15 February 2023

菊地成孔の写真選曲集15

石内都『フリーダ 愛と痛み』にマランド75『スマイル』|菊地成孔の写真選曲集15

15 February 2023

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もし、あなたに、人生を貫通するような、恒久的な、何らかの痛み――それが心的なものか、肉体的なものかに関わらず――があり、その上で、「フリーダ・カーロ」こと、マグダレーナ・カルメン・フリーダ・カーロ・イ・カルデロン(Magdalena Carmen Frida Kahlo y Calderón)について、一切、全く何も知らない。という場合は、これは大いなる博打ではあるが、検索と熟読をお勧めする。

フリーダ・カーロは47歳で他界した。自殺説が根強いが、筆者の考えは「もう、そんな問題ではない」というものだ。少なくとも彼女に関しては。

危険性についても予め警告しておかないといけないだろう。もしあなたが、鬱病や自死願望を持つ場合、検索と熟読は避けた方が良い可能性がある。引き込まれて重症化する可能性があるからだ。解毒/排毒と被毒/飲毒が諸刃の刃であることはどなたもご存知であろう。

石内の作品に、堂々と――筆者はこれを、無神経さとすら捉えても構わないと思うが――冠されている「愛と痛み」という言葉は、ひとつの(かなりカソリシズムに偏るとはいえ)原理である。愛は痛みである。あるいは転じて、「痛みとは愛のことだ」という事も可能だ。

そうした意味において、フリーダ・カーロは完璧な人物である。愛は痛みであり、痛みこそが愛である、という原理に、彼女以上に忠実な人物はもう人類史上に現れないのではないか?と危惧するほどだ。

『フリーダ 愛と痛み -Frida : Love and Pain-』(岩波書店)

『フリーダ 愛と痛み -Frida : Love and Pain-』(岩波書店)

『フリーダ 愛と痛み -Frida : Love and Pain-』(岩波書店)

『フリーダ 愛と痛み -Frida : Love and Pain-』(岩波書店)

『フリーダ 愛と痛み -Frida : Love and Pain-』(岩波書店)

『フリーダ 愛と痛み -Frida : Love and Pain-』(岩波書店)


本書は、メキシコのフリーダ・カーロ美術館(通称「青い家」)に展示されている、彼女の遺品である衣装、化粧品、装飾品、コルセット、靴、義足等々を、2012年に撮影し、2冊の写真集にまとめられた、日本版(岩波書店。メキシコ~スペインの出版社はRM。英語版とスペイン語版がある)であり、2016年に出版されたものだ。

女性カメラマンである石内都の、フリーダ・カーロへの移入/同一化は――それはもう「致し方ない」としか表現できない程の強度によるものだが――凄まじく、前述、RM版の書名は「Frida by Ishiuchi」であり、再び前述、「愛と痛み」というタイトルは、無神経ぎりぎりであるとは思うものの、やはり致し方ない。

多くの遺物は、実のところ、永遠の呪物にはなり得ない場合が多い。物体に遺されたものたちは、香りとほぼ同程度に、物体から離れ、霧散して消えてしまう。それを消えていないと信じる力は祈りに他ならない。

祈り無き者達にも、永遠の呪術をかける力の代表として、フリーダ・カーロの遺品が挙げられるだろう。危険性において彼女に関するテキストと同列にあると判断して良い、ジャズトランペッター、チェット・ベーカーの評伝「永遠の闇」は、彼の葬儀の描写から始まる。彼と関係し、永遠の傷を負った女性達が葬儀に集まる。その1人が言う。「あいつは、死んだ後もずっと、こうやって人を傷つけることが出来るのよ」。

筆者の養母は思春期から片脚に障害があり、それが因子かどうか、太平洋戦直前から統合失調症に罹患し、終戦後義足になった。それでも彼女にはおおらかな笑顔があり、筆者に向けられた、痛みそのものである愛の作法も、独特のユーモアに満ちており、本書の93頁から、クライマックスのように登場する(本作は98頁から成る)義足を見ても、それはもう、あるゴシックの永遠性としか言いようがない、現代にも通底する美しさに満ちており、同一視も移入もできない。それでも、別のリージョンで生じる痛感はとてつもなく、「見ただけで痛い」という、一種の共感覚すら生じるほどである。


