですね。
最近は屋外で展示することもあるんですが、自分が置いていったものが自分では制御できない力によって変わっていくことに興味があります。写真の形が変容していくのを見たいし、見てほしいという思いがあります。
―テラススクエアフォトエキシビションで展示された「autonoetic」では、紙ではない支持体に写真をプリントされていますね。どのように制作されたのですか。
用事があってふらっと立ち寄った場所の地元の図書館で、自分と全く関係ない分野の専門書の中の言葉に出会うのが好きで、気になった言葉をメモしています。「autonoetic(想起意識)」は、山形の図書館で見つけた本から知った言葉です。本作では、拾った物や古民家にあった廃材が見ていたかもしれない景色をその物自体に定着させようと試みました。この作品では、廃材を拾った場所で撮影した写真をFLAT LABOのUVプリントでその廃材に出力しています。
写真はいくらでも同じものを刷ることができるからこそ、一点物の写真を作るにはどうしたらいいんだろうと考えています。本作は、プリントする物自体がこの世にひとつしかなく、UVプリントがかなり物の表情を拾ってくれるという点でも唯一無二だなと思います。
―「VANISHING POINT」も、展示の仕方が特徴的な作品ですね。
常に記憶や夢など、いつの間にか変容したり消えてしまうような、実体を持たないものに興味があって制作しています。この作品では、さまざまな人に印象に残っている夢や最近見た夢の話を聞いて、カメラロールの中からその夢の話に一番近いイメージ(写真)を送ってもらって、拡大して分割した写真を貼っています。
―「拡大してたくさん貼る」という展示方法は、夢の見え方を再現しているということでしょうか。
初めはこの作品に関係なくiPhoneのカメラに接写撮影用のマクロレンズを取りつけてをつけて、写真の網点を見るという別の遊びをしていたんです。その網点と、眠る前に目を瞑ったときに見える点のようなものが、似ていると思って、その当時関心があった入眠時心像(入眠時に脳が見せる夢の手前の映像)とiPhoneで遊んでいたことがたまたまつながりました。写真が一枚ずつずれて、像が歪曲する感じも夢を見る感覚に似ていると思います。人から送ってもらった画像をミクロレンズで覗きながら分割撮影していると、人の夢を覗いているような感覚にもなってくるんです。
―この作品は「VANISHING POINT bomb exhibition」として、展示もしているんですね。
「VANISHING POINT」の延長として、自分が滞在した場所で見た夢をインスピレーション源にしながら制作しました。滞在中に撮った写真をカメラロールから選び、コンビニのレーザープリンターで出力、それを今度はマクロレンズを取りつけたスマートフォンで接写し、撮影した写真をさらに引き延ばしてコンビニで印刷して、偶然見つけた廃墟に貼るというゲリラ的な展示をしています。グラフィティみたいなことを写真でやりたかったんです。ストリートで描いて逃げるように、写真をボムって、貼って逃げる、というような。誰かが見つけてくれたら嬉しいですけど、誰にも見つからないだろうと思いながらやっています。
―濵本さんは写真を始められた高校生の頃から、目に見えるものをそのまま撮るということをされていませんが、濵本さんが写真を使うことの意味はどこにあるのでしょうか。
制作は写真が軸になっています。写真をどう展示するか、どのようにアウトプットするか、ということを考えるのが一番楽しいです。現実離れしている写真を求めているわけではなくて、あくまでもこの世界の一端みたいなものが残っていてほしい、という思いが写真にはあります。同居している祖母を撮影している作品があり、現在進行形で撮影を行なっています。最近、同居から介護へと、共同生活の形が変わりました。祖母はうつ病で、幻覚や妄想によるたわごとをいうのですが、一緒に生活している中で、その言葉たちに引き摺り込まれるような感覚と、私が淡々と記録し続けている現実とを、いつか発表ができたらと思っています。
認知症の親戚を看取った経験が、記憶をテーマに制作をしているきっかけのように思います。親戚は、わたしのことはとっくに忘れてしまって、最期には食べることも呼吸をすることも忘れてしまいました。そのことが悲しくて、怖かったです。自分もいつかは消えて、忘れられる。だから、私がここにいたということを残したいと思って制作しています。
濵本奏|Kanade Hamamoto
2000年、神奈川県横浜市生まれ。福岡県福岡市育ち。現在は鎌倉市を拠点に活動する。2019年、渋谷にて個展「reminiscence bump」を、2020年にOMOTESANDO ROCKET、STUDIO STAFF ONLYにて個展「midday ghost」を2会場同時開催。2020年にはhito pressより初写真集『midday ghost』を出版。2021年、全国各地で撮影した写真を即席で野外に展示するプロジェクト、「VANISHING POINT bomb exhibition」を進行中。