不調のなかで
vol.37
12月に海外へ出張に行き、戻ってからずっと左の首筋から肩が痛い。もう丸2ヶ月も経っているのに厄介だ。
友人に以前勧められた鍼治療も何度か通って試してみたが、あまり自分の体質に合わないのか効き目を感じられず、ストレッチやリンパマッサージも直後は少しすっきりするけれど数日経つとまた戻る。
年末に仕事部屋も片付けられないままに年を越し、日々のタスクに追われていたら疲れが溜まりすぎたのか、めまいも時々。夜は必ず何度も急に発汗して目を覚ますからぐっすり眠れた感じはしない。
寝込むほどではないし仕事もなんとかできてはいるが、のっぺりと身体に張り付く疲れとがちがちの肩ですっきりしない日が続く。1日撮影しただけで夕方は動けなくなるなど、もう更年期真っ盛りだ。
そんなときにふと思い出す、母が50代だった頃。メニエール病を発症して目がぐるぐる回る感じがしてつらいと、時々寝込んでいたことがある。そういえば年上の友人や仕事仲間たちが自分と同じ年齢だった頃も不調を訴えていたっけ。あのときのあの人たちの気持ちが、いまようやく実感を持ってわかるようになったのだった。
先月70代の飲み仲間たち(と言ってしまっていいのだろうか、友人というと少しあつかましいような、知り合いというにはよそよそしい感じがするし、時々楽しく飲む関係なのでやはり飲み仲間か)と、話をしていたら、そのなかのおひとりが70代になっていろいろなことを遠く感じるようになった。でもそれは嫌な感じじゃないんだよ、と話されていて、周りの同年齢の方々もうなずいていた。なるほど、、自分もその年齢になったときにそう思うのだろうか、と思ったのだが、自分も生きてその年齢を迎えたときに、50代の感じがわかるようになったように、ああ、この感覚だったのかと思うのだろう。
年が明けて間も無く東京で個展があり、オープニングが終わってからまたすぐに次の展示の準備などで休めずにいたら、なんだかいつもの疲れ方ではない感じがして、少し怖くなった。一段階段を登ったかのような、それまでに感じていたのとは違う疲れ方というか。
身体の不調が続いているせいももちろんあるけれど、メンタルもおかしい感じがしてすぐに休まないとだめになりそうな気がしたので、1日なるべくなにもしない日を決めて休んだらなんとか少し持ち直した。いままでの仕事の仕方を考え直さないといけないタイミングなのかもしれないが、調子がいい日は動けてしまうので調整が難しい。
20年くらいまえにずっと休みたいと思いながら休まなくて、結果仕事中に大怪我をして入院したことがある。今考えると何度もサインが出ていたのに休まなかった自分が悪いのだけど、当時は休み方もわからなかったのだった。いまは状況も年齢も違うのだからうまくできるはずなのだが、疲れすぎると判断力も確実に落ちるものだ。
それから数日後、猫の去勢手術を決行した。しないでおくかどうか逡巡していたのだけど、発情期が始まったのか外で過ごすことが増え、テラスにメスの野良猫もやってきていたようだったし、野良猫が増えても全部を面倒見ることはできない。人間の都合に合わせるのが申し訳ないと思いつつも、結局病院へ連れていくことにした。
手術が終わって戻ってくると、ずっと鳴きっぱなしでリビングを歩き回り、すぐに窓辺へ行く。外へ出たいようだったので、窓を開けると一度出てテラスをぐるりと歩くとまた部屋に戻り、を何度も繰り返し、壊れたおもちゃみたいにぐるぐるテラスとリビングを歩き回る。なんだか不憫で見ていて辛い。ホルモンバランスがおかしくなって彼もどうしたらいいのかわからないのだろう。同じくホルモンに振り回されっぱなしの自分とかぶって見えた。
少し経つとテラスのお気に入りの椅子の上に座ったので、やっと落ち着いたように見え、数日経つとだんだんと部屋で過ごす時間も増えてきた。
文字通り去勢されてしまったのだ。勢いが去る、、繁殖とは本能の勢いでもある。自分も勢いがなければ不妊治療という扉を開かなかっただろうし、そのおかげでいま娘との生活がある。そう考えると不妊治療も自然のなりゆきと言えるのだろうか。身体的には自然にあらがっているのかもしれないのだが。
部屋のなかでの猫のお気に入りの定位置は二箇所あって、リビングのソファの上か窓の近くの椅子の上だ。そこにただ丸くなっている様子をふと見つけるたびに自分も1日ただ横に一緒に座れたら、、と思いながらもまだしばらくその日は来そうにない。
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