4 July 2018

Art & Business
Shu Yamaguchi

山口周インタヴュー
“正しい美意識”はどこにもない、心の中に湧き上がる感覚があるだけです

4 July 2018

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山口周インタヴュー「“正しい美意識”はどこにもない、心の中に湧き上がる感覚があるだけです」 | 山口周

ギャラリスト、学者、企業などの取材を通じ、経済的視点からアートの新たな役割を考察する新連載「アートと経済」。第1回は組織開発・人材育成の専門家であり、作家としても知られる山口周を迎えた。いま、世界のビジネスエリートたちは美術館のギャラリートークなどに積極的に参加し「美意識」を鍛えているという。しかし、それは「このアートが美しいと思える感性」を得ようとしているのではない。自分の中に湧き上がる感覚を正確にとらえようと努めているのだ。

文=加瀬友重
写真=山口賢一(REALROCKDESIGN)

―経済、あるいはビジネスという観点からアートをとらえてみようという企画です。そもそも、アートとビジネスはどういう関わり方をしてきたのでしょうか。

例えばレオナルド・ダ・ヴィンチというと、アートのど真ん中に位置する人のように思われています。しかしながら彼が活躍した16世紀末ごろは、アーティストはいまでいう広告代理店のような役割を果たしていたと思うんです。ダ・ヴィンチが個人で手がけた作品はそれほど多くない。ならばいったい何で忙しかったのか。例えばメディチ家の結婚式のイベントとして寸劇を企画したりというのは、いまでいえば芸能人の結婚式を仕切る感覚です。まさに電通なんですよ。

もちろん絵を描いていたことに間違いはないんですが、実際には工房を構えて従業員も雇っていた。貴族をスポンサーにしていろんなことをやっていたわけです。こんな屋敷を作ってほしいといった建築の話だったり、美しい馬車を作ったり。馬車もそうですが、絵画や、家具や、食器といったような“生活を彩る道具”というのは、いま現在極め付きのアーティストとして知られているような人たちがデザインして、作ってきたんですね。でも19世紀くらいから、アーティストが作る生活を彩る道具と、工場などで大量生産される製品は分離していくわけです。

生産性とコストを重視して作られる生活の道具が多くを占めるようになっていく流れがあって、同時にアーティストたちが生活のなかで表現の場を与えられなくなり美術館などの場に閉じていくという流れがある。生活文脈とアートは切り離されていったのです。

―そうして長い時間を経た現在、私たちの消費生活においてどのような状況が起きているのでしょうか。

端的に「もう欲しいモノがない」と思う人が増えてきていると思います。高度成長期に「三種の神器」といわれたのは冷蔵庫、テレビ、洗濯機。豊かな暮らしを象徴する3つの家電でしたが、いまはこれらがない家のほうが珍しい。いや、逆に豊かな暮らしを目指すためにテレビを置かない場合すらあります。つまり「モノによって豊かさが規定される世の中」ではなくなってしまったのです。

では何が豊かさを規定するのか。あえていえば別荘とかクルーザーとかっていう弩級のモノですが、生活するうえで必要なモノは、もうほとんど行きわたってしまった。ではどうやって消費を、経済を刺激するのか。もう「より美しいモノを生活のなかに置いておきたい」という意識しか残っていないんですよね。買う側の美意識も大事だし、出す(作る)側の美意識も高めていかないと、経済そのものがあまり盛り上がらないという状況なんです。

―モノをたくさん所有していることは豊かさに直結しないというわけですね。

ただ、モノを持たないミニマリストも、モノをたくさん持つバブリストも結局同じだと思っているんです。モノの数でどっちが偉いか決まるっていう考え方で、その目盛りをひっくり返しているだけ。このゲームをやっている限りは、ミニマリズムとバブリズムは基本、同じ穴のムジナじゃないかと。

そうではなく、モノがどれだけの豊かさを与えてくれるか。例えばアート写真なら、写真を飾ったところを切り取ったときに、どれだけ美しい生活風景を作ってくれるかを考える。ミニマリズムでもバブリズムでもなく、「自分が美しいと思うモノだけを身の回りの置いておこう」という感覚。その“豊かな感覚”を、日本の企業の多くはうまくとらえ切れていないと思うんです。

家具でいえばアルヴァ・アアルトとかイームズといった、「美しい椅子」といわれる定番があります。それは何年も繰り返し提案され続けていて、完全に記号になっている。例えば「新しい日本の家屋に合うような家具の提案」がなされているかというと、なされていない。「いつも同じ提案だよね」と感じている人たちがいると思うんです。それなりのマーケットがあるはずなのに、どこからも提案がない。潜在的な需要と供給者側にギャップが起きているような気がします。


