国立新美術館、京都市京セラ美術館を巡回する「テート美術館-YBA&BEYOND 世界を変えた90s英国アート」。ダミアン・ハーストやトレイシー・エミン、ヴォルフガング・ティルマンスら約60名の作品約100点を通して、1990年代の英国アートを革新的に再定義した創造性をたどる。後編ではフランシス・ベーコンを起点にYBAの周辺を掘り下げながら、そのレガシーをいまにどう届けたいかを語ってもらった。
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ポートレート撮影:江原隆司
取材:アイヴァン・ヴァルタニアン
フランシス・ベーコン:意外な幕開け
──展覧会の最初の作品に驚きました。会場に入って「なぜここにベーコンが?」と思う人もいるのではないでしょうか。
ヘレン・リトル(以下、HL):フランシス・ベーコンの最後の作品でもある三連画を本展の導入に置けたことは、私たちにとって本当にスリリングでした。1944年の最初の三連画が戦争のさなかに観客へ衝撃と恐怖を与えたように、1988年のこの作品もまた、冷戦の終結、ベルリンの壁崩壊、サッチャー政権下の社会不安、セクション28(同性愛を公的に語ることを制限した1988年の法律条項)といった時代の転換点に漂う崩壊の予感に応えるかのように、人間の暗さを描き出しています。1990年代の英国アートの語り始めとして、当時の緊張と、いま私たちが生きる不確かな世界との共鳴も浮かび上がります。
そして1988年は、ダミアン・ハーストがロンドンで「フリーズ」展をキュレーションした年でもあります。ベーコンはこの時代に登場した若い世代、とりわけYBAにとって重要な存在でした。90年代に入り、彼のクィアネスも作品の物語の一部として見られるようになったことで、ギルバート&ジョージやデレク・ジャーマンらの、身体やタブーをめぐる表現を後押ししたと言えるでしょう。コンセプチュアル・アートの冷たさに距離を感じていたYBA世代は、ベーコンの生々しい身体表現に触発され、ミニマリズムと人物像のイコノグラフィーを結びつけながら、アートに新たな生命を吹き込んでいったのです。

デレク・ジャーマン《運動失調―エイズは楽しい》1993年、テート美術館蔵展示風景より
――三連画を展示するのは難しかったのでしょうか。
HL:この作品を入れること自体は難しくありませんでした。テートは彼の三連画を3点コレクションしているのですが、ただ、残りの2点は最も貴重な作品であり、保存状態の問題で、ほとんど館外に出すことはありません。しかし、予想外でありながらも非常に直接的なつながりを持つ重要な先人の作品を背景に、次の世代がどう受け継いだかをどうしても見せたかったのです。提案を成立させることができて本当に良かった。
アイデンティティ・ポリティクスと物語の拡張
――2026年現在、アイデンティティをめぐるアートは次の段階に入りつつあるように思えます。それがこの世代だけの成果と言い切れないとしても、本展の多くの作品に「私は私を描く」という姿勢が通底していますね。
HL:この展覧会をつくるにあたり、共同キュレーターのグレゴール・ミューアと私にとって重要だったのは、この時代の英国をもっと幅広く、インクルーシブに語り直すことでした。いま私たちはようやく、「YBA」や「クール・ブリタニア」という呼称が持つ複雑さを本格的に解きほぐし始めているのだと思います。「クール・ブリタニア」は、若者文化に根ざした楽観的な英国像を世界に向けて発信する政治的スローガンでした。特定の主流のアーティストやミュージシャンを称揚し、未来志向の英国らしさを強く打ち出した。しかしその物語から排除されていた声も、あまりにも多かったのです。
だからこそ、クリス・オフィリが《Union Black》の展示を許可してくれたときは、本当に嬉しかった。ミレニアム以後の作品ではありますが、ブラック・ブリティッシュのアーティストたちが人種や国家の象徴とどう向き合っていたのか、その複雑さを雄弁に語っています。ユニオンジャックが強力なシンボルとして用いられていた時代に、帝国の記憶や文化の問題は極めて切実でした。この作品を置くことは、その対話がどれほど困難で、当時どれほど問題を孕んでいたかを示しています。
1990年代のYBA展は国際的に巡回しましたが、注目されたのはごく少数の白人の若い英国人作家たちでした。それだけが物語ではない。もっと広く見てみよう、ということです。来場者は代表的な作家の作品に出会うと同時に、他の多くの英国人作家たちとの対話のなかでそれを見直すことになります。私は、彼/彼女らを隔てたものよりも、共有していた関心や問題意識こそを示したかったのです。

