若手写真家における注目の筆頭株、ジャック・デイヴィソン。彼の初個展がロンドンのカムデンタウンにあるCob Galleryにて11月7日まで開催中だ。「Photographic Etchings」と銘打った本展では、マックス・エルンストやマン・レイの系譜とも言えるシュルレアリスムの要素が強い作家特有のモノクロ写真を、フォトポリマーグラヴュールという技法で印刷した33点がずらりと並んでいる。フォトポリマーグラヴュールとは、画像を感光性樹脂版(ポリマー)に焼付け、インクを用いてプレス機で紙に写しとる、銅版画のような印刷技法。今回、ジャックはなぜこの手法を選んだのだろうか?
文=上岡巧
―今回が母国イギリスで初めての展示となりますね。このタイミングで初個展の開催に至った経緯を教えてください。
そうですね。これまで小さな個展やグループ展などは行ってきましたが、正式なものとしてはキャリア初の個展といっていいと思います。
ずっと個展をやりたいとは思っていましたが、慌てて取り組むようなことはしたくなかったので、然るべきタイミングを待っていました。2021年の初めにCob Galleryから誘いがあったとき、彼らが写真だけでなくアートを取り扱っているギャラリーであることが、とても魅力的に感じたんです。そこで、以前から学んでいた、フォトポリマーグラヴュールという技法でプリントした作品で展示を構成することにしました。スクリーンで見る以上の、肉眼でこそわかる強烈なイメージを作りたかったのです。
―フォトポリマーは写真印刷としては特殊な技法ですが、なぜ学び始めたのでしょうか?
きっかけは、フォトポリマーで刷られたスティーブン・ギルの〈The Pillar〉シリーズの作品を購入したことです。黒の深みやグレーの諧調、インクの擦れから生まれるエフェクトなどの美しさに感動し、自分のモノクロ作品にもぴったりだと思ったんです。初めは優れたプリンターを探すためイングランド南部まで通っていましたが、あるときロンドンのブリクストンにあるArtichoke Print Workshopのコリン・ゲールという熟練の偉大なプリンターと出会いました。彼には今回の作品にも大いに関わってもらっていますが、まさに“プリントマスター”なんです。僕は彼のそばで、常に見習いみたいに作業していました(笑)。
ジャックの家に飾られていた、スティーブン・ギルの作品。フォトポリマーを学ぶきっかけになった。
―ご自身の作品はゲールに任せるのでなく、自らが手を動かしてプリントされているのですよね。
はい。撮影では、自然光や人、動物など、自分が完全にコントロールできない要素が好きなのですが、そういったランダムな瞬間こそが写真を特別なものにしていると思います。フォトポリマーのプリントにもランダム性があり、経験の少ない僕が起こす妙なミスが、イメージをより面白くすることがあるのです。とはいえ、ゲールによる完璧なプリントがそのまま採用されるときもありますし、そのジャッジは作品次第です。
―すべて手作業でだいぶ骨の折れる作業かと思いますが、その制作過程ではどのような点に魅力を感じますか?
古典的な手法で手間はかかるものの、プロセスのすべての作業が可視的なのでとても楽しいです。まるで庭作業をしているようで、手を汚しながら版にインクを塗ってはこすり落とす物理的な作業は、ラップトップで画像を処理したり、暗室にこもって作業するのとはまったく異なります。瞑想のように、とてもゆっくりとした時間です。プレスにかけると魔法のように作品が現れて、本当にワクワクします。あの興奮は、ポラロイドを露光している感覚に近いですね。
枯れ木の枝にインクをつけた指で葉を描く、ユーモアあふれる試みも。
―プリントの仕上がりについては、どのような点が気に入っていますか?
フランシス・ベーコンとも関わりの深いイギリスの写真家、ジョン・ディーキンのプリントは、保管状態が悪かったためボロボロに見えるのですが、だからこそ個性的で驚かされます。僕の作品も、プリントの制作過程までもが作品の一部になっているような、物体としての存在感を出したかった。フォトポリマーでは金属板にできる傷や、インクの盛り具合を場所によって変えてみることも、イメージの個性になるんです。
―ひとつのアート作品としても、通常のCプリントやインクジェットプリントより立体的で奥ゆかしく、どこか特別感が生まれているように感じます。
そうですね。このプロセスが作るスペシャルな物質的質感、そして人の手によって丁寧に生みだされる作品であることは、売値にもつながっています。もちろん、プライスは僕にとってもギャラリーにとっても大事なことです。キーボードのCtrl+Pを押して10枚のエディションをプリントアウトするより、もっと個人的で、貴重で、特別なものだと思っています。同じ版を使ってもそれぞれのプレスで仕上がりは異なるので、エディションによって陰影や明るさの微妙な差異を比べて見ることができるのも、本当にエキサイティングです。
初めてフォトポリマーでプリントした一枚は、額装されて大事に飾られていた。
―本展の構成は、初期作から写真集『Photographs』に収録されている作品、そして近年のものまで、その範囲は14年にわたりキャリアを総括するものとなっています。展示作品はどのように選びましたか?
