19 January 2021

揺れ動く既視感と未視感

写真家の言葉 サラ・ムーン×森山大道
(IMA 2015 Summer vol.12より転載)

19 January 2021

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森山大道×サラ・ムーン対談~光と翳で通じ合う二人~ | 揺れ動く既視感と未視感

写真家たちの個性がときにはぶつかり合い、ときにはシンクロする人気企画「写真家の言葉」。2015年には、AKIO NAGASAWA Galleryでの展示のために来日したサラ・ムーンと、かねてから彼女と交流のあった森山大道の対話が実現した。夢で見るような幻想的な世界を創り上げるサラ・ムーンと、光と影のコントラストを駆使してストリートスナップを撮り続ける森山。 一見、タイプの異なるようでいて、常に未知なるイメージを追い求めるニ人は、深いところで通じ合っていた。

大島利浩=写真
小林英治=文

AKIO NAGASAWA Galleryでの個展「NOW AND THEN」展を機に来日したサラ・ムーン。新作を中心にサラ自身によってセレクト・展示構成された作品群は、ファッション、動物、風景といった多様なモチーフを扱いながら、彼女ならではの独自の世界で統一され、深く身体に沁みわたる繊細かつ強固なイメージを改めて印象付けた。大の日本好きだというサラは、滞在中にちびっ子相撲に出かけたり、谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』をテーマに京都を訪れたりと、精力的に活動。そして、フランスへ戻る前夜には、サラのたっての希望で、2013年にアルル国際写真フェスティバルで邂逅した森山大道と2年ぶりの再会を果たした。

お互いの作品との出会い

サラ・ムーン(以下、サラ):またお会いできてうれしいです。アルルでは森山さんのポートレイトも撮影させてもらいました。

森山大道(以下、森山):ブックサイニングでニ人並んでサインしたのもうれしかったよね。

サラ:いまもこうやって並んでるのはうれしいですよ。

森山:うれし恥ずかしですね。僕のほうが歳上なんだけど、なんか一緒にいると気分的には弟みたいな感覚になるんだよな(笑)。

サラ:私があなたのことを知ったのは、90年代に、森山さんとも交流があるウィリアム・クラインから聞いたのがきっかけです。そのときに写真集を見ましたが、実際にプリントを見たのはパリのカルティエ現代美術財団での大規模な展覧会(2003年)でした。ストリートスナップではあるんですがルポルタージュとは全く違う作品で、イメージが多様で、とても意味の深い写真でした。ストリートのディテール、まなざし、エネルギーが素晴らしかったと思います。

森山:そういうふうに見てもらうのはとてもうれしいです。僕もサラさんの写真を具体的に見たのは、90年代の頭くらいで、日本のカメラ雑誌か何かのエディトリアルででした。そんなにまとまった数ではなかったけど、僕自身の記憶にグザッとくるような写真で、とても好きだったね。共感とかそういうものではなくて、心にくるんですよ。

サラ:ありがとうございます。

森山:プリントでこれだけ見たのは今回が初めてです。もちろんプリントのディテールやマチエールから感じる新鮮な驚きがあって引き込まれるけど、やっぱり僕のサラさんの写真に対するイメージは、最初に見た時と変わらないんだよね。作品の持っている世界は全然揺るがない。

サラ:写真で重要なのはテクニックより印象ですからね。

サラ・ムーン「Turkish Delight, 1993」© Sarah Moon

サラ・ムーン「Codie Pour “Ten”, 2011」© Sarah Moon


じっと待つか歩いて待つか

サラ:アルルでいただいた写真集『LABYRINTH』(2012年)はコンタクトプリントだけで構成されていますが、これは本物のコンタクトですか?

森山:いや、僕は普段コンタクトをとらないので、この本のために作ったコンタクトです。だから、これは時間とか場所をグチャグチャにしているんです。

サラ:なるほど。素晴らしい作品ですね。80年代にウィリアム・クラインが作った「コンタクト」(1989年)という映像はご存知ですか? 写真家がどうやってイメージを探すのかということを解き明かすシリーズのひとつです。「コンタクト」シリーズは私の作品にもあるのですが(1993年)、そこではコンタクトではなくポラで構成しました。

森山:僕は気持ちの上では、撮ったものは全部見せたいんですね。もちろん実際はそうはいかないわけだけど。だから『LABYRINTH』はコンタクトだけど、逆に「選ばない」というコンセプトなんです。

サラ:それは全く違うことですね。私は全部を見せるのは無理です。写真を撮っている瞬間は勢いで撮ってるので、あとから見るとスケッチだなと思うことがよくありますから。

森山:でもその気持ちはよくわかります。

森山大道「LABYRINTH」(2012年)より © Daido Moriyama

森山大道「LABYRINTH」(2012年)より © Daido Moriyama

サラ:問題になるのは写真と写真家の距離です。私の場合は同じイメージでも、何年か経って見ると、その距離が大きくなっている可能性があるんですね。

森山:僕の場合、撮る対象は外界になるわけだけど、外界と自分との距離というのはいつも流動的で、近づいたり離れたり。永遠にそういう関係ですね。 

サラ:一方で、自分の創作のプロセスはシステムとして完成している気もするので、どうやってそこから逃げるか、外へ出られるかを考えます。いつも同じビジョンを使っていると、その中に自分が閉じ込められている気持ちがするんです。

森山:それは僕も同じですよ。やっぱり撮っていると、「どんどん自分を狭いところに追い込んでるな」とかね、だんだんそう思えてきて、それを壊したい。常にそういうことの繰り返しだよね。ま、僕の写真は全部同じように見えるかもしれないけど(笑)。