「テート美術館 ― YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート」国立新美術館、2026年、展示風景
――展覧会タイトルにも「BEYOND(超えて)」とあります。
HL:「BEYOND」は最初から重要視したポイントです。英国アートの文脈では、「YBA」という呼称があまりにも英国のアートシーンを強く支配してきました。その重要性は否定しませんが、彼/彼女らの仕事をもっと大きな物語の一部として位置づけし直したかったのです。YBAに限らず、この時代の大半のアーティストは互いに交流があり、それぞれが生きながらに感じていた共通の関心に、多様なかたちで応答していた。だからこそ「BEYOND」というタイトルは、私たちがより広い視野を取ろうとした試みを象徴する言葉になりました。
――「YBA」という言葉は、障害にもなっているのでしょうか。
HL:歴史は時にそういうことをします。人々を枠に入れ、名前を与える。「YBA」という言葉と切り離せないアーティストも確かにいますが、今回の出展アーティストたちでその枠組みに抵抗を感じている人も少なくないでしょう。けれどそれがネガティブだったということではありません。当時よく使われた言い回しだった、というだけです。共感した人もいたし、しなかった人もいた。ただ、ブレア政権が文化的アジェンダを展開していた90年代中盤から後半にかけては、こうした言葉がマーケティングとして巧みに用いられました。それは非常に説得力がありましたが、同時にそのキャンペーンに「当てはまらない」人々がいる、という亀裂も生み出してしまいました。
マイケル・クレイグ=マーティンと英国美術教育
――マイケル・クレイグ=マーティンの影響について聞かずにはいられません。日本では独学の作家とアカデミックな訓練を受けた作家の関係、あるいは師弟的な世代構造がしばしば論点になります。
HL:1990年代の英国アートを語るうえでは外せないのが、ゴールドスミスというアートスクールです。展覧会の最後から2番目の部屋に作品が展示されている同校のマイケル・クレイグ=マーティンは、アーティストであると同時に、非常にユニークな教育者でした。彼の元を巣立った学生たちの多くが驚くべきキャリアを築いていきました。彼の指導はコンセプチュアル・アートの強固さと、それをより身体的で生々しい「生」の喚起と結びつける絶妙なバランスだったんです。
多くのアーティストが口を揃えて言うのは、信じられないほどの自由が与えられていたということ。シラバスはほとんどなく、学生たちに委ねられていました。けれど、その「余白」こそが、彼/彼女らが後に生み出す作品にとってベストな空間になっていったのです。これは英国全体のアート教育にとっても大きな転換点でした。興味深いのは、1990年代のアートスクールが誰にでも開かれていたことです。本展で紹介する世代のアーティストの多くは当時労働階級の子どもで、学費を払うことなく、驚くほど革新的で質の高い美術教育を受けられたのです。
ゴールドスミスの世代は1980年代末から90年代初頭に登場しますが、一方でスティーヴ・マックイーンはロイヤル・カレッジ出身ですし、スコットランドのグラスゴー美術学校からも多くのアーティストを輩出しています。アートスクールの革新はロンドンだけではなく、英国全体で起きていました。
本展が現代に映し出すもの
――本展のように過去へ立ち返る展覧会を観るとき、当時の問題は今の社会にどう響くのでしょう。あるいは、今も何も変わっていないのでしょうか。
HL:少なくとも英国では今、1990年代をめぐる議論が多くなされています。最近も1990年代の子育てに関する新聞記事を読みました。クラブカルチャーを振り返り、かつてのような共同体的な経験の機会を私たちは失ってしまったのではないか、という議論もある。デジタル以前と以後を比べ、ライフスタイルが良くなったのかどうかも振り返りがさまざまな場面で起きています。
展覧会の後半には科学や医学をテーマにした部屋があり、アーティストたちが公衆衛生やエイズ危機にどう関わっていたかを取り上げています。1990年代は科学的発見が非常に大きく進んだ時代でもあります。ダミアン・ハーストは、私たちの科学への信頼が揺らいでいることをテーマに作品を制作しました。
コロナ禍以後の世界では、それらの作品は少し違って見えるかもしれません。身体や心の揺らぎを扱う作品を通して、心と身体の関係もかなり解きほぐされました。今、その問いはより切実に響くことでしょう。

