写真家の思考をたどる新企画「写真家のフィールドワーク」は、写真家による写真と言葉で綴られるフォトエッセイ。第一回目は東京郊外のフィールドワークを通して、ユニークな活動を続けている写真家・百頭たけし。彼が「ジャンクヤード」と呼ぶ郊外には、私たちが思いもかけない異様な風景がある。産廃業者と生活者、大量消費とアニミズム、殺伐とした雰囲気と笑ってしまうような面白さなど、異なるエネルギーが均衡・混交しながら、歪な秩序を生み出す場所としての郊外を百頭はとらえる。Googleマップとレンタサイクルを駆使した撮影行のプロセスを、写真とテキストから考察してみよう。
写真・文=百頭たけし
企画・編集=若山満大
手隙の時間はいつもGoogleマップを見て過ごしてしまう。表示を航空写真モードにして、右へ左へ地図を手繰る。郊外にある自治体の市境や川沿い、高速道路周辺を重点的に眺める。ザラリとした質感の場所を見つけると、ズームインして高解像画像が表示されるまでしばらく待つ。我が家の回線はとても遅い。
やがて現れた画像が期待通りなら、お気に入りポイントに登録してズームアウト、また探索に戻る。「ザラリとした質感の場所」とは、大雑把にいえば産廃処理や土木関係の業者が集まる地域のことで、10年近く執着して撮り続けている現場でもある。私はそういった場所を、ちょっと乱暴だが一括りに「ジャンクヤード」と呼んでいる。
ジャンクヤードは鉄や油に由来する湿った茶色っぽさを帯びていて、区画ごとのトリミングもガチャガチャしているので、地図上での異質さが目に付きやすい。業者が密集していることもあり、地図にはお気に入りの星印が星雲のような広がりをもって現れてくる。なかなかの壮観だ。ある程度の地点を登録したら、次は最寄りのレンタサイクル店を検索して探す。見つからなければ輪行。電車と自転車で目的地に向かう。
神奈川県相模原市は、東京近郊でもとりわけ多くの星を付けたお気に入りの場所だ。家から電車で2時間半ほどかかるが、乗り換えは2回で済むし、道中ほぼ座っていられるので苦にはならない。途中の大宮駅で「むさしの号」という、朝に1本だけ走る八王子行きの電車に乗ると10時過ぎには着いてしまう。駅併設の市営駐輪場で自転車の貸し出しが行われているので、手続きをすればすぐに行動が可能になる。16号線を越えて市役所を通り過ぎ、相模原台地の断崖面と並行するように自転車を走らせていると、米軍のキャンプ座間が近づいてくる。広大なジャンクヤードは、その手前に拡がっている。
もともとは陸軍士官学校の演習用地だった場所が開墾され農地として使われていたが、近年では耕作放棄で空地が増えている。そこに産業廃棄物を扱う業者などが入居して、今日の風景が作られるようになった。建築残土が盛られたいまにも崩れそうな山。アルミ板1枚隔てたその隣には畑があって、半ば枯れた白菜がアリゾナのレッドロックカントリーのように並んでいる。さらにその奥では、家電のスクラップが別の山脈を形成していたりする。
未舗装の道に降った雨が交差点で池になり、自動車の解体工場から染み出したオイルがそこに流れ込んで歪な虹彩を放つ。基地が近いためか、アメリカをはじめ南米や中東系の就労者も多い。日中にはブラックミュージックやアラブ音楽が聞こえてくることもあり、撮影の高揚も相まって自所を見失うような心地になる。さまざまな事物が並置され、放置され、それでいて細部では常に新陳代謝は行われ、訪れるたびに異なる曼荼羅のような光景を見ることができる。
相模原は、相模川によって作られた3段の河岸段丘の上にできた町である。相模原駅と同じ上段に位置するキャンプ座間から中段の田名方面へ行こうとすると、唐突に崖が現れる。場所によっては高低差が20m以上ある。坂道はそのまま下るのがためらわれるほどの勾配だが、相模原でのサイクリングで最も心地よい、疾走感を味わえるポイントでもある。階層間を移動するこの瞬間はFPSゲームで新しいマップに投入されるときの演出じみていて、とても楽しい。