サラ:いえいえ、私も全く一緒です。撮って撮って撮り続けて、いつか新しいビジョンが現れるかもしれない。歩いていて山があるとしたら、その山の裏側を見たいと毎回考えます。

森山:僕の場合、街の中で目の前にはとりあえず日常があるわけだけど、日常の間にいろんなスリットがあって、そこにわけのわからないものがいっぱいある。それを常に見たいと思ってる。

サラ:私は特に街なかでは、気に入った場所に立っていて、そこで何かが起こるのをずっと待っています。たまに何かが起きる。でも普段は何も起こりません。

森山:僕の場合、「明日一枚良いのが撮れるかもしれない」っていうのが常にあるわけ。といっても、「良いもの」が何なのか自分でもわからないんですよ。でも、そう思って50年間カメラを持ってウロウロしているところがある。

サラ:写真は待つのが重要です。待っていて、私は一枚だけ撮る。「希望」をもって続けるのが写真ですが、でもその希望は、自分では決められないことを待つことです。カルティエ・ブレッソンは「写真は撮ることではない、写真に撮らされるんだ」とよく言っていました。

森山:ええ、わかります。特に街頭の写真は、絶対に向こうから来るからね。だから僕は無茶苦茶歩きながら待ってるわけ(笑)。結局は同じことなんです。

サラ:そうですね。


サラ・ムーン「Anvers, 1990」© Sarah Moon

サラ・ムーン「Anvers, 1990」© Sarah Moon


明るみと翳り

森山:今回サラさんは京都に行って、谷崎の『陰翳礼賛』の世界を探したようですけど、待ちながら何か良い出会いはありましたか?

サラ:ある場所で、風に揺られた紅葉の葉っぱの影が壁に映っているのをずっと見ていて、その影の写真を撮りました。それが今回の京都での特別な出会いかもしれませんね。影といえば、森山さんには『光と影』(1982年)という素晴らしい作品がありますね。写真集での光と影の並べ方、構成がとても素敵です。

森山:僕はわりと身も蓋もなく強いコントラストで「光と影」を見せちゃうところがあるんだけど、サラさんの写真を見ると、影というより「翳り」という感じがするよね。それに対して「明るみ」だよね。その「明るみと翳り」はサラさんの世界にしかないもので、影の層と光の層それぞれにものすごいレイヤーとグラデーションがある。

サラ:初めてポラを使ったとき、そのニュアンスが使えるなと発見しました。それ以来、デジカメを使うようになったいまでも、そのポラのニュアンスをずっと探しています。私は激しい光より影の世界で写真を撮っていて、いわば、「水平線の下の世界」を見ているんです。

森山:これは僕の勝手な考えだけど、ジェイムズ・ヒルトンという作家に『失われた水平線』(1933年)という小説があって、チベットの山の奥の奥の最後の一番上にある、「シャングリラ」という架空の町が出てくるんだけど、サラさんの写真を見てると、そこの不思議な町を思いだすんだよね。

サラ:その小説、読んでみます。

森山:いや、僕が頭の中で作り上げたイメージだから、実際読むとたいしたことないですよ(笑)。

森山大道「光と影」より © Daido Moriyama

森山大道「光と影」より © Daido Moriyama


サラという国の女王様

サラ:では、森山さんの記憶の中にあるデジャヴュの国はどこですか? 

森山:フランス語でデジャヴュ(deja vu)の反対語でジャメヴュ(jamais vu)ってありますよね、既視感と未視感。僕はどっちも具体的に決めることはできなくて、既視感と未視感が渾然としたところにある世界を、デジャヴュとも言うし、時にジャメヴュとも言う。そういう関係なんですよ。だからそこには自分の記憶も入るけど、世界の記憶とか他者の記憶も含まれている。ま、そんな、わけのわからないことなんだよね。

サラ:写真評論も書いていた哲学者のジャン・ボードリヤールは「ものを見る前には、もう実際に夢では見ている」と言っています。

森山:うん、だから夢の世界に一番顕著だよね。そういう意味では、サラさんの写真は、既視感と未視感の境界にあるものに感じるんです。だから僕は好きなんだな。

サラ:全くその通りです。私が撮っているイメージは、現実のリアリティだけではなくて、自分の感じたリアリティが重要です。

森山:僕はサラ・ムーンというのは、どこかにあるサラという国の女王様なんだと思う。あなたはその国の風景や動物や人間、あらゆるものを撮ってきて、こうして僕たちに見せてくれる。

サラ:美しいお話ですね(笑)。

森山:でなかったら、こんなに感動しないよ。結局、僕にとって良い写真とは、細胞に沁みてくる、そういうイメージだよね。

サラ:今日はお話できて素晴らしい時間でした。ありがとうございました。

森山:こちらこそありがとう。


森山大道|Daido Moriyama
1938年、大阪生まれ。67年に日本写真批評家協会新人賞受賞。国内はもちろん海外での評価が高く、ニューヨーク・メトロポリタン美術館、テートモダンなどで展覧会が多数開催されている。写真集、写真展、著作、受賞歴多数。
http://www.moriyamadaido.com/

サラ・ムーン|Sarah Moon
1941年、フランス生まれ。モデル業の傍ら写真を撮り始め、1970年から写真家として活動を開始。わずか2年後には、女性初のピレリ社のカレンダーを撮り下ろす。ファッション誌のエディトリアルやブランド広告を手がけるほか、コマーシャル・フィルム制作にも携わる。2008年刊行の『Sarah Moon 12345』にてナダール賞を受賞。

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