5 April 2021

写真史を捏造するジョアン・フォンクベルタ作品集『Crisis of History』を読み解く

5 April 2021

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写真史を捏造するジョアン・フォンクベルタ作品集『Crisis of History』を読み解く | Crisis of History

2020年に発刊された作品集『Crisis of History(歴史の危機)』は、ハンブルグで行われたジョアン・フォンクベルタの同名の展覧会図録だ。フォンクベルタは、学者、批評家、理論家、美術史家としても活動するアーティスト。日本語で読めるフォンクベルタの本では、宇宙飛行士の伝記『スプートニク』や、ある生物博士が出会った新種の動物たちについての記録『秘密の動物誌』があるが、実はいずれも架空の人物による架空の記録だ。フォンクベルタはこれらの虚構を補強するために常に写真を使用してきた。そんなトリックスターとしての彼がKaunas Galleryから発表した新作を読み解く。

文=村上由鶴
写真=ギンタラス・シーゾナス(Gintaras Česonis)

美術史の領域では、欧米を中心につむがれてきた歴史を、非西欧や女性、マイノリティーの観点から捉え直す「ニュー・アート・ヒストリー」のアプローチが1980年代後半から推進されている。本書で展開されるフォンクベルタの試みは、「写真家」による表現を中心に編まれてきた写真史のなかで疎外された表現を救い出し、そして、美術史との境界を曖昧にする取り組みに見える。写真史がすくい上げながった作り手、そして、写真史の中心において取り上げられるべきだった写真に着目して歴史を編み直すアプローチは、「ニュー・フォト・アート・ヒストリー」といってもいいかもしれない。

本書は、スペインの偉大な芸術家たちによる写真の使用を紹介する第1部「アーティストと写真(The Artist and the Photographs)」、そして、第2部ではカタルーニャの農業器具メーカー「トレパット」の工場で、アルベルト・レンガー=パッチュ、マン・レイ、ラズロ・モホリ=ナギ、アレクサンダー・ロドチェンコ、ウォーカー・エヴァンスといったモダニズム写真の代表的な写真家が撮影したという「トレパット アヴァンギャルド写真のケーススタディ(Trepat: A Case Study in Avant-garde Photography)」を掲載する。第3部では、70年代のナイト・クラブを撮影した写真が、注目を浴び、再発見された写真家キシモ・ベレンゲールの作品を紹介している。


スペインの偉大な3人の芸術家、ダリ、ミロ、ピカソは、それぞれ首からカメラを下げたポートレイトを添えて彼らの作品とともに紹介されている。例えば、ダリによる写真は、ストレート・フォトでありながら彼自身の絵を想起させる。実はダリが夢や無意識からではなく、現実そのものから描いていたことは驚くべき発見だ。ミロが新聞や写真の上に描いたドローイングは、ミロの作品と日常や社会性との接点というミロの理解への新解釈を与えてくれる。さらに、ピカソのフォトグラムはモホリ=ナギーやマン・レイのような暗室のみで行われた実践とは異なり、風景写真を組み合わせた、より複雑な表現といえるかもしれない。これらの写真はこれまで理解されてきた写真史をひっくり返す威力を持つ、強力な切り札になり得るのだ。


第3部で紹介されるキシモ・ベレンゲールはヴィヴィアン・マイヤーのように、死後に再発見された写真家で、1970年代半ば、有名な音楽ホール「エル・モリーノ」で行われた公演の様子を撮影した写真が、2016年ごろに改めて注目を浴びた。1975年、ベレンゲールは、「エル・モリーノ」の振付師として起用されたキューバ人ダンサー、ネグリート・ポリと交際を始めた。このコネを使って、ベレンゲはこの劇場の特殊な世界に内側から入り込み、カメラを片手に切り込んでいったという。ストリッパーやコメディアン、ダンサー、ミュージシャン、そしてそれを眺める観客を捉えた写真は確かに70年代の雰囲気や劇場の喧騒を間近にとらえている。ビル・バーンスタインがディスコを捉えた写真にも似た雰囲気があるが、少しばかりベレンゲールのほうが、素っ気無い表現になっている。