山口周 02

―なぜ「美しいモノ」が新しく出てこない、あるいは出てきにくいのでしょうか。

いろんな理由があると思うのですが、いちばん悪さをしているのはマーケティングだと思います。マーケティングは道具として有効……いや、いい方が良くないですね。マーケティングは非常に有能な家来であると。ただし、主人にすると非常に悪い主人になってしまうということでしょうか。

つまり、「こういうモノを世の中に送り出したい」というときに、マーケティングのスキルを使うと「いかに効率的に訴えるか」「これを好みそうな人は誰なのか」「どういうメッセージを送れば彼らは動くのか」ということを考えるわけです。送り出したいモノという“主”があって、それをどうやって送り出すかという“従”があると、主従関係は正しく成立します。

しかし、マーケティングが「市場調査の結果、あなたの商品を求める人は少ない。もっと多くの人にウケるためにはこう変えたほうがいい」といい出すようになってくると、マーケティングが“主”で送り出したいモノが“従”になる。つまり、マーケティングが“主”の関係になってしまうんです。

―そうなると、同じようなモノが多くなってくるということですね。

2000年代の前半、当時の携帯電話はどの機種も似ていました。価格も、機能も、デザインも似ている。その中で抜け出したのがiPhoneだったわけです。高価であったにもかかわらず、マーケティング的には考えられないような、地滑り的なシェアの移行がありました。マーケティングが“主”になると似たような携帯電話が溢れて、マーケティングが“従”になるとiPhoneみたいなものが出てくる。やはり自分が作りたい、出したいものが“主”にならないと美しいモノは生まれないですよね。アート作品もまったく同じだと思います。見せられたときに想定以上の驚きがあって、かつ説得力を感じるという。

世の中の表面的なニーズをスキャナーでスキャンするようにして商品を作ってきたのが、ここ20年くらいの日本企業のやってきたこと。その結果として、グローバルで競争力のある商品が作れなくなってしまったという状況です。経営力のリテラシーが浸透し、マーケティングのスキルを持った人たちが増えれば増えるほど、国際的な競争力がなくなってきたということなんです。

一面ではありますが、マーケティングに頼りすぎてしまったということ。そしてもっといえば、ビジネスに関わる人たちの、個人の感性や美意識を前面に出すことに対する恐れや、リーダーシップをとりたくないという一種の「アボイダンス」──日本語にすると難しいのですが、腰が引けている感じというか──が、こうした状況を引き起こしたのではないでしょうか。胆力みたいなものも含めて、何かが足りなかったと。

―この先、新たに「美しいモノ」を作り出すビジネスの姿勢は生まれてくるのでしょうか。

正直、難しい。山は動かないというか、特に大きな会社では厳しい気がします。日本の大企業の社員には“つつがなく過ごす”ということも求められます。「マーケティングのセオリー通りにやったんですけど、あまり売れませんでした」という話と、「マーケティングのセオリーはこうだったんですが、自分の感性でこうしました。そして売れませんでした」という話では、後者のほうがレールを外される可能性が高い。そういう組織が多いから、なかなか難しいと思います。

―企業が大きくなりすぎてしまうと、新しいモノは生まれにくい。

これも難しいところですね……。経済規模を大きくするとか、時価総額を大きくするとかってことをひとつのゴールとして定めるのが、果たして21世紀的なのかという問題はあります。例えば、パナソニックとソニーがそれぞれ売り上げ20兆円の会社で、両者を足して30兆円の会社を作るとします。一方で、20兆円のパナソニックとソニーが破綻して、売り上げ1000憶の会社が200社できるとします。どちらが日本としていいのかというと、後者のような気がするんですよね。

確かに累積生産量が多ければ多いほどコスト競争力は上がります。1970~80年代は、コストの競争で戦うこと前提に置き、企業の競争優位が規模に直結していた時代でした。『MAKERS』でクリス・アンダーソンが書いているように、巨大な資本で工場を作り大量生産し、いち早く減価償却して、価格を抑えてマーケットを獲得するというモデルだったんです。しかし、極論すればモノ作りは自宅でもできる。モノが溢れ返っているこの時代に、本当に「スケールが大きいことが競争力になるのか」という話です。

日本企業はできるだけ大きな市場のセグメントで八方美人的に条件を満たすような商品を作ってきたわけですが、いまでは東南アジアや台湾に勝てない。例えば、トルコの家電量販店を見てみると日本のテレビなんて置いていないんです。日本の家電が強いと思っているのは日本人だけで、海外の店では日本製品なんて、端に少し置いてあるだけですから。

