南アフリカのヨハネスブルクを拠点に活躍する写真家ロジャー・バレン。彼の50年にわたる活動を集大成した作品集『Ballenesque, Roger Ballen: A Retrospective』(Thames & Hudson)の刊行にあわせて、東京で初となる個展「BALLENESQUE(バレネスク)」が開催されている。来日したバレンに、アメリカを出て南アフリカにたどり着くまでのバックグラウンドから、社会の周縁に生きる人々をとらえた初期のドキュメンタリー的作品、人物に加えて壁のシミや落書き、ドローイング、針金、オブジェ、動物といった複合的な要素をバレン特有の美意識で空間構成し、超現実的な世界を写真によってクリエイトする近年の作品まで、その歩みを聞いた。
文=小林英治
写真=高木康行
精神的な探求のはじまり
―あなたはニューヨークの生まれですが、50年近くのキャリアの中で35年以上にわたり南アメリカを拠点に活動をされています。なぜ南アフリカだったのでしょうか?
世界各地を旅する中で1974年にケープタウンにたどり着いたんですが、アフリカの土着のカルチャーだけでなく、西洋のカルチャーやコロニアルなカルチャーなどが混在していて、土地自体が非常に興味深く感じられました。当時はまだアパルトヘイト政策も行われている時代でしたが、住人たちは非常に友好的で、そこで現在の妻にも出会いました。
―最初の作品集『Boyhood / 少年時代』(1979)は、世界中で撮影された子どもたちが収録されていますが、これらは南アフリカにたどり着く前の旅で撮影したものでしょうか。
そうです。若い頃に何度か大旅行をしていて、そのひとつが5年間かけてイスタンブールからニューギニアまでを旅したもので、『Boyhood』はその間に撮影した写真が中心になっています。旅のルートはトルコからイラン、アフガニスタン、パキスタン、インド、ネパール、バングラディシュ、ミャンマー、タイ、マレーシア、シンガポール、インドネシア、にパプアニューギニア。そのまま北上してフィリピン、マカオ、香港、台湾、日本、韓国に行って、最後にハワイを経由してアメリカへ戻りました。初めて日本を訪れたのもこのときで、1976年です。この旅では自身の幼少期を探すということがテーマにあって、いわば精神的な旅ですが、この作品に限らず、私のキャリアを通して精神的な探求ということが一貫したテーマとしてあります。
―あなたは地質学者でもあるということですが、それは写真と関連があるのですか?
大学では心理学を学んだんですが、南アフリカで暮らすようになってから、1977年に一度アメリカに戻って地質学のPh.D(博士号)を取りました。それで1982年に再び南アフリカに行き、それからはヨハネスブルクにずっと住んでいます。南アフリカは地質学の仕事をするのに適した場所だったんです。金、銀、銅、スズなどを採掘するビジネスの自分の会社をもっていて、その仕事をしながら写真も並行してやっていました。どこに住もうがプラスとマイナスの側面がありますが、南アフリカは地質学の仕事ができて写真もできて、しかも一年を通して天気もいい。それを考えたら誰がニューヨークやパリに住もうと思う? 家から50m離れたところには動物園があって、13頭のライオンがいるんだ。野生のハイエナもたくさんいて、近所の人は私がハイエナを飼ってると思ってるけどね(笑)。
―では、写真を専門的に学んだことはないんですか?
写真は独学です。ただ母親がマグナムで働いていて、彼女は60年代後半にカルティエ=ブレッソンをアメリカで最初に扱ったギャラリーのうちの一つで働いてたんですが、母親に写真は教わったことはありません。最初に手にしたカメラは、1968年の6月に、『ニューヨーク・マガジン』で働いていた母親の友人が、高校の卒業祝いとして香港から送ってくれたニコンのFTNです。それまでに写真はよく見ていたので、カメラを手にした瞬間に、自分の脳はすでに写真家向きにできているのがわかりました。18歳のそのときからずっと写真を撮っていて、50年経ちます。
―1950年生まれで68年に高校卒業ということは、まさにカウンターカルチャーの最盛期にアメリカで思春期を過ごした世代ですね。今回発売されたレトロスペクティヴの作品集にはウッドストックで撮った写真も収められていますし、その後カメラを手に世界中を旅したというのも納得です。
―南アフリカを拠点にしてから最初の作品集『Dorps / 田舎町』(1986)、そして『Platteland / 田舎の地』(1994)では、ポートレイトを中心に郊外の暮らしをストレートに写したドキュメンタリー的なスタイルです。
当時は南アフリカで人間が住んでいる環境に関心がありました。差別されていたり隔離させられていたりする人、社会の周縁に追いやられている人たちが置かれている住環境や生活に一番の興味があったんです。
―当時はまだアパルトヘイトの時代ですが、そういったジャーナリスト的な関心もあったんでしょうか。
政治的な関心はありませんでした。アパルトヘイトがあったのは確かですが、その後に黒人の社会になって現在人々の生活が豊かになったかというと決してそうではありません。私はさまざまな問題が起きるのは、システムの問題ではなく人間性の問題だと考えています。それと、アパルトヘイトが全体主義や共産主義の国と違うところは、表現の自由があったことです。当然黒人たちと自由に話すこともできたし、写真を撮るうえでの活動が制限されることはまったくありませんでした。
―『Dorps』以降は、一貫して正方形でモノクロのフォーマットを採用していますが、それはあなたが表現したいものと合致していたからですか?