今回は初個展なので、既出であったとしても、僕にとって重要な作品は入れ込みたいと思いました。写真集『Photographs』を作ったときと似ていて、特にテーマや理論といったものはありません。僕は感情や文脈を説明するのがあまり好きではないのです。手順としては、まずはモノクロであること、そしてフォトポリマーという手法に呼応するようなイメージを選びました。
―作品自体には、コンセプトはありますか?
自分の写真を説明するのは難しいのですが、何かコンセプトを持って制作に取り組んでいるわけではありません。人物、建築、動物、オブジェ、風景や街並みなどを撮影しており、写真そのものが主題といったところでしょうか。写真家には無意識のうちに繰り返されるモチーフがあると思いますが、僕の場合は犬や眼、手、奇妙な抽象物などがそれにあたりますね。よく参照するのは、マン・レイやアルフレッド・スティーグリッツ、ウォーカー・エヴァンス、アウグスト・ザンダーなど、1950年代以前の作家。シュルレアリスティックな作品やファウンドフォトにも惹かれます。
―撮影に使用されたのは、主にデジタルカメラでしょうか?
今回は約6割がフィルムで、4割がデジタルで撮ったものです。フィルムも好きなのですが、ときにフィルムのマジックに頼りすぎてしまう。デジタルはごまかしが利かないので、「もっと自信を持って、もっと実験的にならなければ」と自身を追い込んでくれます。また、金銭的なリスクが少ない分自由度が高く、余裕もできるので、より気ままにイメージで遊ぶことができますね。撮ったデータをプリントし、再撮影や加工を施すことで、イメージにレイヤーを追加していくのが僕のやり方です。フォトエッチングも、そのプロセス全体は、オリジナルのデータと、最終的なプリントとの間にスペースを作るようなもので、いつもの作業となんだか似ていますね。本当に強いイメージに辿り着くためには、何がどう使われているのかは僕にとってはどうでもいいことなんです。iPhoneで撮ったイメージも展示に含まれていますよ。
―Tumblrや FlickrといったSNS空間のおかげで自身の作品が発展していった経験をふまえて、現代の写真消費に対してどう思われていますか?
僕はSNSとともに成長してきた世代ですから、SNSが嫌いというわけではないです。ただ、写真を見せる空間としては悪化しているように感じます。僕が以前使っていたFlickrには写真家コミュニティがあり、偽名を使う人も多かったので、失敗しながらもいろいろなチャレンジをすることができるクリエイティブな空間でした。Instagramも初期にはそのポテンシャルがありましたが、いまやエゴやプレゼンテーションに縛られたコロシアムのようです。実験的な感覚は乏しいまま競争だけが激しくなり、リファレンスを見つけては撮り、撮ってはリファレンスを探すというサイクルが繰り返されています。しかし、撮ったイメージを素早く共有できることは、とても刺激的だと思います。これまでは展示を開くことでしか得られなかったシェアの体験が容易にできて、世界中の誰にでも自分の作品を見せることができます。これもエゴな考えかもしれませんが。
―フォトポリマーによるプリントは、これからも続けていこうと思いますか?
そうですね。今回限りで終わりではありません。特にモノクロに関してはスペシャルで、他の技法では叶わない表現ですし。ただこの手法はカラーには合わないので、カラー作品を刷りたくなったら、別の方法をまた考えなくてはいけませんね。
©︎ Agnes Lloyd-Platt
ジャック・デイヴィソン|Jack Davison
1990年、イングランド、エセックス生まれ。ウォーリック大学の英文科を卒業。14歳からカメラを手に取り、独学で写真を学ぶ。ファッションフォトグラファーとして『DAZED』や『British Vogue』などで活躍。2019年に初の写真集『Photographs』をLoose Jointsより刊行。2021年には、招かれた32人のアーティストが『Photographs』の写真に上にペインティングやアートワークを自由に施した作品集『Photographs Annotated Artists Edition』を発表。
https://www.jackdavison.co.uk/