そうなると家電の企業も、バルミューダとかダイソンとか、無印良品とか、いろんなところが出てきますよね。ミニマルなものもあればデコラティブなものもあって。そのような商品であれば、単価がいままでの1.3、1.4倍くらいでも、ある意味健全なのではと思います。


山口周 03

―いまのビジネスマンが美意識や感性を鍛えているというのは、こういう複雑な時代に対応するためなのでしょうか。

まあ、広い意味でいうとそうかも知れませんが……もっと平たくいうと、論理で白黒つかない問題について意思決定しようとすると、自分の感性に頼るしかない。位相はふたつあって、ビジネスを時間軸で見たときに、ますます論理が通用しなっていくという時間軸の変化の話。もうひとつは、会社の中でポジションが上がっていけばいくほど、論理で白黒つかない問題を扱うという話があるんです。

私がいろいろと見てきた中で、論理で白黒つく問題を捌いて評価を受けられるのは、せいぜい本部長くらいまでなんですよね。これは組織論の話なんですが、上司ってなんのためにいるのかというと、基本的には「例外処理」のためにいるんです。

組織の動き方の基本は、従業員にルールとマニュアルをわたして「この中で捌けることはあなた自身でやってください」といって仕事を与える。でも「ルールとマニュアルではどうも捌けない変なものが出てきました」というときに、これはどうしましょうかとひとつ上にお伺いを立てるんです。「ルールとマニュアルでは対応できないけど、これはこうしなさい」というために上司がいるわけです。

その上司でも捌けない案件が出てくるとさらにその上に上がる。そうしてどんどん上がっていって、社長のところまで上がった案件というのは、基本的には例外中の例外なんです。つまり論理的に白黒つかないわけですね。

―そこで上司や経営者は美意識を鍛えると。

いや、なかなか鍛えられないです。これも難しい。私が鍛えられないというと、「えっ、“美意識を鍛える”なんて本を書いているじゃないか」といわれちゃいますが(笑)、実際、難しいのです。「鍛えられない」と堂々といってはばからないのが一橋大学の楠木健先生です。『経営センスの論理』という本を書いているのですが、極めてシンプルに、経営はセンスだと。センスだから鍛えられないと。

元マイクロソフトの成毛眞さんも『このムダな努力をやめなさい』という本で同じようなことを書いています。ビル・ゲイツ(マイクロソフト創業者)とリチャード・ブランソン(ヴァージン・グループ創設者)のトークイベントを開催したとき、ビル・ゲイツが「何人集まってるの」と聞いたので「3,000人だよ」と成毛さんが答えた。すると二人は笑い出して「俺たちの話聞いても仕事ができるようにはならないし、話を聞く時間があったら、顧客回りでもしたほうがいいのにな」っていったそうです。成毛さんもやはり、ビジネスはとにかくセンスだと。センスのいいやつは勉強しなくてもうまくいくと。ある意味極論なんですけどね。

―そうなると、感性を鍛えることには意味がない……。

いや、「鍛える」という言葉が誤解を招いているんです。モノを作るいろいろな会社があって、いろいろな提案がありますよね。「自分たちはこれがカッコいいと思う」と、アーティストと同じ感覚で商品を出したいという前提においては、「何か“正しい美意識”の基準があって、鍛えることで“正しい美意識”を得る」という考え方は、そもそも多様性や差別化という方向と矛盾するんです。

つまり“正しい美意識”というのはどこにもないんだと。「名画=美しい」と思える感性に近づくということは、その感性は他との差別化が進んでいないということです。こうなるとマーケティングに頼った場合と同じような結果になってしまうんです。

―なるほど。外ではなく、自分の中の感性を意識するということですね。

いまのビジネス世界においては、自分が本当に思っていることを、自分自身で感じ取る力が弱くなってしまっているということです。つまり「なんとなく素敵に感じる」とか「なんとなく嫌な感じがする」といった、自分の心のなかに湧き上がる感覚をスキャンする能力を鍛えるというのであれば、それはありだと。世の中で、あるいは美術史的に「傑作だ」といわれているようなものを、正しく美しいと思う感覚が鍛えられるかというと鍛えられないし、そんなことをするべきでもない、と思っているんです。


山口周 04

山口周|Shu Yamaguchi
1970年東京生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科卒業、同大学院文学研究科美学美術史専攻修士課程修了。電通、ボストン・コンサルティング・グループなどを経て、組織開発と人材育成を専門とするコーン・フェリー・ヘイグループに参画。現在、同社のシニア・クライアント・パートナーを務めている。著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか─経営における「アート」と「サイエンス」─』(光文社新書)、『外資系コンサルのスライド作成術─図解表現23のテクニック』(東洋経済新報社)など。

2021年3月以前の価格表記は税抜き表示のものがあります。予めご了承ください。

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