Book Review
Lieko Shiga

ブックレヴュー『志賀理江子 ブラインドデート 展覧会』
「見えている」ことはひとつもない

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志賀理江子 ブラインドデート 展覧会 01

志賀理江子が昨年に丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で開催し、大きな話題を呼んだ個展「志賀理江子 ブラインドデート」。その展覧会の全貌を記録し、作家本人が撮影することを通して再検証した3冊組の展覧会図録がこのたび刊行された。展覧会場を写真で収めた『インサイドアウト』、会期中のイベントを記録した『リレートーク&ワークショップ』、志賀のテキストを収録した『テキスト』の3冊で構成され、いまなお鮮烈に記憶に残る本展と、そこにまつわるたくさんの言葉を凝縮している本書。大竹昭子がその作品と言葉に耳を澄まし、展覧会への扉を再び開く。

レビュワー=大竹昭子

多くの人にとって写真とは、目の前にあるもの、起きていることをとらえるための手段だろう。肉眼では充分につかみきれないものを、ヒトの眼以上に平等な「眼」をもち、細部をしっかりとらえることのできるカメラに写しとってもらう。

それからすると、志賀理江子と写真の関係はかなり異質である。彼女はいまだ見たことのないもの、体験したことのないイメージを呼び込むために写真を使う。これは、呪術師と呪具の結びつきに近い。

「螺旋海岸」シリーズの一点を思い出してみよう。膨大な数のぬいぐるみの山を前に、おばあさんたちが地面にぺったり座ってカメラを見つめている。一度見たら忘れられない異様な光景だが、この撮影のために、彼女は集落を一軒一軒まわってぬいぐるみを借りて歩いた。どれくらい集まるのか、どんな風景になるのか、それ前におばあさんたちはどんな表情をするのか、「見えている」ことはひとつもなく、周到に準備を重ねたあげくに一気にダイブしたのだった。

本書は、そのシリーズから5年後の2017年に発表された「ブラインドデート」展のドキュメントである。この展覧会も「ブラインド」ということばから予想されるように、「見えない領域」がテーマだった。展示の写真、志賀と担当学芸員・国枝かつらの書いたテキスト、対談とワークショップの報告が3分冊され、バンドで束ねられるという、通常の展覧会カタログとはだいぶ体裁が異なるが、いちばんの相違はこれが展覧会の終了を待ってつくられたことだろう。


志賀理江子 ブラインドデート 展覧会 02

展覧会を単なる作品発表の場に終わらせずに、ひとつの出来事としてはじめから終わりまでを自分のなかにもどして咀嚼しようとする。その作業は言葉を介さないとできないから、一語一語を文字に起こすことが必要だったのだ。

展示の中心は2009年、バンコクで制作された、バイクに乗るカップル97組を撮った「ブラインドデート」シリーズだ。「ブラインドデート」とは、相手がだれかを知らされないデートのことだが、志賀はこのことばに「盲目」という語が使われていることに着目する。大切な人が亡くなったときに、宗教や儀式の決まりごとが何もなければどう弔うかを人々にインタビューした「弔い」、彼女自身の出産体験をつづった「亡霊」(この文章は総毛立つほどすばらしい!)など、生と死は「目には見えない領域」に属するゆえに彼女を恐れさせ、また魅了するのだ。


2008年以降、仙台郊外の北釜という場所で活動してきた志賀は、東日本大震災で被災し、作品や機材をアトリエもろとも流され、知り合いの多くを亡くした。この惨事は、当然ながら彼女の表現活動、生き方、社会の見方などに多大な影響を与えた。思考を経ずには乗り越えられない巨大な壁が目の前に立ちはだかったのだ。

いがらしみきおとの対談で彼女は、大震災の直後、物の価値が水に沈んですべてがフラットになったとき、子どものときから抱いていた世界への違和感がふっと消え、尊さを感じた、と述べている。だが、次の瞬間、水底から人間の欲望や現代社会の価値観がむくむくとわきあがり、放射能汚染や復興計画など、「命が危険にさらされている事実とはまた別の、圧倒的な現実」を実感させられた。