さて、ここまで、本書に掲載された写真を真正面から受け取って、内容を紹介してきたが、実は、これらはほとんどすべてがフォンクベルタによってでっち上げられたものである。つまり、嘘ばっかり、なのだ。

第3部から遡って見ていこう。「再発見された写真家」であったキシモ・ベレンゲールのプロフィールや写真などはフォンクベルタが捏造したものである。いくつかの出版社やギャラリー、アートセンターなどがグルになった壮大な嘘によって、写真集や作品が実際に売買されてもいる。そうしたベレンゲールの「発見」から約二年経った2018年、フォンクベルタはすべてを種明かしした。第2部で展開された「トレパット」という農業機器メーカーの記録撮影にモダニズムを代表する写真家が協力したとされる写真群も架空の物語である。参加したそれぞれの写真家が撮ったとされる写真は、確かにその写真家の特徴やエッセンスを抽出しているようにも見えてしまうし、工場で撮影された「とされる」作家たちのポートレートも真実味を増す巧妙な仕掛けだ。第1部「アーティストと写真」はフォンクベルタの1995年のプロジェクトで、スペインの偉大な芸術家たちの捏造された写真の実践の中には、珍しく事実も含まれている。ピカソの写真作品として紹介されているものは、肖像写真家のアンドレ・ヴィレールとの協働で作られた「Diurnes」シリーズだ。ミロとダリの作品については、やはりフォンクベルタが彼らに成りすましたものだったのだ。


写真の真実性を問う表現は、写真表現の歴史においても中心的な主題として常に扱われてきたと言って良いだろう。しかし、フォンクベルタが揺さぶりをかけるのは「写真そのもの」ではなく、「写真史」の真実性であり、誰かが作り上げた歴史という権威の危うさを指摘している。もちろん、彼の目的は、嘘をつくことや人を騙すことそのものではない。フォンクベルタは、芸術界あるいは写真界による「評価」の生成のプロセスが抱える人為性や不透明性、そして、わたしたち大衆の、権威への弱さを指摘しているのだ。本書は、先行する写真家のスタイルを擬態するフォンクベルタの手腕はそれだけでも見応えがあるが、わたしたち鑑賞者がこのような仕草にいかに騙されやすいか、ということも苦々しく味わわせるだろう。

『スプートニク』や、『秘密の動物誌』で、フォンクベルタはある個人の架空の物語に真実性を付与するものとして写真を使用している。しかし、本書に収録されたプロジェクトでは、個人を超え、集団的に意識される写真史という物語がその対象となっている。なんという大胆不敵な犯行だろうか。「ニュー・フォト・アート・ヒストリー」どころではなく、ヒストリーを編むことの可能性自体が揺らいでしまうのだ。もはや、このフォンクベルタの一連の作品を経験したあとの私たちは、誰かによって編まれた「歴史」をなんの疑いもなく受け止めることに躊躇してしまうかもしれない。さらに、IMA ONLINEのようなメディアやギャラリー、美術館の成すことさえも疑わしく思えてきてしまうという、まさに、鑑賞者にとっての写真史の危機を到来させる1冊なのである。

タイトル

『Crisis of History』

出版社

Kaunas Gallery

出版年

2020年

URL

https://shop.kaunasgallery.lt/en/product/joan-fontcuberta-crisis-of-history/

村上由鶴|Yuzu Murakami
1991年埼玉県出身。写真研究、美術批評、ライター。日本大学芸術学部写真学科助手を経て、東京工業大学大学院博士後期課程在籍。専門は写真の美学。雑誌やウェブ媒体などで現代美術や写真に関する文章を執筆。
https://www.yuzumurakami.info/

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