パンデミックの影響で人と物の流れが制限され、写真シーンにもその影響は表れている。ニューヨークの写真専門書店Dashwoodに勤める須々田美和が売り場にいて改めて感じるのは、実際に写真集を手に取って鑑賞する行為が作品に対する理解や愛を深めるのにいかに役立つかだという。作品が断片的に切り取られて紹介されるインターネットやSNSとは異なり、写真集は作家のビジョンを総合的に表現した集大成といえる。須々田による連載「ニューヨーク通信:Photobook Now」では、現地で話題になっている新刊3冊を紹介。そして、そのうち1冊の著者によるショートインタビューも掲載する。作り手と交流できる場が少なくなっているいまだからこそ、生の声もお届けしたい。
インタヴュー・文=Miwa Susuda
撮影=森山綾子
協力=Dashwood
第3回で取り上げる3冊は、ファッション業界で広告写真を手がけながら、キャリアのひとつとして意識的に写真集を制作する作家の新刊。1冊目は人種差別に起因する警察の残虐な行為がアメリカで深刻な社会問題である昨今、ニューヨーク市警の刑事を約2年半かけて追ったドキュメンタリー写真集『Homicide』。2冊目に紹介するのは、イギリス人写真家ナイジェル・シャフランが約40年にわたり撮影したコマーシャル写真をまとめた『The Well』。シャフランの写真からは、消費社会へ批判的な姿勢が伝わり、通常のファッション写真集とは一線を画している。最後は、4年前に写真集『Khichdi (Kitchari)』を出版した後、ファッション業界のニューフェイスとして数々の広告写真を手がけるニック・セシの新刊『Circle of Confusion』。インタビューでは、私家版の写真集の制作背景を聞いてみた。商業写真とパーソナルワークの制作のあり方を考察するヒントとなるような3冊を紹介する。
セオ・ウェンナー 『Homicide』
バード・カレッジでスティーブン・ショアから写真を学んだのち、シャネルやマーク・ジェイコブスのキャンペーン、マーク・ローソンやザ・ブラック・キーズのミュージックビデオを手がけたりとファッションと音楽の分野で大活躍のウェンナー。『Homicide』は、2018年から2年半の歳月をかけてニューヨークで最も殺人事件が多発するブルックリン北部地区を統括する刑事の姿を追った一冊である。写真家が初めてニューヨーク市警の仕事現場に踏み入ることを公的に許可されたことからも分かるように、ウェンナーの意気込みが伝わる野心作といえるだろう。緊張感に満ちた事件現場だけでなく、仕事後のリラックスしたプライベートな表情もとらえた写真群は、まるでテレビドラマや映画を見ているかのような印象を受ける。
2020年のジョージ・フロイド事件以後、警察の残虐行為や人種差別が社会問題としてアメリカで取り沙汰される中で、ウェンナーは「犯罪や殺人事件は、西部劇、カーボーイ、野球と並びアメリカの歴史を語るときに欠かせないと思った」ことが制作のきっかけだという。「警察の仕事の正義や勇敢さを褒め称えるのではなく、ドキュメンタリーフォトを通して、個人的な判断を下すことを避け、ありのままの姿をとらえることを目指しました。最終的にどう読み解くかは、読者の判断に委ねています」。これまでの警察にフォーカスした写真集といえば、ウィージー 『Naked City』、ジル・フリードマン『Street Cops』や、ゴードン・パーク『The Atmosphere of Crime』、クリストファー・アンダーソン『Cop』などが挙げられるが、犯罪というアメリカ社会のダークサイドを描いた本書に注目が集まっている。
タイトル | 『Homicide』 |
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出版社 | Rizzoli |
発行年 | 2022年 |
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ナイジェル・シャフラン『The Well』
本来ファッション写真の多くは、商品の販促のために使用されるが、イギリス人写真家シャフランの最新作『The Well』は、現代の消費社会に対する著者の個人的な意見が色濃く表れた異色の写真集だ。本書は、1980年代半ばから約40年にわたり、『The Face』『i-D』『Vogue』などに掲載されたファッション写真がほぼ時系列順に並んでいるのだが、一般のファッション写真集と一線を画しているのは、デザイナーであるリンダ・ファン・デールセンの手腕が大きいとシャフランは考えている。