ペアリングまでの過程は当連載の平均値を下回るシンプルさで、短時間に決定に至った。

スタートは、記憶にある「悲痛な音楽」の視聴だが、10曲ほど聴いて、相殺、対消滅性が実証され、愚策である事も同時に証明された。次に、地産地消の観点から「メキシコの音楽」に転じ、陽気なマリアッチからバラードまで一通り聴いたものの、相性は極めて悪く、次に「メキシコ出身の」「メキシコに所縁のある」ジャズミュージック(その1人に、チャールズ・ミンガスがいる)に当たるも、今ひとつ。という状態で、突如として決定した。

「原理には原理を」というべきだろうか。それは喜劇王、チャールズ・チャップリンが自作(『モダンタイムス(1936年)』)のために作曲し、1954年にジョン・ターナーとジェフリー・パーソンズが歌詞を付与し、ナット・キング・コールの歌唱により、ジャズ~ポップス界のスタンダードナンバーとなった『スマイル』である。

巷間、「世界一カヴァーされた曲」と称されるこの楽曲は、しかしほとんどが本作と噛み合わなかった。23曲を数えた時に現れた決定バージョンは「マランド75」によるライブ版である。マランド75については詳述しない。しかし、筆者の暫定では「世界一卑俗なスマイル」である。

当連載では例外的に歌詞を掲げる。「(たったこれだけのものを)2人がかりで書いたのか」という思いが禁じ得ないと同時に、原理とはかくも嶮しき結晶化行為なのであるという畏敬の念も生じる。

訳詞は掲げない。英語を含む全ての外国語に対して、中学生以下の能力しかない筆者でさえも、一聴だに理解に至る簡潔な言葉で書かれている。「笑って 胸が痛いときも 壊れそうな時でさえも さあ 笑ってごらん」と始まるこの歌詞は、地上のほとんどの言語に翻訳されている。

言うまでもないが、音楽における、あらゆる卑俗さは悪ではない。この、噎せ返る程の、淫らとさえ言える卑俗な甘さが、硬度最高値の合金よりも盤石な「愛と痛み」という原理を、冒頭の、観客の拍手が始まる瞬間から、秒を追って徐々に徐々に溶かし始める。フリーダ・カーロにだって笑顔はあった筈だし、あらゆる卑俗な美しさのうちのいくつかは愛でた筈だ。決定打となったのは、録音物がない彼女の肉声が、このヴォーカルと似ているのではないか?という、全く無根拠な天啓に依る。ある原理と、違う原理が手を取って踊る、出会いからそこに至る過程、そしてその回転の速度感を是非味わって頂きたい。

『Smile』
作詞:ジョン・ターナー、ジェフリー・パーソンズ
作曲:チャールズ・チャップリン

Smile through your heart is aching
Smile even though it’s breaking
When there are clouds in the sky,
You’ll get by

If you smile

Though your fears and sorrow
Smile and maybe tomorrow
You’ll see the sun comes shining
through for you

Light up face with gladness
Hide every trace of sadness
Although a tear may be ever so near

That’s the time
You must keep on trying
Smile, what’s the use of crying
You’ll find that life is still worthwhile

If you just smile

菊地成孔|Naruyoshi Kikuchi
音楽家・文筆家・大学講師。音楽家としては作曲、アレンジ、バンドリーダー、プロデュースをこなすサキソフォン奏者、シンガー、キーボーディスト、ラッパーであり、文筆家としてはエッセイストであり音楽、映画、モード、格闘技などの文化批評を執筆。ラジオパースナリティやDJ、テレビ番組等々出演多数。2013年、個人事務所株式会社ビュロー菊地を設立。著書に『次の東京オリンピックが来てしまう前に』『東京大学のアルバート・アイラー』『服は何故音楽を必要とするのか?』など。

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