10 November 2021

ポール・ムパギ・セプヤ インタヴュー
「鏡、ヌード、ベルベット、レイヤー化するイメージの向こう側」

10 November 2021

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ポール・ムパギ・セプヤ インタヴュー「鏡、ヌード、ベルベット、レイヤー化するイメージの向こう側」【IMA Vol.36特集】 | ポール・ムパギ・セプヤ インタヴュー「鏡、ヌード、ベルベット、レイヤー化するイメージの向こう側」【IMA Vol.36特集】

IMA Vol.36「流動するジェンダーの時代」の関連記事第二弾は、鏡やセルフポートレイトを使いながら多層的なイメージを作り上げ、世界的に注目されているポール・ムパギ・セプヤのインタヴューを転載する。セプヤは鏡、布のドレープなどを使いながら、自画像や男性のヌードに関する伝統的な構図をくつがえし、現実と幻想、そして写真家と被写体の境界を曖昧にしている。被写体はセプヤの友人、恋人、そしてクィアコミュニティのメンバーたちだ。一枚のイメージから想起される多様なエレメンツ、そこに込められた意図と制作の背景を聞いた。

インタヴュー=八巻由利子
Courtesy of the artist and Vielmetter Los Angeles

―スタジオという限られた空間の中で作られるあなたの作品には、さまざまなエレメンツが散りばめられています。ゲイであり黒人であるあなたの作品を理解する手助けとなる、重要な要素だと思います。まずは多層的に見える作品の撮影プロセスについて教えてください。

まずスタジオで一人、自分の写真を撮るところから始まります。どうしようかと考えていると、そのうち被写体となる友人(たち)がやってきて、おもしろいことが次々に起こっていきます。最初に「僕はここにいるから、君はそこにいて」などとちょっと調整してから撮影を始めますが、ポーズを指示するようなことはしません。できるだけ被写体と対等な立場で撮影し、予測のつかないことを瞬間的にとらえていきます。衣服も彼らが着てきたもののまま。友人の中にはアーティストもいて、セルフポートレイトなど自分の作品を作ろうとすることもあるんです。写真の中でカメラを持っている人物は、実際に彼ら自身が撮影していて、 手にしている小型カメラやスマートフォンも友人たちの自前です。

A conversation around pictures (0X5A5079), 2019, 50 x 75 inches

A conversation around pictures (0X5A5079), 2019, 50 x 75 inches


―あなたの作品には鏡が効果的に用いられていますが、鏡を扱う理由は?

「Mirror Study」は、以前制作したZINEで使わなかったコピーや試し刷りを素材として、その実物をスタジオ内に設置してカメラに収めたものです。素材を前にした自分がどう映るのかを見たくなり、スタジオに鏡を持ち込みました。鏡はPhotoshopを用いずに視覚のトリックを表現するために使っているように見えたかもしれないので、最近は、トリックや幻覚ではないことを示すために鏡の表面にスマッジ(汚れ)を残すようにし始めました。撮影する際は、イメージ自体の表面から鏡の表面まで、すべての層について考えます。2021年春の個展「Stage」で発表した作品では、2枚の可動式の大きな鏡を用いています。鏡は閉じた空間を作り出す一方で、角度によってフレームの外側にあるものを映し出すことができます。鏡と被写体の間にある、外から見えない空間も映し出すせるので、被写体からは見えるけれどカメラからは見えない隠れた場所があっても、それが鏡越しならカメラから見えるのです。掲載されている「Studio」シリーズの4点では、盗撮と露出を表現しています。

Studio (0X5A8716), 2020, 13 x 9 inches

Studio (0X5A8715), 2020, 13 x 9 inches

Studio (0X5A9572), 2020, 13 x 9 inches

Studio (0X5A5038), 2020, 75 x 50 inches


―黒いベルベットの布を使用する意味は何でしょうか? 作品では、さまざまな肌の色を意識しているように見受けられます。

美しい黒いベルベットの布が、黒あるいは色の濃い肌と同化したり、肌と布の境界線がはっきり分かれたりすることに関心を持っています。そうした空間表現がパワフルだと思っています。鏡の表面に見える汚れや指紋のように、黒い布や、黒あるいは濃い色の肌だけに興味深いテクスチャーが出ます。黒い色でないと、そのテクスチャー、感触、潜在性が見えないことがおもしろいと思うので。

ロバート・メープルソープが、モノクロ写真での黒人と白人の身体表現において取り組んだあのばかげたこと、特に『Black Book』に顕著な、被写体をコントロールしフェティッシュ化させたポートレイトで見せた姿勢に対して、みな囚われています。私の作品にはそのことへの反応という部分もあります。黒人の身体を写した写真については、セルフポートレイトとは確実にいえない作品でも、そのように受け取られたりします。肌の色に関しては、アジア人、ラテン系アメリカ人や、非常に肌の色の薄い黒人でさえ、表現の際には白い肌として一元化されてしまうことがあります。

こうした点についてよく考えるとはいえ、人種に関して、いま起きている政治的なことや、どう理解するかを伝えるために作品作りをしているわけではありません。ジェンダーやセクシュアリティ、性的指向についても同じです。写真からはそれらの背景についてわからないときもあるものです。私は「これは5人のゲイを撮った写真です」と伝えることを目的とするような制作はしていません。

A portrait (0X5A8538), 2019, 24 x 36 inches Courtesy of the artist and Vielmetter Los Angeles

A portrait (0X5A8538), 2019, 24 x 36 inches Courtesy of the artist and Vielmetter Los Angeles

―ヌードは、作品においてどのような意味を持っているのでしょうか?

ヌードは、被写体との間にある親しさを表現しています。2005年、初めてポートレイトを撮り始めたときから、被写体である友人と、まるで親密な間柄や、付き合っている恋人同士であるかのように撮影してきました。相手のことを知りたいという好奇心や戯れ、欲望がどのように進展していくかは未知のものです。その思いはいまも変わりません。「Dark Room」シリーズにも取り組みましたが、この言葉には多面的な意味があります。ダークルーム(暗い部屋)は、写真を現像する場所であると同時に、ゲイやクィアにとっては、セックスクラブやバーのような場所を指します。相手との友情や愛情関係は、長く続こうと一時的なもので終わろうと、写真と同様、暗室のような暗くした場所で生まれ、そのイメージや関係が明るみに出ていくのです。


ポール・ムパギ・セプヤ|Paul Mpagi Sepuya
1982年、カリフォルニア州サンバーナーディーノ生まれ。現在はロサンゼルスを拠点に活動。2004年にニューヨーク大学ティッシュ芸術部で美術学士号を、2016年にはカリフォルニア大学ロサンゼルス校で美術学修士号を取得。これまでにFoam写真美術館(アムステルダム、2018年)、セントルイス現代美術館(アメリカ、2019〜2020年)などで個展を開催。

八巻由利子|Yuriko Yamaki
東京生まれ。1993年、アフリカ系アメリカ人の歴史・社会・文化、アフリカンディアスポラについて学ぶことを目的としてニューヨークへ。黒人英語、黒人映画史、ニューヨークの黒人史、ハーレムルネッサンスなどについて各大学で学ぶ。アミリ・バラカ、テルマ・ゴールデン、マイケル・エリック・ダイソン、スタンリー・クラウチなどに取材し、各誌に寄稿。

  • IMA 2021 Autumn/Winter Vol.36

    IMA 2021 Autumn/Winter Vol.36

    特集:流動するジェンダーの時代

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