――ひとつ付け加えると、かつて日本は近未来の国に見えましたが、いま人々は伝統的な日本に惹かれています。これをノスタルジーで片付けたくないと思います。
HL:「ノスタルジー」は単なる懐古ではないんじゃないでしょうか。過去が良かったかどうかではなく、彼/彼女らが激動の時代に生活の混沌に向き合い、それをギャラリーへ持ち込んだことが重要です。90年代の表現はレガシーとして、いま私たちの現実とも共鳴しています。デジタル以前の共同体感覚やアクティヴィズムを思い描かせるのです。
展覧会の見どころ
――他にも、特に注目の作家を挙げていただけますか。
HL:会場には随所に強い見どころを設け、あるテーマを共有する多様な作家たちをまとめて見せるセクションを連続させました。その流れの途中に単独作家の展示を差し込み、より没入的な体験として際立たせています。ひとつは、ブラック・オーディオ・フィルム・コレクティヴによるドキュメンタリー作品。監督は今年ヴェネチア・ビエンナーレの英国代表を務めているジョン・アコムフラー。《ハンズワースの歌》は1990年代半ばのバーミンガム、ハンズワース地区を描き、人種差別を背景とした暴動の記憶を映し出します。当時の英国の風景と人々を目にすることは、当時理解するうえで欠かせません。

ブラック・オーディオ・フィルム・コレクティヴ《ハンズワースの歌》1986年、テート美術館蔵展示風景より
HL:もうひとつの大きな見どころが、コーネリア・パーカーの彫刻《コールド・ダーク・マター:爆発の分解イメージ》。英国軍に爆破を依頼した庭小屋の中身が空中に吊り下げられています。テート・コレクションの宝石ともいえる作品で、小屋を宙吊りにすることで彫刻を別の次元へ引き上げると同時に、爆発という出来事を文化のなかでどう受け止めるかを問いかけます。北アイルランド紛争の最盛期、爆破事件が日常的だった時代背景も重なり、強い印象を残すでしょう。アーティストが英国軍に電話して「庭小屋を爆破してもらえませんか」といえた時代の象徴でもあります。いま、それが許されることはほとんどないでしょうね。

ブラック・オーディオ・フィルム・コレクティヴ《ハンズワースの歌》1986年、テート美術館蔵 展示風景より
――これらの作品は当時だから成立した面もあり、2026年のいま同じ形で見せるのは難しい気もします。多くの作品に込められた皮肉やユーモアをどのように受け取ってほしいですか。
HL:言葉が作品のなかで果たす役割は大きく、女性性を問い直すためにタブロイド的な言語をあえて用いる例もあります。そこには暗くかつはっきりと英国的なユーモアがあり、時代を越えて伝わることを願っています。風変わりで機知に富み、鋭く大胆に社会を突く表現でもある。どこか無防備で検閲されていないような直接性を、私たちは失いつつあるのかもしれません。
――私たちは「ポリティカル・コレクトネス」の向こう側にいる、ということですね。
HL:そうかもしれません。YBAとは、本当に特異な時間と場所だったのだと思います。

| タイトル | テート美術館ーYBA&BEYOND 世界を変えた90s英国アート |
|---|---|
| 場所 | 国立新美術館/京都市京セラ美術館 |
| 会期 | 国立新美術館:2026年2月11日(水・祝)〜5月11日(月) |
| 時間 | 国立新美術館:10:00〜18:00(金・土曜日は20:00まで) |
| 休み | 国立新美術館:毎週火曜日 ※5月5日(火・祝)は開館 |
| 料金 | 詳細は公式サイトをご覧ください |
| URL | https://www.ybabeyond.jp/ |
