7 February 2023

川内倫子の日々 vol.25

ギフト

7 February 2023

Share

川内倫子の日々 vol.25「ギフト」 | 川内倫子の日々 vol.25

ギフト

年々、年越しとかお正月とかがあっさりしてきているように感じるが、ことしもそんな感じだった。
それでも年末年始を滋賀の実家で過ごし、母の手作りのおせち料理が食べられるうちはお正月ムードを味わえるように思う。日常とはすこし違う、一年がまた新しくはじまることに背筋が伸びるような感じ。幼い頃、大掃除のあとに少しすっきりした部屋で、お正月用のおやつを食べて、お年玉をもらえることが嬉しかったことを思い出す。娘にもこの思い出を持って育ってほしいと思う。

実家から戻るとすぐにいつもの日常に戻る。年末に終わらせたかったいくつかの仕事が終わらずに持ち越してしまったから、その作業をはじめると途端に普段の生活のペースだ。
そしてすぐに滋賀県立美術館の設営作業になり、またしばらく滋賀で過ごした。
今回の展示は昨年開催した東京オペラシティアートギャラリーの個展の巡回展だが、常設展示室では滋賀で撮影した作品で構成されたものもある。この部屋では2005年に発表したcuicuiというタイトルの、自分の家族を13年間撮影した写真のスライドも上映している。
もう何度もいろんな国で展示しているのだけれど、自分が生まれた土地で、久しぶりに大画面で祖父母の顔や、いまよりもずっと若かった両親の姿を見ると、さまざまな思いが去来する。
内覧会に来てくれた友人がそのスライドのなかに登場する、20代の自分が写っている写真を見て娘に似ていると言った。そうかな、というと、すごく似ているよと言う。遺伝子の連鎖、時間が過ぎていく残酷さについて思う。
幼い頃、夜布団に入ってから初めて死について考えたことがあった。そのとき真っ先に思ったのは祖父のことだった。家族のなかで年齢的に一番死に近い人だったし、おじいちゃん子だった自分は祖父が亡くなることが怖かった。それから時間が経って写真を始めてからは、毎回祖父母に会うたびに写真に撮って残していた。
今またあの頃の祖父母に画面越しに会えて、撮影しておいてよかったと思えた。
この写真を撮影しているときには、こんなに時間が経って自分がそんなふうに思う日が来るとは思わなかったが。
自分でつくった作品だけれど、それは過去の自分から現在の自分へのギフトのようだった。
そう思ってから企画展示室のほうへ移動し、ぐるりと一周すると、すべての作品も同じように、今の自分へのギフトなのだと思えた。自分が過去に見たものが、一点ずつ乱反射し合って鏡のように現在の自分を照らし、宇宙から届く光のように時差を経て現在の自分でしか受け取れないものをもらえる。
そして今回の展示に携わって下さった人たちの力があちこちに満ちていることも感じ、その空間のなかに身を置くことのダイナミズムを味わった。

自分の初めての美術館での写真展体験は、振り帰ってみると学生のときに観たロバートメイプルソープ展だったと思う。ちょうど30年前に滋賀県立美術館で開催されたものだ。
遠い国で撮影された、緊張感に満ちた写真の数々を目の前にして、自分にとってはなにもかも遠くに感じる作品を、どうやって鑑賞すればいいのかわからず、ただ自分で電車とバスを使って写真展を観にきたということが嬉しかったことを覚えている。
美術館で写真展を鑑賞している自分が少し大人になったような気がしたのだった。

美術館で写真展を開催するというのは、その頃の自分にとっては夢のようなことだった。当時は写真家になりたいとも思っていなかったし、将来どのような職業に就きたいかもわからなかった。
ただ、いつか自分も展示とかできるようになれたらいいなあとぼんやり思ったような気はする。当時の自分にはあまりに実現不可能なことだともわかっていたから、ぼんやりと、という感じではあったけれど。
30年後にその場所で個展を開催させてもらえるというのは感慨深いことだった。
夢が叶ったということなのかな、と設営作業中に館内を歩きながら思った。

川内倫子の日々 vol.25

>「川内倫子の日々」連載一覧はこちら

Share

Share

SNS