ファン・デールセンとシャフランから制作過程についての話を伺う中で、特に3つの点に注意を払ったことがわかった。第一に、初期作品を編集する際、平凡な日々の中で見過ごしがちなものの中にこそ大切なものがあるというシャフランの考えを引き出すために、台所、住宅街やバス停、商店街など見慣れた日常風景を背景に、主に一般人をモデルにリラックスした雰囲気の中で撮影された写真を多く選出した点である。そして、中後期の作り込みすぎていないファッション写真とつながりを見出しながら、全体的な統一感を導き出していることが伝わる。2点目は、写真の下に編集者、スタリスト、シャフラン自身のコメントを寄せ、臨場感のある現場の様子や撮影秘話を明かし、商品をどのように美しく撮ったかは重要視していない点である。最後は、表紙でシャフランの作家としての姿勢を強調した点である。表紙に使われた写真は、1989年刊行の『Reflec Magazine』9月号に掲載された作品であり、黒いタートルネックを着たモデルをロンドンのシャフランの自宅の寝室に座らせて撮った一枚で、腕の横の白い影はライターの火だという。そしてファン・デールセンが、『Reflec Magazine』上でその写真に載せられた文字をスプレーで覆い隠し、写真自体の自律性や作家の自由な意匠を際立たせた。この奇抜なアイデアは、消費社会に対するシャフランの反骨精神を見事に表現しているといえる。まさに写真家とデザイナーのファインプレイが生み出した唯一無二の一冊である。
タイトル | 『The Well』 |
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出版社 | Loose Joints |
発行年 | 2022年 |
URL | https://loosejoints.biz/ |
ニック・セシ『Circle of Confusion』
インドのデリに所在する最大規模をの卸市場サダー・バザールを5、6年前に訪れた際に撮影した写真を収録した『Circle of Confusion』は、セシが自費出版した一冊である。ニューヨークタイムズ紙から2018年のベストブックスに選出された前作『Khichdi (Kitchari)』は、10年の歳月をかけて1,000点以上の写真が収められ時間と労力をかけた大作だったが、本書は、同市場に1時間ほど、2度しか訪れておらず、今年編集に費やした時間もたった数時間であった。迷路のような通りを人混みに押されながら、カメラのシャッターを切ることだけで精一杯であったとセシが話すように、アングルも一定しておらず流れに任せて市場の人々の横顔や後ろ姿、店先の様子を夢中で撮影したことが伝わってくる。
『Circle of Confusion』は、錯乱円を意味する。錯乱円とは、ピントがづれたときにカメラに現れる円を指し、まさにセシがフォーカスすることがままならない中で撮影した実体験と感覚的に一致したため、本タイトルを思い付いたという。本書の中でセシが一番気に入っている写真は、緑のカートに座って休憩している人たちを後ろから撮った作品。荷台のデコレーションは持ち主の手作りであり、そのユニークな形とカラフルな意匠に心から関心を持ったと目を輝かせながら話してくれた。
インタビューの最後に写真家を志す人に向けて、「自分が心から好きだと思うことを信じて撮ることが大事」と論理的な写真へのアプローチより、感覚的な面を大事にするセシらしい言葉を贈ってくれた。前作『Khichdi (Kitchari)』の成功がプレッシャーにならなかったか尋ねると、「前作とは全く違うものとしてとらえているのでハードルは感じなかった。15〜20万枚ほどのアーカイブがまだあるので、今後また自費出版で本をつくりたい」と軽やかに答えてくれた。写真を撮ることに夢中な日々過ごしていた無名時代のセシの姿を、いまの彼の横顔からも感じることができたインタビューだった。
タイトル | 『Circle of Confusion』 |
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出版社 | 私家版 |
刊行年 | 2022年 |
須々田美和|Miwa Susuda
1995年より渡米。ニューヨーク州立大学博物館学修士課程修了。ジャパン・ソサエティー、アジア・ソサエティー、ブルックリン・ミュージアム、クリスティーズにて研修員として勤務。2006年よりDashwood Booksのマネジャー、Session Pressのディレクターを務める。Visual Study Workshopなどで日本の現代写真について講演を行うほか、国内外のさまざまな写真専門雑誌や書籍に寄稿する。2013年からMack First Book Awardの選考委員を務める。2018年より、オーストラリア、メルボルンのPhotography Studies Collegeのアドバイザーに就任。
https://www.dashwoodbooks.com
http://www.sessionpress.com