志賀理江子 ブラインドデート 展覧会 03

こうなると、制作と生きることを切り離すことはもはや不可能で、社会のさまざまな矛盾や疑問に目が向けられる。とはいえ、わかりやすいテーゼやスローガンに飛びつくのではなく、抱いた問いをできるだけ遠くに伸ばし、考え、想像しようとする。ここに志賀のすごみを感じる。生きること、生活すること、表現することを等しく扱い、同じ熱量を注ぎ込むところに。

「歌」では、ある老人が自分の死期を感じたとき、それまで一度も人前で歌ったことのない軍歌を歌って逝ったことがつづられる。なぜ最期のときにそのような歌をうたったのか。謎めいた行為の意味を志賀は考える。識者のことばを引用するのではなく、自分のことばで粘り強く自問する。そして、二度と歌ってはならないはずの歌を口ずさむ声が、言霊として喉元から飛び立つとき、歌がようやく本来の意味と力をもちは始めるのではないか、と記す。

震災後、芸術に何ができるかというような問いがあちこちでなされた。足場を確かめずには先に進めない状況なのはわかるとしても、この問いの立て方には違和感を抱かずにいられなかった。芸術の存在を自明のものにしすぎている。それゆえに芸術が主語になった問いが生まれる。だが、本当に問うべきことは「芸術」という前提なのではないだろうか。

『螺旋海岸』の中で志賀は「芸術に社会性があるのではなく、芸術が根を張る場所が社会だ」と書いている。その社会とは「たったひとりの人という意味でもある」ともいい添える。非常に大切なことをいっていると思う。芸術の意味は既存の社会にとって有効かどうかで判断されるのではない。そうした評価が届かない、たった一人が声をあげて問うことが許される場こそが芸術の故郷なのだ。そこでは「見えている」ことはひとつもなく、問いの深さと飛距離だけが重視される。芸術の生命線はまさにそこなのだ。


志賀理江子 ブラインドデート 展覧会 04

タイトル

『志賀理江子 ブラインドデート 展覧会』

出版社

T&M Projects

価格

3,980円+tax

発行年

2018年3月

仕様

3冊組ソフトカバー/B5変型

備考

https://www.tandmprojects.com/collections/frontpage/products/blind-date-catalogue

志賀理江子|Lieko Shiga
1980年、愛知県生まれ。2004年にロンドン芸術大学チェルシー・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインを卒業。オーストラリアや仙台市での滞在制作を基にした写真集『CANARY』、宮城県名取市北釜に移住し、地域の伝承や人々の記憶を身に沁みこませながら制作した写真集『螺旋海岸』など、周到なリサーチを基に地域に眠る現代の民話を浮かび上がらせる。2012年にせんだいメディアテークにて個展「螺旋海岸」、2017年に丸亀市猪熊弦一郎現代美術館にて個展「ブラインドデート」を開催。2008年に木村伊兵衛賞、2009年にニューヨーク国際写真センターインフィニティアワード新人賞を受賞。

大竹昭子|Akiko Otake
1950年東京生まれ。1980年初頭にニューヨークに滞在、文筆活動をはじめる。ジャンルを横断して執筆。書評の仕事も多い。トークと朗読の会〈カタリココ〉を主宰。また東日本大震災直後に詩人や作家がことばをもちより朗読する「ことばのポトラック」を開催、現在も継続中。著書に『須賀敦子のミラノ』『須賀敦子のヴェネツィア』『須賀敦子のローマ』(河出書房新社)をはじめ、小説作品では『図鑑少年』(小学館)、『随時見学可』(みすず書房)、『ソキョートーキョー(鼠京東京)』(ポプラ社)、写真関係に『眼の狩人』(ちくま文庫)、『この写真がすごい2008』(朝日出版社)、『彼らが写真を手にした切実さを』(平凡社)、『ニューヨーク980』(赤々舎)、『間取りと妄想』(亜紀書房)など多数。