地質学の博士号を取得したときに、ローライフレックスを自分にご褒美として買ったんです。それ以来、数少ない例外を除いてほとんどローライの6×6フォーマットで撮っています。そして私がモノクロが好きなのは、カラーと比べて現実をより写すことができるメディアだと思うからです。ミニマリスティックで抽象的なところもあり、モノクロ自体がひとつのアートフォームになっていると思います。
―あなたが世界で広く知られるきかっけとなった『Outland / 外地』(2001)は、イメージがより鮮烈になり、その後の『Shadow Chamber 影の牢獄』(2005)や『Boarding House / 寄宿舎』(2009)になると、不穏さが強調され、夢とも現実ともつかない独特の世界が生み出されています。
『Outland』のシリーズは、私がドキュメンタリー作家ではなくアーティストとしての意識で作った最初の作品です。ここでのテーマは人間の「狂気」。私は人生には本質的には意味が無く、コントロールすることもできないと考えています。実際、自分がなぜ存在しているのか、何のために生まれてきたのかというのは根源的には誰もわからない。そういったことをテーマにしています。
―これらのイメージは被写体となっている人物たちとのコラボレーションというか、作品のコンセプトなどを共有して制作しているのでしょうか?
いや、共同作業ではあるけれど、ただ彼らと単に友人になって撮るだけです。コンセプトを説明はしません。一枚の写真というのは意味や言葉で集約されるようなものではなく、感じるもの、見る者の脳を貫通していくものです。言葉で説明できる写真なんて良い写真じゃないでしょう?
―壁の落書きや針金といったモチーフや、動物もこの頃から頻出します。中でも鳥とネズミはあなたに取って特別な存在とのことですが。
2000年頃からそういったものを入れるようになってきました。この落書きは自分で描いたものではなくて、YouTubeで1億回以上再生されてる「フリーキービデオ」(南アフリカのヒップホップグループ・Die Antwoordのミュージックビデオ“I FINK U FREEKY”)を撮ったときに描かれたものです。鳥は「天」を、ネズミは「地」を象徴しています。ドキュメンタリーやポートレイトでは人間が中心だったのが、次第にドローイングや彫刻といったさまざまなメディアを写真を通してひとつにまとめ上げるという方向になっていきました。
―そういったさまざまな要素はセットアップされているようで、動物や人間が同時に入り込むことで、やはり瞬間をとらえていますね。そこが非常に写真的だと感じます。
その指摘は重要ですね。やはり写真というのは瞬間をとらえるものであって、例えばこの作品もネズミがいなければどこかのアーティストが作り込んで同じようなものができるかもしれないけど、そこに写真によって「瞬間」を取り込んでいることがアートたらしめてると思っています。実際に、自分のイメージ通りに撮影するということは、イマジネーションの上でもスキルにおいても非常に高度なものがあるんです。
写真集にサインをするときはかならず、鳥かネズミの絵を描くという。
―そこにひと目でロジャー・バレンの作品だとわかるオリジナリティがありますね。
複雑さというのは必ず作品にあるべきで、複数の要素をそれぞれが阻害することなくひとつの作品として成立させ、自分なりの意味も付加しています。こういったロジャー・バレンならではの作品の特徴を、写真集のタイトルにもなっている「BALLENESQUE」(バレン的)と称しているんです。あなたがこれらの写真を見たときに良いと思ったとすれば、そこに何かしら共感したり心地よく思うものがあるからです。言葉で説明はできないけど、イメージがずっと心に残って頭から離れなくなる。アートにおいてはそういうことが非常に重要です。
―あなたの作品の場合には、それは心地良いというより不気味で怖いものです。むしろ一般的に「美しい」と言われてるものとは対極にあるといってもいいけれど、もっと見たくなったり惹かれてしまうというのは、やはり人間の本質的な部分とどこか共鳴するものがあるのでしょうか。
そうですね。多くの人々というのは抑圧された状態で日常生活を送っていて、それを普段は正面から見ないようにしています。私の作品を見て怖いと思うのは、作品を見ることで自分たちの環境に立ち返って、部分的にでも抑圧されたところがあるということを受け容れる、もしくは理解するというプロセスが起こるからではないでしょうか。アート作品は、ビジュアルとして審美的に調和がなされていることがまず重要ですが、さらに人間の無意識に訴えかけるメタファーがないと成立しないと思っています。そういう意味では世の中の人にとって良い薬でもあります(笑)。
展覧会の会場外に展示したユーモアに溢れたインスタレーションと笑顔で記念撮影。バレン氏曰く「ヨハネスブルグから同行した友人と時差ボケのライオン」。
参考書籍:『Ballenesque, Roger Ballen: A Retrospective』(Thames & Hudson)
タイトル | |
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会期 | 2017年10月20日(金)〜12月20日(土) |
会場 | EMON PHOTO GALLERY(東京都) |
時間 | 11:00〜19:00(土曜は18:00まで) |
休館日 | 日・祝休 |
URL |
ロジャー・バレン|Roger Ballen
1950年米、ニューヨーク生まれの写真家。現在南アフリカ在住。21世紀で最も重要な写真家の一人として知られ、35年以上に渡ってヨハネスブルクに住み制作をしている。バレン独特の写真表現は正方形のフォーマットとモノクロームの美しい階調をもって進化を遂げ、近年の作品で見られる精巧なイメージは通常絵画で使われる技法やコラージュ、彫刻表現をも取り入れている。ハイブリッドな美学様式を発明しているが、今なおロジャー・バレンの根幹にあるものは写真表現である事は確かである。2012年、南アフリカのケープタウンで結成されたレイブ/ヒップホップグループ、Die Antwoordのミュージックビデオ「I Fink U Freeky」の監督を務め、このYouTube動画は現在までに1億回以上の視聴回数を記録している。また2017年7月からはフランスのアルル国際写真祭にて廃屋を使い大規模なインスタレーション作品を発表し注目を集めている。
https://www.rogerballen.com/
2021年3月以前の価格表記は税抜き表示のものがあります。予めご了承ください。