<シュルレアリストのマン・レイに薫陶を受け、ルネ・マグリット、バルテュス、ルイス・ブニュエルといった錚々たる面子に影響を受けつつ、黄金期の『ヴォーグ』『ハーパーズ・バザー』でファッションフォトの革命児となり、シャネル、ペンタックス、ブルーミングデールズ、シャルル・ジョルダンなどのブランド広告キャンペーンで活躍、20世紀後半のファッションと広告のイメージを刷新した最重要人物>
という、トゥイステッドなような、オーディナリーなような履歴を持つ写真家ギィ・ブルダン(パリ生まれのフランス人)。特に、1955年以降の『ヴォーグ』では、同時代人であるヘルムート・ニュートン(ベルリン生まれのユダヤ人)と双頭の活躍を見せるも、SMとフェティシズムという核弾頭で時代の寵児となったニュートンが太陽ならば、ブルダンは月のような存在だろう。
時代を完全に刷新し、エロティシズムの最新形を創出したニュートンに比べ、ブルダンは、前時代の芸術と、ニュートン式ハイパーの中間点で、斬れ味がまろやか。そして古式ゆかしきシュルリアリスム性の横溢。
題名通り、撮影現場でオフショットとして撮影されたポラロイド写真を集めた『Polaroids』を眺めるに、確実に、しかし淡白なフェティッシュ。乳房への興味は薄く、脚、尻、特に背中への視線は、人間性の拒絶にまで肉薄したニュートンのそれよりも遥かにフランス式の覗き窓=デュシャンの『遺作』のテールを引く。
長身のモデルをヘアピンのように前方に屈曲させるポージング(上半身がヌード、下半身がパンティ・ストッキング)への強くて厳しい執着以外は、コンテンツであるオフショット性によって、牧歌が聴こえるような脱力したムードだ。
曲は何を合わせる?
まずはジョン・ケージの、笑ってしまうほど血も涙もない『カートリッジ・ミュージック』。これはノイジーかつユーモラス過ぎる。デトロイト・テクノの番長、セオ・パリッシュの『アメリカン・インテリジェンス』から<ドライヴ>。これはガチガチのエレクトロでむしろヘルムート・ニュートン用。シェーンベルクの『浄夜』。これはトゥーマッチにゴシック。フランス感を換骨奪胎するために敢えてのデューク・エリントン楽団による人類史上最もセクシーでエレガントでスティーミーな『ザ・スター・クロスド・ラヴァー』。いやこれではフェティシズム潰し。いっそ低俗イージー・リスニングの雄、ビリー・ヴォーン楽団のトロピカル感溢れる『真珠貝』。いやこれもミスマッチ感が斜めに逸れて。
結局は20世紀現代音楽のポテンシャル最高値、カールハインツ・シュトックハウゼンの、初期電子音楽の代表作『習作Ⅰ』が1冊を見事に貫通する。冷たく固い電子音の断続は残酷な事故を感じさせるほど。しかし「夢」そのもの響き。やはりヘルムート・ニュートンの、逃れようにも逃れられないゲルマニア、その相互補完的タンデムがブルダンの真実であった
菊地成孔|Naruyoshi Kikuchi
音楽家・文筆家・大学講師。音楽家としては作曲、アレンジ、バンドリーダー、プロデュースをこなすサキソフォン奏者、シンガー、キーボーディスト、ラッパーであり、文筆家としてはエッセイストであり音楽、映画、モード、格闘技などの文化批評を執筆。ラジオパースナリティやDJ、テレビ番組等々出演多数。2013年、個人事務所株式会社ビュロー菊地を設立。著書に『次の東京オリンピックが来てしまう前に』『東京大学のアルバート・アイラー』『服は何故音楽を必要とするのか?』など。