自転車は移動のために使っているわけではあるが、次第にその魅力というか、撮影との相性のよさに惹き込まれるようになった。徒歩より速く、バイクより軽やかで、ストップ&ゴーのしやすさはスナップショットにとても都合がいい。走行中の身軽さから来る爽快感はそのまま撮影の気分に直結するし、いいショットが撮れた満足感はさらなる未開へとペダルを漕がせる。自転車で走ることについて、イラストレーターでサイクリストの寺田克也さんが著作の中で「地面すれすれをずっと滑空して飛んでいるようなもの」という旨のことを書いていた記憶がある。自転車とカメラのシナジーには、ほかにないものを感じる。
ジャンクヤードにはさまざまな立体物が置かれている。多くは招き猫や信楽焼のたぬきといった縁起物、アニメのフィギュアやぬいぐるみなどの玩具であるが、時折まったく出自がわからないものも現れる。電柱に繋がれた、腰の高さほどもある猿の像(「見ざる聞かざる言わざる」の三猿に似ているが、いずれの猿とも異なる)。電気工事店の店先に置かれた僧侶の像(弘法大師かと思ったが、手にしているのは金剛杵ではない)。ダンプカー進入口を見守るブラキオサウルスの首など。
誰がどういう意図で設置したかはわからないが、おそらくほとんどが回収された廃棄物の中から、ちょっとした遊び心で救い出されたものであろう。偶像を捨てたり壊したりするのは心苦しい、いっそディスプレイしてしまおう、という素朴なアニミズムが想像できる。結果的には道祖神というより、類人猿の前に降ってきたモノリスのような異質さを放ってしまっているのだけど、それがジャンクヤードにとっての日常風景でもある。
日が暮れると、ジャンクヤードは本当に真っ暗になってしまう。街灯はほとんどないし、業者もみな定時で終業してしまうためだ。オール100円の自販機だけが泥っぽい道を照らしている。まだ撮れる場所はないかとiPhoneを取り出してマップを開こうとしたが、寒さでバッテリーは事切れていた。こうなると心も折れ、空腹から出し抜けに胃も痛みだし、駅へと引き返すしかなくなってしまった。来た道をそのまま戻ることになるのだが、この復路がまたなんとも複雑な思いに囚われての走行になる。
スナップショットは極論すると風景の強奪にほかならない、と私は思っている。その意味では撮影してきた風景の中を通って帰るというのは、なんだか占領地から撤退する敗軍のような、居心地の悪さと罪悪感がある。と同時に、いいショットを撮れた満足感と、webにあげて閲覧者を驚かせたいという欲望も胸に湧いてくる。このふたつの感情が合わさったとき、野次を飛ばされながら花道を去る悪役レスラーになったような感覚をおぼえる。十全な悪党ぶりを発揮しての凱旋、といった見立てで悦に入っているわけである。しかし駅へ着く頃にはそんな妄念も消えて、空腹感だけが残される。幸いにもサイゼリヤが開いていた。
タイトル | 「不純物と免疫 Impurity / Immunity」 |
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会期 | 2018年1月27日(土)〜2月11日(日) |
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百頭たけし|Takeshi Hyakutou
1980年群馬県生まれ。写真家。主な個展に「カイポンする」(2017年、コ本や)、「D 現場」(2016年、TAP Gallery)、「Busy, busy, busy」(2015年、TAP Gallery)、「帰ってきた なぜ、怪獣図鑑か」(2010年、多摩美術大学内サイトー美術館)。グループ展として「不純物と免疫」(2017年-、トーキョーアーツアンドスペース本郷ほか)、「カオス*ラウンジ新芸術祭2017市街劇・百五〇年の孤独」(2017年-2018年、福島県いわき市内各所)、「Seize the Uncertain Day」(2017年、東京藝術大学美術館)、「Debris*Lounge」(2016年、ゲンロン カオス*ラウンジ五反田アトリエ)、「X会とパープルーム」(2016年、もりたか屋)、「MOBILIS IN MOBILI –交錯する現在–」(2013年、コーポ北加賀屋)などに参加。Gabriele Basilico Prize in Architecture and Landscape Photographyノミネート(2015年)。
2021年3月以前の価格表記は税抜き表示のものがあります。予めご了承ください。